礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2013年8月18日 

先日ヨイド純福音教会のイー・ヨンフン先生が、集会でお証されていました。アフリカに宣教師が建てた神学校があり、その学校で訓練された卒業生は、他の地域へ派遣されていきます。ある年配の男性がその学校へ入学したいと思いました。しかし、その男性は字が読めない、年をとっているという理由で入学拒否されました。彼は神が神学校で学びとおっしゃるのでなんとか入れてほしいと懇願し、お情けで許可されたのです。彼は勉強をしましたが、成績は良くありませんでした。月日は流れ、卒業して宣教師として教会のない地域へ派遣されることになりました。そこで8年間住みましたが、その村の酋長は霊媒などしている因習の強い場所で、結局3人しか伝道できませんでした。実が実らないので、その地を出る決心をして、夜、ひそかに村を離れました。途中大きな木の下で祈りました。「私はこの村を離れます。8年間やりましたが3人だけしか伝道できませんでした。ですから御心ではないと思います」 すると神さまからこのような声がありました。「誰が離れよと言ったか?」 その時、彼は自分の力でやった結果だったと悔い改め、聖霊により頼まなくてはならないことを気が付かされました。村へ戻ってきて、家の前に毛布のようなものが置いてあるのを見つけました。何と酋長の息子が2週間高熱で苦しんで横たわっていたのです。村の霊媒や占いでは癒されなかったのです。そこで酋長はこの宣教師の所へ連れてきて「もし、癒されなかったら、あなたは8年間ウソをついてきたことになる。息子が死んだら、その日はあなたが死ぬ日でもある。」と脅されて、宣教師は恐れながら祈り続けました。しばらくするとその息子の目が正常になり癒されました。村の人々はそれを目撃し、酋長はひざまずいて「あなたのイエスが本当の神だ!」と告白してから人口1800人中、1400人がイエスさまを信じるというリバイバルが起こったそうです。
神さまがなさることは、何もかも素晴らしい!! 

心のオアシス 2013年8月11日

終戦時において占領軍では、天皇陛下に対するいくつかの処分の方法が考えられていましが、いずれにしても、天皇は殺される運命にあったのです。かつては1万8千人の護衛に守られていた天皇は、今や一人の護衛も持たずして、9月27日、天皇がただ一人の通訳を連れてマッカーサーの前に立たれたとき、ついに捕まえるべき時が来ました。マッカーサーは、天皇が命乞いに来たものと勘違いし、マドロスパイプを口にくわえて、ソファーから立とうともしませんでした。天皇陛下は直立不動のままでこう言われました。「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行われた限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります。しかしながら、罪なき8千万の国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように。」この言葉を聞いたマッカーサーは驚いて立ち上がり、直立不動で陛下の前に立ち「天皇とはこのようなものでありましか! 私も日本人に生まれたかったです。陛下、ご不自由でございましょう。私に出来ることがあれば、何なりとお申し付けください」 天皇は涙をボロボロ流し、「この私に何の望みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜りますように」と懇願されました。
当時の日本人口は8千万人もいませんでした。米国大統領からは、日本に1千万人の餓死者を出すべしと命令が来ていました。しかし天皇の人徳に触れたマッカーサーは、8千万人と水増しして食料を多めに取ったのです。しかし、それは後に、彼が解任される原因にもなりました。 
この天皇陛下の発言に感動しない人はいないでしょう。それ以上に私たちの為に命を献げられたイエス・キリストに感動せずにはおれません。

心のオアシス 2013年8月4日

いつもよく働く靴屋のもとへ、あるとき、乞食の姿になって天使が現われました。靴屋は乞食の姿を見ると、うんざりしたように言いました。「おまえが何をしにきたかわかるさ。しかし、私は朝から晩まで働いているのに、家族を養っていく金にも困っている身分だ。ワシは何も持ってないよ。ワシの持っているものは二束三文のガラクタばかりだ」そして、嘆くように、こうつぶやくのでした。「みんなそうだ、こんなワシに何かを、くれと言う。そして、今までワシに何かをくれた人など、いやしない・・・」乞食は、その言葉を聞くと答えました。「じゃあ、わたしがあなたに何かをあげましょう。お金に困っているのならお金をあげましょうか。いくらほしいのですか? 言ってください。」靴屋は面白いジョークだと思い笑いながら答えました。「そうだね。じゃ、100万円くれるかい」「では、100万円差し上げましょう。ただし、条件が1つあります。100万円の代わりにあなたの足をわたしにください」「何?! 冗談じゃない! この足がなければ、立つことも歩くこともできやしない。やなこった、たった100万円で足を売れるものか」「わかりました。では1000万円あげます。ただし条件があります。1000万円の代わりに、あなたの腕をわたしにください」「1000万円?! この腕がなければ、仕事もできなくなるし、可愛い子どもたちの頭もなでてやれなくなる。つまらんことを言うな。1000万円で、この腕売れるか!」「じゃあ、1億円あげましょう。その代わり、あなたの目をください」「1億円?! この目がなければ、この世界の素晴らしい景色も、女房や子どもたちの顔も見ることができなくなる。ダメだ、1億円でこの目が売れるか!」 すると乞食は言いました。「あなたはさっき、何も持っていないと言っていましたが、本当はお金には代えられない価値あるものをいくつも持っているのですね。しかも、それらは全部もらったものでしょう!」 感謝をすると、今、目の前にある大切なものに気づきます。

心のオアシス 2013年7月28日

ある病院で勤めておられる方からの感動的なお話です。
寝たきりで首も動かせない男性が病室に運び込まれたとき、もう一人の患者が窓際のベッドに横たわっていました。お互いに親しくなると、窓際の患者は窓から外をながめて、外の世界についてくわしく話をしだしました。「今日はいい天気ですよ~。青空にぽっかり雲が浮かんでいます。向かいにある公園の桜が咲き始めたところですよ」別の日には、「今日は風が強い日ですから、木の葉が揺れて、まるでダンスをおどっているようですよ~」などと、寝たきりで首さえ動かせない彼に語って聞かせてあげていたのです。彼は窓際の男性が語るその光景を想像することで、毎日毎日、心が慰められました。そして、自分も外の世界が見えるように早く病気を治そうと思うのでした。しばらくして、窓際の男性は退院することになりました。もう一人の男性は喜びました。「やった。これで、自分が外の世界を見ることができる。これからは、自分が窓の外の世界を見て新入りの患者に話して聞かせてやろう」看護師にベッドを窓際に移すように頼むと、すぐに聞き入れてくれました。しかし心躍らせて窓の外に目をやった彼は、愕然としました。窓はコンクリートの壁に面していて外の世界など何も見えなかったのです。それから彼は考えます。あの窓際の男性は、いったい何を見ていたのでしょう。彼の目に見えていたのは灰色のか壁でした。しかし想像の力で、その向こうにあるものを見ようとしていたのです。そして、ただ天井を見ることしかできず、いつも辛そうにしているルームメートのために、自分の思い描いた壁の向こうの世界を話して聞かせてくれていたのです。
同じ壁を見て、ある人はその壁だけを見ます。別の人はその先にある「希望」を見ます。状況は同じでも、見方によって世界が違ってきます。   
イエスさまは言われました。「床を取り上げて立って歩きなさい!」
あなた次第で今の状況に生きるか希望に生きるかが決まります。

心のオアシス 2013年7月21日

暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか? 私は植木のお手伝いをしているため、炎天下で作業をすることも多々あります。そんな中で神さまの恵みを学ぶこともよくあります。植木は庭師の思いのままにその形を変えていきます。たとえ無駄な枝がたくさん出ていて、見るからにみすぼらしい装いをしていても、庭師の手が加われば美しく整えられていくのです。またその枝ぶりも時間をかけて手入れされていくと、やがては美しいフォルムへと変化していくのです。私はこの様子を見ながら、人間も同じだと思わされました。それは、神さまが私たちを手入れしてくだされば、必ず祝福されていくということです。
私たちの人生は、結果が出るまで何十年もかかることがあります。「桃栗3年、柿8年」と言われます。それぞれの木が良い実を実らせるために、農園主は様々な方法で手を加えてその成長を助けています。
先日、私の植木の師匠からお聞きした話なのですが、彼が昔、吉野の下市町にいる知り合いの柿農園に傷モノの柿をいただきに行ったことがあったそうです。そこのご主人に柿の剪定の仕方や、育て方を教えていただいているとき、農園に収穫されず小さい実がたくさん残っている渋柿を見つけました。何故、渋柿をそのままにしているかと尋ねると、違う種類の柿を植えると受粉しやすく実がなりやすくなるのだと答えられたそうです。渋柿がなければ受粉しないわけではないのですが、より多くの実をつけやすくするために、そのようにしているとのことでした。
私たちの人生にも、周りには様々な人たちがいます。必ずしも甘い人達だけではありません。中には受け入れたくない渋い人もいます。でも、そのような人たちを通して、私たちが多くの良い実を結んでいくために必要な存在として農園主が植えたとするならば、それを甘んじて受け入れるべきでしょう。剪定という荒治療をされることもありますが、それも全ては私たちの将来のためなのです。時来れば多くの実を結ぶべし。

心のオアシス 2013年7月14日

先日も話題にしたアサガオですが、私は育てながら不思議に感じることがあります。ツルはもう巻き付く場所がない所まで伸びていますが、尚も絡みつく場所を求めて伸びながら探しているのです。脳があるわけではないのに、植物の中に、本能的にそのような「考える」能力のようなものがあることに気付いて驚いています。
最近のイギリスの研究者たちが行なった研究では、植物は、太陽エネルギーを利用して、二酸化炭素と水を炭水化物に転換させて、それを生育エネルギーとしています。これを光合成といいます。活動を日光に依存している植物は、日が沈むとすることがなくなるようですが、暗闇の中で過ごす時間も、植物は完全に活動を停止するわけではないそうです。夜、光が利用できないときは、昼の間、成長のために蓄積されたエネルギーの蓄えに依存しています。しかし、この蓄えは、植物が新しいエネルギーを生産できるようになるときまで、尽きないようにしなくてはならないのです。朝までにエネルギーが欠乏しないように、またデンプンの蓄えを余らせて無駄にならないように植物は利用できるエネルギーの量と、夜明けの到来まで暗闇の中で過ごさなければならない時間の見積もりを行なっているというのです。このように植物自体が一種の体内生体時計を備えていて、驚くべき計算能力を発揮して、日中蓄えたエネルギーの消費量を調整し、朝、太陽が出てくるまで、蓄えが尽きないように計算しているという研究発表です。
私たちは、植物だけではなく、この自然界の営みや、宇宙やその他諸々の法則を、当たり前のものとして何も考えなければ、それまでですが、この不思議の背後に神の完璧な業があることを悟るならば、そこに感動があります。私たちは草花や鳥よりも「神の愛」の対象として創造されました。であるならば、私たちは、完璧に造られているのです。
そして私たちの人生も神にあって大丈夫!!

心のオアシス 2013年7月7日

私はスポーツは得意ですが、水泳だけは苦手でした。小学3年生の夏休みに私は夏期限定のスイミングスクールへ行くことになりました。それまでの自己最高記録は、どう頑張っても15メートル。1ヶ月足らずの水泳教室で25メートル泳げるようになるとは想像もできません。案の定、私は一番泳げないクラスに入りました。しかし何日通っても足をつかないで25メートル泳ぎ切ったことはありませんでした。いよいよクラスの最終日のテストです。全く自信はありません。私の番になり、スタートして泳ぎ始めた時に、いつもとは違う状況に気づきました。私のすぐ目の前の進行方向に、私のクラス担当の先生がいて、泳いでいる間、ずっと私に声をかけて励まし始めたのです。疲れてきて足をつこうと思うのですが、先生が前から「よし、その調子! もう少しや! 頑張れ!」15メートルのラインに来たときに、今までここまでしか泳げませんでしたが、先生は「あと5メートル行けるでしょう! その調子ならいけるから、そのまま泳いで!」と声をかけるのです。私はその声を聞きながら、もう限界にきていたのですが、「後少しだけなら・・・」と泳ぎ続けました。結局、その励ましの声の通りにしていたらいつの間にか25メートル泳いでいたのです。ゴールした時に先生は、「よくやったな~ 泳げたやないか~」と声をかけてくれて、嬉しかったのと同時に、「もしかしたら、あのような声をかけてもらえたら、もっと泳げるかもしれない」と思ったのを、今でも覚えています。
神さまは、聖霊として、私たちのすぐ傍にいて、「もう少しだよ! 大丈夫! あなたなら我慢できるよ! 乗り越えられるよ!」と毎日毎日声をかけてくださっておられることをご存知でしょうか? 誰の愛も感じないときに「わたしはあなたを愛しているよ」と囁き続けておられる声が聞こえないでしょうか? 
「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ31の3)

心のオアシス 2013年6月30日

先日、ハンディを背負いながら生活をしておられるクリスチャン夫婦のお証を読みました。とても考えさせられる内容でしたので、本人の許可を得て抜粋します。
私たち夫婦が結婚して、8年になります。残念ながら、子はまだ主から預かっておりません。結婚後3年で、妻が入院。ずっと大変な状況が続いていますから、もしかしたら子がいなかった方がよかったのかもしれません。妻は子をもうけることを、少しためらっていました。妻:「むっちゃん、いいの?」 私:「何が?」 妻:「生まれてくる赤ちゃん、障害者だよ。いいの?」 妻は自分が「知的障害者」であることを気にしていました。子に遺伝するのではないかと。しかし、「知的障害」が遺伝するなんて話、聞いたことがありません。それに妻は、子どもの頃の虐待による脳の損傷が、「知的障害」の原因である可能性が高いのですから。問題は、私の側です。「骨形成不全症」。遺伝子の病で、骨が極端に弱い病気。しかも私の場合、「優性遺伝型」ですから、私の子は必ず「骨形成不全症」になります。ただし、どれくらいの「症状」なのかは、生まれてこないと分かりません・・・ しかし私は即答しました。私:「いいに決まってるじゃないか」 妻:「どうして?」 私:「じゃあ聞くけど、みきちゃんは自分が障害者だから、不幸だって思ったことある?」 妻:「ううん、ない」 さすがは、我が妻! 即座に、キッパリ言い切ったところが、素晴らしい! 私:「じゃあ・・・そういうことだよ。子どもが障害者だと、育てるのが大変だと思ってるの? 親が子にしてやれることは、祈ること、ただそれだけだよ。親は神さまに祈ることしか、子には何一つしてやれないんだよ」 妻:「ふーん・・・」 障害者だから不幸だ・・・。そんなこと、誰が決めつけたのでしょうか?  
神が与えてくださった人生は、どんな状況でも幸せになれるのです。
「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」(ヨハネ9章3節)

心のオアシス 2013年6月23日

時間に愛をこめることを、私は修道院に入って教えられた。アメリカで修業中のある日のこと、昼食が済み、夕食の準備として配膳をしていた時のことである。百数十名のために、長テーブルの椅子の前に一つひとつ皿やコップを並べていた時のことである。「何を考えながら仕事をしていますか」と突然、後ろから声をかけられた。私は咄嗟に、「別に何も」と答えていた。すると、その年長の修道女はきびしい表情で、「You are wasting time.(あなたは時間を無駄にしている)」と言うではないか。
手早く、一心不乱に皿並べをしている私には不可解なコメントであった。けげんな面持ちをする私に、その人は静かに、さとすように教えてくれたのである。「同じお皿を並べるのなら、夕食にそこに座るであろう一人ひとりのために、祈りながら置いてごらんなさい」
ロボットでも並べられる皿、それを、ロボットと同じに置いてはいけない、人間には人間にしかできないことがあるのだということを、その日、私は習ったのである。そして、時間の無駄とは何なのかということも。           (「愛をこめて生きる」渡辺和子著より抜粋)

信仰と社会の両立はできないと考える人たちがいますが、聖書はそうは教えていません。ローマ書において「あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい」とは勧めながら、「世に存在している権威は、すべて神によって立てられたものである・・・この世に対して、義務を果たしなさい」とも教えています。この世で義務を果たすことは、神さまが私たちに与えられた、この地上での務めなのです。ですから、この地上における一分一秒も神の栄光のために生きることを意識しなければならないのです。この社会の中にも家庭の中にも神さまはおられて、私たちが神の栄光を表す機会として与えてくださっているのです。
人間にしかできない「愛をこめて生きる」を心がけたいと思います。

心のオアシス 2013年6月16日

3年前の6月6日(日)は、関西(旧・奈良)カルバリーフェローシップがスタートした日です。石の上にも3年と言いますが、あっという間に過ぎていきました。何故か、苦労したとか大変だったという記憶が全くないのは、私が鈍感だからでしょうか? 毎週が奇跡の連続で、次はどんな不思議が起こるのだろう?と期待感に満ちていました。そして今もそれは継続しています。以下はスタートした日の週報・心のオアシスです。

今日は「奈良カルバリーフェローシップ」の誕生日です! この歴史的なスタートにお立会いくださったみなさまは幸いだと思います。大げさなことを言っているようですが、そうでもありません。世界に影響を与えるような大国であっても、また人の目には留まらないようなどんな小さな群れであっても、また有名人でも目立たない人であっても、天地宇宙を造られた神様のお許しがなければ、その存在はありえないからです。この集まりは神様の壮大な歴史の一部分を担うために誕生しました。スタートは小さくても、大きな働きです。ただ委ねて前進するのみです。
私が与えられているフェローシップのビジョンは、聖書のことを知らない初心者でも安心して参加でき、何かわからないけれども元気をもらって、癒され、チャレンジを受け、希望をもって帰っていける心のオアシスのような場所をつくるということです。ここで力を得た人たちが、今度は外でこの喜びを分かち合うことができれば最高ですね。そのことのためにシンプルなプログラムと、たとえ難解な聖書箇所でも初心者にわかりやすくお話しできるよう努力します。将来的には平日の「学び会」などを通して、聖書の世界を深めていけるような会も考えています・・・

「ダビデを助ける者が日に日に加わって、ついに大軍となり、神の軍勢のようになった。」(歴代志上12章22節)教会を助ける人たちが加わり、ついに神の軍勢のようになることを期待し祈り続けます!