礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2015年12月20日

 ある年のクリスマスイブのこと、ポールは、兄さんからクリスマスに新車をプレゼントしてもらった。彼がオフィスから出てくると、少年が、そのピカピカの新車のまわりを歩き回りながら、ポールに話しかけてきた。「この車、おじさんの?」「ああ、兄貴からのクリスマスプレゼントさ」と答えると、少年はそれを聞いてひどく驚いた。「えっ? おじさんの兄さんがくれたの? おじさんは全然お金を払わなくてよかったの?  ぼく・・・」と、少年は何かを言いかけたが、そのまま口をつぐんでしまった。「ぼくにも、こんな兄さんがいたらなあ」と言いたかったのだろう、とポールは思った。ところが、少年の口から出た言葉にポールは耳を疑った。「ぼくね、おじさんの兄さんみたいになりたいなって思ったんだ」ポールは、少年の顔を見つめていたが、自分でも思いがけない言葉が口をついて出ていた。「この車に乗ってみるかい?」「本当? ウン。ぼくの家の前まで乗せてくれる?」ポールは、きっとこんな大きな車で帰ってくるところを近所の人たちに見せて、自慢したいんだなと思った。しかし、その憶測はまたもや外れた。「そこでちょっと待っててくれる?」少年は車を降り、駆け足で家に入った。しばらくすると家の中から、少年が身体の不自由な弟を背負って出てきた。弟を階段の一番下に座らせ「ほら、見てごらん。言ったとおり、すごい車だろ。そこにいるおじさんの兄さんがクリスマスプレゼントにくれたんだって。お前も待ってなよ。兄ちゃんが、いつかきっとあんな車をお前に買ってやるからね。そしたら、いつも話してるクリスマスの綺麗な飾りを、その車に乗って見に行こう」それを聞いたポールは、少年の弟を抱き上げ、新車の助手席に座らせた。目をキラキラ輝かせた少年もその横に乗り込むと、三人はドライブに出かけた。本当にすばらしいクリスマスのドライブだった。このクリスマスの日、ポールは聖書のみことばをしみじみ感じた。「受けるよりは与えるほうが幸いである」   (ダン・クラーク氏筆)

 神さまが私たちにタダで与えてくださったもの・・・それはイエス・キリスト。滅び行く私たちが救われるためでした。  Merry Christmas!

心のオアシス 2015年12月13日

 私(佐々木炎牧師)の教会では、クリスマスに向け、トルストイの書いた「靴屋のマルチン」の劇を行うことになった。内容は・・・靴屋のマルチンは、ある夜、キリストの声を聞く。「マルチンよ、明日、あなたのところに行くよ」次の日、彼は期待して待っていた。でも、いっこうに来ない。彼は窓から雪かきをしている老人が見えたので、老人を家に招いて温かいお茶をふるまった。次に赤ちゃんを抱えた貧しい母親が通り過ぎるのを見て、彼は上着を与えた。次に通りすがりにおばあさんのカゴからリンゴを奪おうとした少年を見て急いで、少年と一緒におばあさんに謝った。夜になりマルチンは、キリストに会えなかったことに落胆する。その時、昨夜と同じようにキリストの声を聞く。「今日、私はあなたを訪ねた。あの老人も、あの母親も、あの少年も、みんなわたしだったのだ」・・・練習を重ねて本番を迎えた。拍手喝采で終わった。後片付けをしていると、教会のドアが開いた。父親の手を引いた一人の少女が立っていた。父親が事情を話した。「昨年妻が亡くなり、私たちは父子家庭になりました。今年は寂しいクリスマスになると思っていましたが、この子がチラシをいただき教会に行こうと誘ってくれました。でも仕事が入り、こんな時間になってしまいました。わがままを承知の上なのですが、この子のために、劇をやっていただけませんか?」私は早速、メンバーに事情を説明した。しかし大人たちは無理だと親子を帰してしまった。それを知ったキリスト役の小学生が大きな声で劇のセリフを大人に向けて叫んだ。「貧しい人、悲しんでいる人、苦しんでいる人、困っている人、そのような人たちの中にわたしはいます」そしてこう続けた。「本当のキリストが来たのに大人は帰したんだ・・・」私は急いで外に飛び出し、キリストを探したが、もう暗闇に父子は見つからなかった。どん底でクリスマスを迎えた彼らこそ、キリストは救い主になるために命をかけて生まれてくださったはずなのに、その希望を伝えるべき私は何をしたのか・・・私は人目をはばからず泣いた。(中原キリスト教会) 

 是非、イエスさまをお迎えして最高のクリスマスをお過ごし下さい!

心のオアシス 2015年12月6日

 私たち夫婦の其々の両親は、関西(丹波地方近接の三田市)と名古屋に在住しておりますが、毎週の孫電話と毎月の孫写真&御言葉手紙での「孫孫伝道」を8年来続けてきました。その様な中、本日早朝に3日間の関西帰省の全日程を終え、いよいよ東京に向け実家を去ろうと最後の祈りに導かれた時、「今、私の愛するあなたの母親に大胆に私の福音を伝え信仰告白に導きなさい。恐れてはならない!」と主から迫りを受けたのです。私は挑むような思いで、母にリビングの椅子に座ってもらい、その足元に膝まずき母の両手をしっかり握って、心からイエス様のお話を涙ながらに、しかしハッキリと伝えることができました。愛する母に「お母さん、今まで育てて下さり有難う、感謝しています。 僕の若い頃、多くの放蕩を尽くし、お母さんに本当に悲しませた事を赦して下さいね。お母さんが何時も僕を愛し励ましてくれていた事知っていましたよ。今僕はイエス様を信じて、素晴らしい妻と子供達と共に祝福と希望の人生に生かされています。永遠の命も頂きました。僕たち夫婦と子供たちはお母さんと天国で再会したいといつも東京で祈っているのですよ。どうかこの愚かな放蕩息子の最後の我が儘、いいえ遺言を聞いて下さい。どうかイエス様を信じて天国に行って下さい!永遠の命を受け取ってください!」と懇願すると、母は「わかったよ、わかったよ。お前を変えて下さったイエス様を信じるよ。でも今言われなくても、変わったお前やイエス様に仕えるお嫁さん、又イエス様大好きな可愛い孫たちを見ているだけで心の中では、私はもうイエス様を信じていたよ。わざわざ言わなかっただけや!」と返答してくれたのです。イエス様は祈りに答え、私が何度も母の伝道を諦めかけていた時でさえ、私の不信仰を哀れまれつつ主は決して諦めることなく母の心を導いて下さっておられたのだと改めて気付かせられ、大きな喜びと励ましを頂きました。そして私の信仰も又新たにされ感動のひと時となりました。(原田恵巳氏の文抜粋)
 
 放蕩息子の変えられた様子を見ただけで、神さまの存在を信じた・・・言葉以上に、その人の生き様が一番の証となるのですね。栄光在主!

心のオアシス 2015年11月29日

 先週、イエスさまの弟子選びの基準について学びました。イエスさまが選ばれた弟子たちを見るならば、その基準がわかるはずです。エルサレム大学へ行って、成績優秀な生徒を選んだのでもなく、一流企業へ行って、実力のある人をヘッドハンテイングされたのでも、面接をして品行方正な人を選んだのでもありませんでした。まず、ほとんどが学歴のない人たちで、気性が荒く、すぐに感情に流されてしまう人もいました。疑い深い人もいます。人格欠損ではないかと思われるような人物もいました。理解力のない人たちが大半でした。おまけに会計係には盗人を採用されました。イエスさまは弟子を選ぶために、夜通し祈られたと書かれていますが、一体何を祈られたのでしょうか? 明らかに、「神よ、能力のあるスーパーマンのような人を選ばせてください!」という祈りではなかったことは確かです。恐らくこのような祈りであったでしょう。「主よ、この世が計画するような成功を、私が計画することがないようにしてください。この世の中の権威者が選ぶような基準で、人を選ぶことがないようにしてください。主の御心がなされますように!」
 イエスさまは祈りが終わってから、山を下りると何十人も、ついてきていた人たちが集まってきましたが、出会う人出会う人に声をかけられ、出会った順番に12人を選ばれたと想像します。すなわち、ごく普通の人たちを選ばれ、その存在そのものに目を留めておられたのでしょう。

  小学生時代に、人前で発表することができなかった私が、何故、牧師として選ばれたのか不明です。何度も神さまを裏切るイスラエルの民を選民として選ばれたのか? アブラハムは、異教徒であり、自分の奥さんを妹だと偽って王に与えようとしたり、奴隷女から自分の子孫を残そうとしたりの問題児でしたが、何故、イスラエル民族の父として選ばれたのかも理解不能です。これは神秘です。しかし、この問題だらけの12人の使徒たちを通して、今や全世界に福音が広げられていったのです。
 ごく普通の人である私たちに希望があります。あなたも神さまの選びの中に入っているのです。「あなたはわたしの目には高価で尊い」(聖書)

心のオアシス 2015年11月22日

 ポーランドの有名な作曲家で、ピアニストであるパドロフ・スキーが、コンサートを開いたときのことです。聴衆の中に、あるお父さんが、この巨匠のピアノを聴かせたいと9歳になる自分の息子を連れてきていました。良い影響を与えることができればと願っていたのです。会場に入ると、ステージには素晴らしいピアノがおいてありました。コンサートが始まる前で、まだ人々が会話をしている状況で、そのお父さんも隣の人と話しに夢中になっているときに、その男の子は、そこから抜け出しました。そしてその綺麗なピアノに興味を持ってステージに上がって、なんと、ピアノに座って、唯一知っていた一曲を突然弾き始めたのです。人差し指、一本で弾ける曲でした。「チョップスティックス(おはし)」タタタタタタ♪ タタタタタタ♪ ピアノを全然弾くことができない日本の小学生も、よく弾いている曲です。この曲を弾き始めたとき、人々は、「誰だ? 誰の子どもだ!」と叫びました。お父さんが気付いたときは、後の祭りでした。そのとき、パドロフ・スキーは、ステージの舞台そでにいて、状況を察知して、上着を着て、まだ開演前で紹介もなされてないにも関わらず、ステージに出て、男の子のところに行きました。そして、後ろから「そのまま弾いて」と弾くことを促し、両手を男の子の後ろから伸ばして、男の子の弾いている旋律に合わせて、右手でアルペジオを弾き、左手でオブリガートを弾き始めました。最後の盛り上がりを弾いて演奏が終わったとき、聴衆はスタンディング・オベーション、総立ちで、拍手をしました。そして巨匠は男の子を台の上に立たせました。男の子は嬉しそうに立っていました。でも、一番嬉しかったのは、その男の子のお父さんでした。涙を流していました。その涙は息子のためだけではなく、むしろ、息子の愚かな行動に対して、この巨匠が立派なものに変えてくれたというところにありました。

 私たちも愚かな言動をしてしまったり、足りなさを覚えることもあるしょう。でも、あなたの人生を背後にいて、様々なフォローをして支えてくださっている方がいます。そのお方はイエス・キリストです。

心のオアシス 2015年11月15日

 私たちが感謝するのは、暮らしや条件が少し良くなったからではなく、恵みのゆえに感謝するのである。この恵みを悟ることができなければ、計算高い人生となり、条件や暮らし向きだけを見て、不満と不平を募らせるようになる。ある息子が、おつかいばかり頼まれるのに何の見返りもないと、母親に請求書を書いた。
 -請求書-
 「スーパーへ買い物3回で150円。居間の掃除20円。妹の世話100円。布団を畳んだこと1週間分で140円。合わせて410円」
 これを受け取った母親は、とてもおかしくて笑った後に、息子にこのような請求書を渡した。
 -請求書-
 「出産費用無料! 養育費無料! 病院費無料! 今まで食べさせてあげたものすべてタダ! 公園に連れて行ってあげたこと無料! 家族旅行費無料! 合わせて無料!」
 私たちが救いを受け、健康で呼吸をし、生きていることは、すべて神さまの恵みの連続である。そのため、私たちはすべてのことに感謝しなければならないのである。(「一生感謝365日」ゾン:クゥアン著より)
 
 もし自分が与えられていないと考えていることばかりに焦点がいけば、不平や不満しか出てこないでしょう。しかし、私たちはどれだけのものをタダで受け取っているかということに目を向けるならば、その圧倒的な量の多さに空いた口が塞がらなくなるでしょう。あなたの家の電気代は今月いくらかかりましたか? もし神さまから日光の値段を請求されたら支払うことができますか? 中東では、ドラム缶一つの水の値段がドラム缶一つの油の値段と同じだそうです。しかし水は神さまが無料でくださるものを、人が値段をつけているだけなのです。
 人間にとって本当に必要なものは、すべて神さまからタダで与えられているのです。今週も感謝感謝の毎日でありますように!   

心のオアシス 2015年11月8日

 私は30歳間際で修道院に入ることを決心し、その後、修道会の命令で修練のためアメリカに行き、修練終了後、再び命令で学位を取り35歳で日本に戻りました。次の命令で岡山のノートルダム清心女子大学に派遣され、その翌年、2代目学長の急逝を受けて思いがけない3代目の学長に任命されました。36歳でした。東京で育った私にとって、岡山は全く未知の土地であり、さらにこの大学は、初代も2代目もアメリカ人の70代後半の方が学長を務めていました。その大学の卒業生でもなく、前任者たちの半分の年齢にも満たない私が学長になったのですから、周囲もさることながら、私自身、驚きと困惑の渦中にいました。修道院というのは、無茶と思えることでも、目上の命令に逆らうことは許されないところでしたから、私も「これが神の思し召し」として従ったのです。初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続、それは私が当初考えていた修道生活とは、あまりにもかけはなれていて、私はいつの間にか、“くれない族”になっていました。「挨拶してくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」自信を喪失し、修道院を出ようかとまで思いつめた私に、一人の宣教師が一つの短い英語の詩を渡してくれました。その詩の冒頭の一行、それが「置かれたところで咲きなさい」という言葉だったのです。岡山という土地に置かれ、学長という風当たりの強い立場に置かれ、四苦八苦している私を見るに見かねて、くださったのでしょう。私は変わりました。そうだ。置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができました。それは「私が変わる」ことによってのみ可能でした。(「置かれた場所で咲きなさい」渡辺和子著)
 そしてこんな言葉に目がとまりました。どうしても咲けない時は、無理に咲かなくてもいいから、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために・・・

心のオアシス 2015年11月1日

 ある男性が耳鼻科の先生に自分の奥さんのことを相談していました。
 「最近、ウチの奴は、耳が遠くなったみたいなんだよ。声をかけても全然答えないんだよ・・・」そこで医者はこのようにアドバイスしました「ではどのくらいの難聴になっているのか、調べるために、初めは10メートルぐらいの距離から声をかけてみて、それでも返事がなければ、もう少し近づいて、5メートルぐらいから話しかけてみて、それでも返事がなければ、1メートル以内で話をしてみてください。そうしたらどの位、耳が遠くなっているかわかりますよ。」男性は、家に帰って早速実験してみました。家に入ると、キッチンの方から、とても良い香りがしてきたので、玄関から奥さんに声をかけました。「今日の夕食は何かな?」返事がありません。そしてキッチンの入り口のあたりまで行って聞きました「今夜の夕食は何ですか?」何も返事がありません。今度は、キッチンに入り、奥さんのすぐ近くで聞きました「今夜の夕食は?」すると返事がありました「これで3度目なんだけど! また同じことを言わせるの?!」結局、このご主人の方の耳が遠くなっていたというお話であります。

 このジョークを先週のメッセージの冒頭でお話しすると、ある方からこのような反応がありました。「最初のジョークのところ、いつも奥深いものを感じます。オチの予想は、できませんでした。旦那さんが奥さんに声をかけても返事がない=奥さんが聞こえない、と自分中心に結論を出した、最初の判断が間違いでした。」
 この方が感じられたように、確かに、私たちは一方的に物事を見て判断してしまうことがあります。問題が起こった時、自分以外の誰かや、回りの環境のせいにしてしまうのです。しかし、自分自身に何か非があるのではないか?という謙虚さが、早期問題解決の糸口になることが多いと思います。「どうして日本にはクリスチャン人口が少ないのか?」という問いに対してキリスト教会は、「仏教国だから」などと答えますが、教会が人々をつまずかせている可能性もありえると反省の日々です。

心のオアシス 2015年10月25日

 ピカソの作品の中に、1942年作の「雄牛の頭」という造形物があります。数十億円にもなる作品ですが、驚いたことに、この作品は捨てられていた自転車で造られたものです。あるよく澄んだ冬の日、ピカソは一人で家の近くを散歩していました。ところが、突然、周囲の風景に全く合わないものが彼の目に留まりました。一台の壊れた自転車でした。古くなって使えなくなったものを、だれかが捨てていったのです。彼はその自転車を家に持ち帰り、サドルとハンドルをはずし、サドルを逆さまにしてハンドルを付けました。そして、それを「雄牛の頭」と名付けました。ピカソはこの作品を完成させた後、満足して「ゴミでも偉大な可能性を発見すれば、それは芸術品の材料になる」と語りました。捨てられて、だれの目もくれなかった自転車が、ピカソの手によって偉大な芸術品に生まれ変わったのです。
神様はどんな人でも変えることがおできになります。「あの人は絶対変わらない」とむやみに断言してはなりません。あなたがキリストにあって変えられたことを経験したなら、ほかの人もいくらでも崩され、砕かれて、神さまの尊い働き人として用いられるのです。神様は、ある人、ある民族を必要な器として造られるために、その人や民族を崩し、壊して、そこに新しい霊を注ぎ、回復させてくださいます。これが恵みなのです。             (「神の満たし」キム・ビョンテ著)

 車が壊れたら、車屋さんへ持っていきます。時計が壊れたら、時計屋さんへ持っていきます。それぞれのメーカーの所へ持っていかなければ、何の解決にもなりません。私たち自身は、どこへ持っていけばいいのでしょうか? 天地を造られた神が、私たち人間をも造られたメーカーであるなら、そこへ持っていかなければ、本当の解決はないということでしょう。
 「人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る」(エペソ書)

心のオアシス 2015年10月18日

 ビル・ウィルソンが12歳の時に両親は離婚して、母親と二人暮らしを始めました。しかし母親は育てることが困難になり、ある日、フロリダのある街の通りに12歳のビル少年を置き去りにしました。3日間、夏の太陽の下、通りにある排水管の上に座っていました。勇気を奮い起こして、目にいっぱいたまった涙をぐっとこらえて待ちました。しかし母親は二度と戻ってこなかったのです。その通り沿いに住んでいる一人のクリスチャン男性が、少年が数日、同じ場所に座っているのに気づきました。食べ物を提供して、「日曜学校のキャンプに行かないか?」と尋ねました。「キャンプって何?」とビル少年が質問すると、「それは、きっと君も気に入ると思うよ。同じ年の子供たちが、たくさんいるし、ソフトボールをしたり、泳いだり、素晴らしい集会もあるんだ」彼は日曜学校キャンプのための費用を払って、ビル少年をキャンプに送り出しました。水曜日の夜の集会で、生まれて初めてイエス・キリストが自分のために十字架で死んでくださり、共に永遠に生きることができるように、よみがえってくださったという話を聞きました。そして説教者が、イエス様を受け入れたい人は講壇の前に集まるように呼びかけました。ビル少年は、すべてを理解できたわけではありませんでしたが、前へ進み出てひざまずきました。前に出た子ども達のために教師が行って一緒に祈り始めました。しかし、ビル少年は街角に捨てられたときの汚い服装だったからか、誰も来てくれませんでした。彼は一人で祈りました「イエスさま、どうか僕の罪を赦してください。僕の人生をおささげします」その瞬間から、自分の未来は決して今までと同じではないことがわかりました。彼は牧師となり、ニューヨークにある教会の日曜学校は世界で一番大きく成長しました。今でも送り迎えのバスの運転をしているそうです。ビル牧師は言います。「自分が捨てられたときのことを思い出しながら、同じ境遇にいる自分自身を拾ってバスに乗せてるんですよ・・・」

 皆、誰かに助けられながら生きています。一人ぼっちだと感じている人も安心してください。一番どん底で、主があなたを支えておられます。