礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2017年7月16日

 神さまの「怒り」に恐怖心を持っておられる方もいらっしゃると思いますが、その「怒り」がどこに向けられているものなのかを正しく理解すると、安心することができます。「神の怒り」のイメージを変える文章がありますので、ご紹介します。
 私は10代を過ぎ大人になるまで、父から愛しているという言葉を聞いた覚えがありません。でも、私の記憶には父の愛を初めて確信したときのことがハッキリと残っています。それは憤怒という表現に値するほど父が怒ったときでした。そしてその怒りは私のためだったのです。その日、私は家の前の通りで友達と遊んでいました。どこからか隣の町のいじめっ子が来て、私たちの方に近づいてきました。その子は私より3つ年上で、体も大きく、よく登下校時に私が行く道で待ち伏せし、暴力を振るったりしました。そして今度は私の自転車を奪い乗り、周囲をぐるぐる回りながらからかい、挙句には自転車を投げ出し、私に殴りかかってきました。私は何回か殴られ、そのまま倒れました。しかし突然、降りかかろうとしたコブシが止まったので、私は上を見上げました。なぜかその子は非常に怯えた顔をしていました。その子が私をいじめているのを窓越しに見た父が、助けに来たのです。父はその子のコートの襟首をつかみ上げました。「2度とうちの息子をいじめるな!」それで十分でした。それは私を守ってくれる、私の敵を倒し、すべての間違ったことを正してくれる、最後まで信頼できる愛でした。私は父の怒りの陰で安らぐことができました。おかしく聞こえるかもしれませんが、本当なのです。私は父の怒りを通して父の愛を確信しました。父の怒り故に、父の愛の中で安らぐことを学んだのです。(マーク・ブキャナン著抜粋)

 神の怒りは、私たちをむしばみ苦しめる“罪”に対しての怒りなのです。イエス・キリストは、私たちの“罪”だけを取り除くために十字架にお掛かりになり私たちに対する“愛”を示されました。神さまは今日も怒っておられます。その怒りの陰で、私たちは安息することができるのです。

心のオアシス 2017年7月11日(火)<堺チャペルオープニング礼拝>

 修道院が盛んだった時代に、アントニオという修道士が修道院に入りました。彼は長くそこで修練して、もう大丈夫だろうと自信を持って修道院を出ました。その時、ちょうど修道院の門前で靴屋さんが靴を直していました。修道士は彼に自分の靴を直してもらい話しかけました。
 修道士「家族は何人ですか?」
 靴 屋「子供8人に、妻と私の10人家族です。」
 修道士「収入はどれくらいあるのですか? 家族がそんなに多くては靴を直すだけではお金が足りないのではないですか?」
 靴 屋「・・・・・」
 彼は何も言わずにただ黙々と靴を直し、少ししてからこう答えました。「先生、私はただ主に仕える人たちが、長く楽に靴をはけるように最善を尽くすだけです。私の家族のことは神さまが責任を持っていてくださいますから。」それを聞いた修道士は、自分の足りなさを悟りました。

 私は神奈川県の大和カルバリーチャペルで20年副牧師としてお仕えしてきました。そして今から7年前に神さまが押し出すかのようにして関西の地での開拓伝道へと導かれました。私にとっては荒野へ出された気分でしたが、「神さまが責任を持っていてくださる。」という信仰が、私を支えました。この7年間奇跡の連続です。奈良の集会は公民館から追い出され、カトリック教会内の一室で開拓伝道を始めました。東大阪で行なっていた集会は、マンションの集会室から追い出され、他教団の東大阪福音教会が、日曜日に会堂を貸してくださいました。そして今では、石切チャペルで午前と午後の礼拝をするようになりました。追い出される度にバージョンアップしていくのです。そして何よりも素晴らしいことは、主のためにベストを尽くす人たちが教会に集まってきて恵まれ助けてくださっているということです。堺チャペルも、この奇跡の延長上にあります。これからどんなドラマが繰り広げられるか、楽しみで仕方ありません。主にある人生は楽しすぎます。ハレルヤ、感謝します!

心のオアシス 2017年7月9日

 私は神さまが、慎ましい生活をしている一人の女性を用いておられる様子をこの数年間見てきました。堺の聖書セミナーでは、与えられたもののほとんどを人々へのおもてなし料理の為に使っているのです。それは神さまの愛に応えるための彼女ができるベストでした。それから数年して、神さまは不思議な方法を用いて、この女性に、あるまとまった財を与えられました。身内の人たちは「それを自分のために用いて、楽に暮らしなさい!」とアドバイスしました。でも彼女は、「自分は、今まで生活を助けてくれた日本に、そして神さまに恩返しをして人々の救いのために教会を建てたいのです!」そしてアンテナを張り巡らせて、最善を探りました。出てきた結論は、教会をスタートするためにレストランを経営する、でした。多額の保証金と、毎月の支払いをするには、それなりの覚悟がないとできないことです。「信仰」と「無謀」は紙一重だと思いますが、私が牧師としてこの計画に反対しなかったのは、直感的に「これは神さまだ!」と思ったからです。私は、開拓を始めた当初から教会堂のためにお祈りしてきました。車を運転しながら貸店舗など見つけると、すぐに電話を入れて条件など確認して回っていました。数年前から、イタリアンのレストランを見る度に、駐車場はある、建物はお洒落、教会にするには最高だな、と考えていました。現実的には、借りるためには大きなハードルが立ちはだかっているのはわかっていました。しかし、信仰の心が「神さまの指が動けば、思いもかけない方法で、思いもかけない人を通して、いとも簡単に手に入るでしょう」と囁いていました。そしてその時を待っていたのです。今回、この女性からレストランの建物を見せられた時、畏れを抱きました。「神さまがいよいよ指を動かし始められた!」と確信したのです。そして決断してから、その女性の不足している部分を補うかのようにして、様々な人たちが、いろいろな形で助け始めたのです。神さまが少し動いただけで、ものすごい勢いで援助者が出てきている様子に、励ましと確信をいただいています。
 これが関西カルバリーフェローシップ・堺チャペルの舞台裏です。私たちの教会は、奇跡の連続で成長しています。それは誰も誇ることがないよう、神さまがそうなさっておられるのでしょう。
神さまに委ねることができる人生は、次はどうなるかワクワクです!

心のオアシス 2017年7月2日

 私に大きな励ましと信仰とチャレンジを与えた文章をご紹介します。
 
 韓東大学が創立された初期の頃、財政危機の中で、オンヌリ教会が無条件に多くの援助をしていたとき、ハ・ヨンジョ牧師は信徒の前で「韓東大学を援助した分だけ、私たちの心が広くなったのです」と告白しました。韓東大学を援助することで、ハ牧師とオンヌリ教会がかえって困難に陥りもしましたが、最も大きな報いは「心が広くなったこと」だったと解釈できるでしょう。
多くの人は、ギブ・アンド・テイクを人生の原理としています。自分にとって得にならないことには、投資をしないのです。しかし、神と共に歩む人々は、人のために犠牲になることを恐れません。条件のない寄付、惜しみないあわれみ、さらに与えることができないことへの申し訳なさ、そういった思いで生きています。彼らは、神の原理が“ギブ・アンド・ギブ(与えて与える)”であることを知っているのです。手慣れた計算をし、「どんな報いが得られるだろうか」ということだけにこだわる生き方では、決して生きて働くみことばを体験することができません。自分が持っているもの、享受しているもの、握りしめているものを手放すなら、すぐにでも死んでしまうかのように思えても、かえってそれを手放すことで、真に生きる祝福された人生を経験できるのです。何ら報いがないように思えても、人のために自分の人生を投げ出すとき、大きな恵みが得られることを経験するのです。すぐに何かを得られるところではなく、浪費しているかのように思えるところに人生をかけてみましょう。生きて働かれる神さまを経験するでしょう。
(イ・ジェフン師著「考えを考える」より)      
 
 心に刻みながら、そのような生き方をさせていただきたいと願わされました。確かに、関西カルバリーフェローシップは、開拓1年目から、「与える教会」を目指し始めて、大きく変化し、成長していきました。願わくは、いつも与え続ける姿勢を持って歩むことができますように!

 「私たちが一生を終えてこの世に残るものは、生涯をかけて集めたものではなく、生涯をかけて与えたものである」(ジェラール・シャンドリー)

心のオアシス 2017年6月25日

 私が以前にお導きしたR.M.さんのブログから抜粋してお分ちします。
 
 僕が大学時代、聖書研究会に所属していた時に書いた「証集」を紹介します。以下は大学3年生の時に僕が書いたもの。
 聖書研究会の活動に参加して3年目になりますが、最近、クリスチャンが多いサークルに3年もいてよく今までクリスチャンにならなかったなあなんてよく言われちゃいます。聖書の冒頭にはいきなり”初めに神が天と地を創造した”なんて書いてあったりします。そんなこと言われても、神様?そんなのいるのかよって思っちゃうよね。聖書を読んでいくとどうやらこうゆうことらしい。キリストが十字架にかかったのは僕の罪のためで、僕にはキリストを信じる以外に救いの道はない。そうでなければ僕は滅んでしまう。聖書からは読めば読むほどに信仰を持っていない僕にとってはまずいことばかり出てくる。これではクリスチャンにとっての恵みが僕にとっての滅びの証になってしまう。もちろん神様なんていなければ何の問題もない。でも、いないなんて確信はもてない。ひょっとして聖書のいう万能の唯一なる神がいるとするならば聖書に何の矛盾も見いだすことはできない。でも結局は自分自身で納得できない、理解できないことはどうしても真実としては受け入れられないのかも知れない。だいたい3年もいてなんて言われたって、僕にとっては、まだ、たったの3年である・・・
 うーん、なんだか本当に恥ずかしいです・・・。結局、僕はこれを書いた12年後にイエス・キリストを罪からの救い主として受け入れ、受洗しました。一時は、聖書なんかに時間を費やして、自分は一体何をしていたんだろうって思ったときもあったよ。でも、こうしてクリスチャンになって振り返ってみると、大学時代、聖書研究会で過ごした4年間の日々がとんでもない勢いで輝きだしたんだ。僕の人生の原点と言ってもいいかも知れない。今、苦しみの中にある人、挫折感や絶望感の中にある人。暗闇の中にあっても、どんなに辛くても、今、自分が見ているものに目をそらさずにしっかり見ておいてほしい。神様は、未来だけでなく、過去さえも、全部変えてくれる力を持っている。無駄?絶望?とんでもない!将来、「今」が光を放つ時がきっと来るよ。  

心のオアシス 2017年6月18日

 「父さんの宝物」という文章を見つけたので、ご紹介します。
 3年前に親父が亡くなった。ほとんど遺産を整理し終えた後に、親父が大事にしていた金庫があった。3人兄弟であるが、おふくろも既に亡くなっていたので、誰もその金庫の中身を知らなかった。兄弟家族みんなを呼んで、その金庫を開けようとしたが、頑丈で開かなかった。仕方ないので鍵屋さんを呼んで開けてもらうことにした。親父は昔からすごく厳格で子どもの前で笑ったことは一度もなく、旅行なんてほんとに行かなかった。一番下の弟が、「けっこう金品を溜め込んでるんじゃないのかな?」と言い出し、真ん中の弟も「親父が夜中に金庫の前で、ニヤニヤしながらガサガサやってるのを見たことがある」と言ったので、俺もかなり金庫の中身に期待を抱いてしまった。そのとき鍵屋さんが、「カギ、開きましたよ」と言ったので、ワクワクしながら金庫の前に行って、長男の俺が金庫のドアを開けた。すると、まず中から出てきたのは、古びた100点満点のテストだった。それを見た一番下の弟が「これ、俺のだ!」と言って俺から取り上げた。次に出てきたのは、表彰状。すると次男が「それは俺のだ!」と言い出した。その後、ネクタイが出てきた。見覚えがある。「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ!」その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきた。その中には子どもの頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきた。俺も最初は、何でこんなものが金庫の中にあるのかが分からなくて、金目のものがないことにガッカリしていた。でも、少したってから、中に入っていたものの意味が理解できたとき、その写真を持ちながら肩震わせて泣いてしまった。人前で初めて本気で号泣してしまった。

 特に日本では、寡黙で愛情表現をするのが下手な父親が多い気がします。世の中にはとんでもない親もいないわけではありませんが、その多くは、子供たちの成長を誰よりも喜び、無言の愛を注いでいると思います。でも、なかなか「愛」が伝わらなくて、悔しい思いをしているのも父親でしょう。天の父なる神さまも、あの手この手で、私たちに「愛」を贈ってくださっています。私たちのアンテナを張り巡らせたら、その愛を必ずキャッチできるでしょう。「父の日、ありがとう!」

心のオアシス 2017年6月11日

 昨年召された渡辺和子さんが、ある方に出されたお手紙を紹介します。
 お便りを書いてくださって、ありがとうございます。あなたの「負けずぎらい」が、ある意味であなたを苦しめているようですね。私にもそういうところがあるので、少しわかるような気がします。あなたは小学校の教師になりたいという幼い時からの夢を、高校入学直後、心臓が悪いということで、あきらめなければならなくなった時のショックについて書いていらっしゃいます。・・・(中略)「仕方ない」と頭ではわかっていても、つらくてつらくて仕方がなかったのですね。そして大学に入学して、今度は中学校の教師なら体育をしなくていいからと志していたのが、また膵臓炎、胃炎、胆嚢炎を併発して、この夢もあきらめざるを得なくなり、一度ならず二度までも行く手をはばまれ、人生の敗北者となり、笑顔を失ってゆく自分であったと書いていらっしゃいます。つらかったことでしょう。自分が希望するものを次々にあきらめてゆかねばならないつらさと、他人が着々と目標に近づいてゆくのを見守るつらさ・・・神さまは不公平だとお思いになったのも当たり前です。でも、あなたの偉さは、そういうつらさを味わった後に、次のように書けるところに到達したことにあります。「今日の私にたどりつくまでには、右に曲がり、左に曲がり、本当に複雑で、険しい道を歩みました。でも、そのおかげで、人生というものについて真剣に考えることができたのです。“それまでの私がいいかげんな生き方をしていたから、神さまが私に反省を促すために病気という贈物をくださったのかしら?”最近では、そんなふうに思いもします」
 あなたは「私は、私の世界を生きればいい」ということに気づいた時、心の整理ができたのです。そうなのです。あなたには、他の友人のように、旅行の思い出、スポーツの思い出、コンパの思い出はないかもしれない。病院での日々、闘病しながらの苦しい勉強の日々の思い出しかないかもしれない。でも、それが他の人にないあなた独自の思い出だと気づき、いとおしく思えるようになった時、道が拓けたようですね。

 私たちの人生で、最も重要なことは、何ができたか、できなかったか、ではなく、自分にしかない人生をいかに生きたかということなのです。

心のオアシス 2017年6月4日

 「隠れ家」という作品を通して、コーリー・テン・ブームという存在を知る人は多くいます。彼女は、オランダ人でクリスチャンでした。第二次世界大戦中、ナチスに追跡されていたユダヤ人たちを自分の家にかくまいました。しかしブーム一家は捕まり、刑務所に入れられ、何ヶ月も迫害を受けました。彼女の著書の中にこのような内容があります。
 私は、強制収容所にいたときほど、イエス・キリストが一緒にいてくれることを実感したことはありません。私たちがいた兵舎は火葬場の裏手にありました。そこでは毎日600体の死体が焼かれました。残念ながら、私と同じくらいの歳の女性はみんな殺されました。私はこの目で人が殺されるところを見たのです・・・収容所内では裸で立たされたこともありました。みんな服を脱がされるのです。そういう試練を私は7度も経験しました。最初のときが一番大変でした。とても耐えられるようなものではありませんでした。あれほど惨めで、寒い思いをしたことはありません。すると、そのとき突然、十字架にかかったイエス・キリストが目に浮かんできました。聖書には、イエス・キリストの服がはぎとられたと書いてあります。裸で十字架にはりつけにされたのです。私は、自分が苦しんだおかげで、イエス・キリストの苦しみの何分の1かが分かったような気がしました。そして、それをとても嬉しく思いました。収容所のテントは、すべて真っ黒でした。土は灰で真っ黒になっていました。兵舎も真っ黒のペンキで塗られていました。明るいものといえば、星と月の光くらいなものでした。一度、真夜中にベスが私を起したことがありました。「コーリー、神様が私に話しかけたよ、私たちが自由の身になったら、やらなければならないことが一つある。それは世界中に福音書を配ってまわること。これほど辛い思いをしてきたんだから、みんな耳を傾けてくれるわよ。私たちは、ここでイエス・キリストの光が真っ暗闇の暗さよりも強いということを経験したのだから、そのことを話すことができる。もしも困っている人に出会ったら、悩むことなどないということを教えられるわ」そしてその二週間後、私は自由の身となりました。
 
 今から2千年前、イエスさまの弟子たちは、戸を固く閉ざした部屋の中で、聖霊が与えられた時、勇気と希望と力が注がれました。今も聖霊は、私たちのうちに生き、動き、存在しておられます。だから恐れるな!

心のオアシス 2017年5月28日

 弁護士のササキ・アイザック・ミツオさんの体験談です。
 だいぶ前のことだが、シリアのダマスカスからインドのボンベイ行きの飛行機に乗った。かなり古いスイス航空の4発プロペラ機である。空港から飛び立つと、窓には何の変哲もない砂漠が連綿と続くばかりだ。あまりにつまらないので居眠りをしていたが、エンジンの異常音で目が覚めた。見ると機体左側の2発のプロペラエンジンからもうもうと黒煙が立ちこめ、火炎が噴き出していた。あわててスチュワーデスを呼んで、「大丈夫か?」と尋ねたところ、「ドント・ワォリー! ダイジョーブ!」と、英語と日本語で言い、機長に報告に行った。次第に機体は傾き、グングンと高度が落ちていった。機内アナウンスで「エンジンにトラブルが発生しました。機体を25度傾けます。上昇気流を避けるため高度を地上100メートルに下げますが、心配ありません」と発表された。引火爆発を避けるため燃料用ガソリンタンクを機外に投棄し、エアコンもストップした。灼熱の砂漠の上をすれすれに飛んでいるので機内温度は摂氏60度を越えた。それでも、スチュワーデスは顔色ひとつ変えずにニコニコして座っている。こんな機体の姿勢で安全に着陸できるのかと非常に不安になり、死を覚悟した。空港に近づくと、数台の化学消防車やテレビ報道者が待機している。もうダメだと思った。きっと、「飛行機爆発・乗客全員死亡」と報道されるに違いない。着地と同時に機体は消化剤の一斉放射を浴びた。だが無事だった。冷静なスチュワーデスのおかげで、乗客は大きなパニックに陥らないですんだ。乗客の一人が「なぜ、あんなに平気でいられたのですか?」と彼女に質問した。彼女は笑顔で、“Because I believe in Jesus!(イエスさまを信じているからです)”と答えていた。なぜイエスを信じるだけで、あれほど平安でいられるのか。イエスを信じるまで、私はこの言葉の意味がわからなかった。
 インド洋のモルジブ諸島に飛んだときに、乱気流で墜落してしまうのではないかと思うほどの機内で、怖くなって平安を求めて聖書を読むと「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」というイエス様の御言葉に不思議に恐れが完全に消え去って「あぁ、全能の神がおられる。だから大丈夫だ。たとえ死んでも、私には行くところがある」と思った。 

 「恐れるな!わたしである」(聖書)

心のオアシス 2017年5月21日

 1997年、IBMのエンジニアチームは、チェスの第一人者ガルリ・カスパロフをしのぐ「ディープ・ブルー」というコンピューターを開発しました。ディープ・ブルーは、32個の処理エンジンを持っていて、1秒間に2億手を先読みできるという優れもので、私たちの想像の域を超えています。名人であっても1秒間に2億通りの状況はもちろん、たった2つに1つを選ぶことさえできないでしょう。しかし、時計の秒針がナノ秒(10億分の1秒)を過ぎる前に、世の万事に関する先読みをされる全知なる方にとっては、2億通りを計算し選択するぐらいは朝飯前でしょう。人生を将棋のゲームとするなら、私たちは「歩」であって、神さまは将棋の名人です。私たちには次の手すらわかりませんが、神さまはすでに数10億手も先読みしておられます。そのため、自分の考えを捨てて、名人である神さまに信頼し、謙遜に従うことが百戦百勝への道なのです。
 聖書に登場する偉人たちも、信仰によって歩むことによって、希望を見出し、勇気を得ることができました。私たちの肉の目は、現実を見ることは得意とするところでありますが、もっと働かせなければならないことは、霊の目(神の視点)で現実を見るということです。神さまがナノ秒の内に、私たちの人生の数10億手も先読みされているのなら、そちらにお任せした方が、得策だと思います。神さまに「お任せする」「委ねる」とは、どういうことなのでしょうか? それは、所有権を譲り渡し自分のものだと決めていた自分の体、地位、財産、時間、能力など、権利の支配権を放棄するということです。神さまにすべてを委ねたとき、自分が所有していると思っていたものは、本当は神さまのものであって、ただ私たちに貸し与えてくださっているのだということに気付き始めます。ただ、私たちは何もしなくていいのではありません。神さまから貸し与えられているものは、私たちがこの地上において、責任をもって管理するという任務が与えられているのです。神さまにお任せする人生は安心です。なぜなら神さまが全責任を持ってくださるからです。

 「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。」(Ⅰペテロ4章10節)