心のオアシス
心のオアシス 2017年8月13日
ルカによる福音書には、ある一人の女性の姿が描写されています。彼女は、「その町で罪の女であった」というのです。恐らく売春婦であったのでしょう。イエスさまがパリサイ人の家で食事の席につかれていたとき、泣きながら入ってきて、その足元に寄り、涙でイエスさまの足を濡らし、自分の髪でそれをぬぐい香油を塗ったのです。見ていた人々は、「もしこの人が預言者であるなら自分が触っている女が誰だか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」と思っていました。
遠藤周作さんは、この出来事についてこう解説されています。
この罪の女性は、恐らくイエス・キリストの話しに耳を傾けながら、ふと幼年時代のことが心に浮かんできたのだろう。それは、自分を金で買った養父にたたかれ、泣きながら夜をあかした日のこと。しばらくしてその養父に売られていやしい仕事を始め苦しんだ日のこと。そして体中に吹き出物をつくって、足を引きずりながら、子供たちに石で追われながら、村から村、町から町をさまよい、やがて荒野で死んでいく、広場で見た売春婦であった老婆のように、自分も同じような運命をたどるであろうことを想像しました。しかし、もはやこの罪の仕事をしていく以外に生きていく方法はないと、自分の身も心も傷つけながら今日まで生きてきたのであろう。というのです。しかしイエスさまは、この女性の落とした涙を通して不幸な半生を全て理解されました。そしてこの女性に対するイエスさまのかけられた言葉は「あなたの罪は許された。あなたの信仰があなたを救ったのです。安心していきなさい」
イエスさまは、足に落ちる涙、衣にそっと触れた指先だけで、その人の人生のすべてを悟られるお方です。誰もあなたのことを理解できなくても、あなたのすべてを理解し受け入れてくださっている安心感。人は若い時代、将来のことで悩み、中年になれば、老後のことを心配し、壮年になると「どのような死を迎えるか?」ということで、悩むものです。
地上での大きな悩みは、天国ではちっぽけな事だったと気付くのです。
心のオアシス 2017年8月6日
大学を卒業し、何年か働きましたが、大きなストレスと抱えていた問題が原因で、うつ病になり、仕事ができなくなりました。私という人間は、本当に無価値で、役に立たない存在になってしまったと思いました。何をしても、何を見ても、頭は絶望感でいっぱいで、自分の感情は全く動かなくなっていました。そんな時、Fちゃんは私を教会へ誘ってくれました。自分自身でも、見捨ててしまいたくなるような私を、Fちゃんはまるで宝物のように大事にしてくれました。「私の目にはあなたは高価で尊い」その言葉が心に響きました。しかし、私はその頃、人に会うのがつらい時期で、教会へ行くことができなくなりました。あんなによくしてくれたFちゃんに対しての罪悪感から、連絡もできなくなっていました。それから、三年ほど時間が経ちました。その間に私は、教会も、聖書も、神さまも、全て忘れようとしていました。そんな私を、再び、Fちゃんは教会へ誘ってくれました。「東京に教会ができたよ」と。でも、私は、本当に行くことが怖かったのです。Fちゃんは私の行く日にあわせて仕事を休んでくれました。久しぶりに会ったFちゃんは、「会いたかったぁ!」と私を抱きしめてくれました。それから、私は一人でも教会へ行き、後ろの方に座り、誰にも話しかけられないように逃げるように帰る日々が続きました。しかし、私の心は確実に変えられていきました。メッセージで、「弱さは神の戸からの聖なる容器(いれもの)であり、神ご自身が宿りたもう至聖所である」と聞いたとき、私の涙は止まりませんでした。私の人生にマイナスとしか思えなかった弱さが、プラスへ変わった瞬間でした。この神さまと歩んで行きたい。そして、私は2004年、教会で受洗しました。私はうつ病になったことで、神さまと出会えました。頑固で傲慢な私は、自分の弱さを知ることができ、神さまに降参できました。そして、その弱さが私の宝物となりました。今は、とても平安です。何故なら、私の心の弱さの中に神さまが住んでいることを日々実感できるからです。私の人生をマイナスからプラスへ変えてくださった神さまに感謝します。 (ブログ「ことばのSweets」より引用)
心のオアシス 2017年7月30日
映画にもなっている「ベンハー」を書いたルーウォーレスという文学者は、無神論的運動をしていた人物でした。彼は5年間もの月日をかけてキリスト教を研究し、「キリスト教撲滅論」を書こうと考えました。しかし、彼の心から離れなかったことが二つあったというのです。その一つは、「どうしてあの軟弱な弟子達が、ある時期を境にして強くなったのか?」もう一つは、イエス様が十字架上で「父よ、彼らを赦してください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」この告白がいつも心に引っかかっていました。そしてルーウォーレスが「キリスト教撲滅論」の第2章を書いていた時に「我が主よ、救い主よ」とキリストを受け入れ、彼が「キリスト教撲滅論」を書くために研究に費やした5年間の全てを注いで「ベンハー」の小説を書きました。自分の個人的体験を、中心人物のジュダ・ベンハーに託して、世界に自分が救われた証しとして発表したのであります。
イエス・キリストが今も生きて働いておられることを、どうしたら人々に伝えることができるのでしょうか? 一番の方法は、主によって変えられた私たちが、その証人として、証言するということです。目撃者が証言することが一番効果的で説得力があるのです。神さまは当事者ですから、いくら「神」だと主張をしても信ぴょう性が疑われます。それを払拭するには、神さまによって変えられた人々が、体験をお分ちするしかありません。弟子たちがどうして変えられたのか? 私たちがどうして変えられたのか? それは理屈ではわかりませんが、確かに人を自分を変えてくださった方がいて、それは「神さま」だと告白できるのです。
そして自分を十字架につけた人々に「赦し」を宣言できるのは何故なのか? ある先生は「聖なる損」をすることを通して可能だとおっしゃっておられます。葛藤や言い争いが起こったとき、損をしようと決めるなら、神さまの驚くべき祝福を経験するというのです。主は「損をしてごらん。わたしがもっと素晴らしいもので満たしてあげよう」と約束してくださっています。主にある人生には、驚くばかりの恵みがあります。
心のオアシス 2017年7月23日
何年も前に一人のクリスチャンの女性が何年も前に天に召されました。そのご主人が書いた文章の内容に、大変心打たれたのでご紹介します。
2008年6月上旬、突然、左腕の痛みを訴え、MRI検査の結果、左肺に大きな影があることが分りました。その後の検査の結果、全身6箇所の骨格に多発性の転移も確認され、医学的には末期という診断でした。抗癌剤が一切効かず、日々症状が進み、体力、身体機能が衰弱し、昨日できたことが今日はできなく、歩くことも、食事をとることも手足を動かすこともできなくなり、会話の自由も困難になりました。この肺がんの末期症状の残酷とも思える現実に対して、一切、不平不満、辛さ、弱音など言いませんでした。それどころか「感謝します。皆さんのこれほどの大きな愛に囲まれて最高の人生です。ありがとうございます」など、お見舞いに来てくださる方の祝福を祈り「みなさんに出会えたことは私にとって最高でした。永遠に一緒だからね!」と苦しい息遣いの中、笑顔で微笑み、か細い声で言っていました。余りにも過酷な症状に対し私が「神様はどこを向いているのか、君を癒してくださらないのはどうしてですか」と思わず口から出てしまったとき「そういうことは言わないで。神様はいるのよ!神様はいるのよ!」と真剣な表情で私を優しくいさめてくれました。本当に息苦しい呼吸の中、か細い声での最後の言葉は、「神様、感謝します。最高です。ありがとうございます。ありがとうございます。主イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」
苦しみの極みの中、どうしてこんなことが言えるのでしょう。それは家内が本当にイエス様の愛を知り、かつ経験していたからでしょう。家内の聖書への書き込みからも明らかです。「たとえ神が私を絶望させたとしても私は神に信頼する」と書き込みがありました。見事な信仰の勇者、勝利者でした。
「それでも主に信頼します!」このような告白をしながら歩むなら、違う世界が開かれていくでしょうね。私もそう告白し続けていきたい!
心のオアシス 2017年7月16日
神さまの「怒り」に恐怖心を持っておられる方もいらっしゃると思いますが、その「怒り」がどこに向けられているものなのかを正しく理解すると、安心することができます。「神の怒り」のイメージを変える文章がありますので、ご紹介します。
私は10代を過ぎ大人になるまで、父から愛しているという言葉を聞いた覚えがありません。でも、私の記憶には父の愛を初めて確信したときのことがハッキリと残っています。それは憤怒という表現に値するほど父が怒ったときでした。そしてその怒りは私のためだったのです。その日、私は家の前の通りで友達と遊んでいました。どこからか隣の町のいじめっ子が来て、私たちの方に近づいてきました。その子は私より3つ年上で、体も大きく、よく登下校時に私が行く道で待ち伏せし、暴力を振るったりしました。そして今度は私の自転車を奪い乗り、周囲をぐるぐる回りながらからかい、挙句には自転車を投げ出し、私に殴りかかってきました。私は何回か殴られ、そのまま倒れました。しかし突然、降りかかろうとしたコブシが止まったので、私は上を見上げました。なぜかその子は非常に怯えた顔をしていました。その子が私をいじめているのを窓越しに見た父が、助けに来たのです。父はその子のコートの襟首をつかみ上げました。「2度とうちの息子をいじめるな!」それで十分でした。それは私を守ってくれる、私の敵を倒し、すべての間違ったことを正してくれる、最後まで信頼できる愛でした。私は父の怒りの陰で安らぐことができました。おかしく聞こえるかもしれませんが、本当なのです。私は父の怒りを通して父の愛を確信しました。父の怒り故に、父の愛の中で安らぐことを学んだのです。(マーク・ブキャナン著抜粋)
神の怒りは、私たちをむしばみ苦しめる“罪”に対しての怒りなのです。イエス・キリストは、私たちの“罪”だけを取り除くために十字架にお掛かりになり私たちに対する“愛”を示されました。神さまは今日も怒っておられます。その怒りの陰で、私たちは安息することができるのです。
心のオアシス 2017年7月11日(火)<堺チャペルオープニング礼拝>
修道院が盛んだった時代に、アントニオという修道士が修道院に入りました。彼は長くそこで修練して、もう大丈夫だろうと自信を持って修道院を出ました。その時、ちょうど修道院の門前で靴屋さんが靴を直していました。修道士は彼に自分の靴を直してもらい話しかけました。
修道士「家族は何人ですか?」
靴 屋「子供8人に、妻と私の10人家族です。」
修道士「収入はどれくらいあるのですか? 家族がそんなに多くては靴を直すだけではお金が足りないのではないですか?」
靴 屋「・・・・・」
彼は何も言わずにただ黙々と靴を直し、少ししてからこう答えました。「先生、私はただ主に仕える人たちが、長く楽に靴をはけるように最善を尽くすだけです。私の家族のことは神さまが責任を持っていてくださいますから。」それを聞いた修道士は、自分の足りなさを悟りました。
私は神奈川県の大和カルバリーチャペルで20年副牧師としてお仕えしてきました。そして今から7年前に神さまが押し出すかのようにして関西の地での開拓伝道へと導かれました。私にとっては荒野へ出された気分でしたが、「神さまが責任を持っていてくださる。」という信仰が、私を支えました。この7年間奇跡の連続です。奈良の集会は公民館から追い出され、カトリック教会内の一室で開拓伝道を始めました。東大阪で行なっていた集会は、マンションの集会室から追い出され、他教団の東大阪福音教会が、日曜日に会堂を貸してくださいました。そして今では、石切チャペルで午前と午後の礼拝をするようになりました。追い出される度にバージョンアップしていくのです。そして何よりも素晴らしいことは、主のためにベストを尽くす人たちが教会に集まってきて恵まれ助けてくださっているということです。堺チャペルも、この奇跡の延長上にあります。これからどんなドラマが繰り広げられるか、楽しみで仕方ありません。主にある人生は楽しすぎます。ハレルヤ、感謝します!
心のオアシス 2017年7月9日
私は神さまが、慎ましい生活をしている一人の女性を用いておられる様子をこの数年間見てきました。堺の聖書セミナーでは、与えられたもののほとんどを人々へのおもてなし料理の為に使っているのです。それは神さまの愛に応えるための彼女ができるベストでした。それから数年して、神さまは不思議な方法を用いて、この女性に、あるまとまった財を与えられました。身内の人たちは「それを自分のために用いて、楽に暮らしなさい!」とアドバイスしました。でも彼女は、「自分は、今まで生活を助けてくれた日本に、そして神さまに恩返しをして人々の救いのために教会を建てたいのです!」そしてアンテナを張り巡らせて、最善を探りました。出てきた結論は、教会をスタートするためにレストランを経営する、でした。多額の保証金と、毎月の支払いをするには、それなりの覚悟がないとできないことです。「信仰」と「無謀」は紙一重だと思いますが、私が牧師としてこの計画に反対しなかったのは、直感的に「これは神さまだ!」と思ったからです。私は、開拓を始めた当初から教会堂のためにお祈りしてきました。車を運転しながら貸店舗など見つけると、すぐに電話を入れて条件など確認して回っていました。数年前から、イタリアンのレストランを見る度に、駐車場はある、建物はお洒落、教会にするには最高だな、と考えていました。現実的には、借りるためには大きなハードルが立ちはだかっているのはわかっていました。しかし、信仰の心が「神さまの指が動けば、思いもかけない方法で、思いもかけない人を通して、いとも簡単に手に入るでしょう」と囁いていました。そしてその時を待っていたのです。今回、この女性からレストランの建物を見せられた時、畏れを抱きました。「神さまがいよいよ指を動かし始められた!」と確信したのです。そして決断してから、その女性の不足している部分を補うかのようにして、様々な人たちが、いろいろな形で助け始めたのです。神さまが少し動いただけで、ものすごい勢いで援助者が出てきている様子に、励ましと確信をいただいています。
これが関西カルバリーフェローシップ・堺チャペルの舞台裏です。私たちの教会は、奇跡の連続で成長しています。それは誰も誇ることがないよう、神さまがそうなさっておられるのでしょう。
神さまに委ねることができる人生は、次はどうなるかワクワクです!
心のオアシス 2017年7月2日
私に大きな励ましと信仰とチャレンジを与えた文章をご紹介します。
韓東大学が創立された初期の頃、財政危機の中で、オンヌリ教会が無条件に多くの援助をしていたとき、ハ・ヨンジョ牧師は信徒の前で「韓東大学を援助した分だけ、私たちの心が広くなったのです」と告白しました。韓東大学を援助することで、ハ牧師とオンヌリ教会がかえって困難に陥りもしましたが、最も大きな報いは「心が広くなったこと」だったと解釈できるでしょう。
多くの人は、ギブ・アンド・テイクを人生の原理としています。自分にとって得にならないことには、投資をしないのです。しかし、神と共に歩む人々は、人のために犠牲になることを恐れません。条件のない寄付、惜しみないあわれみ、さらに与えることができないことへの申し訳なさ、そういった思いで生きています。彼らは、神の原理が“ギブ・アンド・ギブ(与えて与える)”であることを知っているのです。手慣れた計算をし、「どんな報いが得られるだろうか」ということだけにこだわる生き方では、決して生きて働くみことばを体験することができません。自分が持っているもの、享受しているもの、握りしめているものを手放すなら、すぐにでも死んでしまうかのように思えても、かえってそれを手放すことで、真に生きる祝福された人生を経験できるのです。何ら報いがないように思えても、人のために自分の人生を投げ出すとき、大きな恵みが得られることを経験するのです。すぐに何かを得られるところではなく、浪費しているかのように思えるところに人生をかけてみましょう。生きて働かれる神さまを経験するでしょう。
(イ・ジェフン師著「考えを考える」より)
心に刻みながら、そのような生き方をさせていただきたいと願わされました。確かに、関西カルバリーフェローシップは、開拓1年目から、「与える教会」を目指し始めて、大きく変化し、成長していきました。願わくは、いつも与え続ける姿勢を持って歩むことができますように!
「私たちが一生を終えてこの世に残るものは、生涯をかけて集めたものではなく、生涯をかけて与えたものである」(ジェラール・シャンドリー)
心のオアシス 2017年6月25日
私が以前にお導きしたR.M.さんのブログから抜粋してお分ちします。
僕が大学時代、聖書研究会に所属していた時に書いた「証集」を紹介します。以下は大学3年生の時に僕が書いたもの。
聖書研究会の活動に参加して3年目になりますが、最近、クリスチャンが多いサークルに3年もいてよく今までクリスチャンにならなかったなあなんてよく言われちゃいます。聖書の冒頭にはいきなり”初めに神が天と地を創造した”なんて書いてあったりします。そんなこと言われても、神様?そんなのいるのかよって思っちゃうよね。聖書を読んでいくとどうやらこうゆうことらしい。キリストが十字架にかかったのは僕の罪のためで、僕にはキリストを信じる以外に救いの道はない。そうでなければ僕は滅んでしまう。聖書からは読めば読むほどに信仰を持っていない僕にとってはまずいことばかり出てくる。これではクリスチャンにとっての恵みが僕にとっての滅びの証になってしまう。もちろん神様なんていなければ何の問題もない。でも、いないなんて確信はもてない。ひょっとして聖書のいう万能の唯一なる神がいるとするならば聖書に何の矛盾も見いだすことはできない。でも結局は自分自身で納得できない、理解できないことはどうしても真実としては受け入れられないのかも知れない。だいたい3年もいてなんて言われたって、僕にとっては、まだ、たったの3年である・・・
うーん、なんだか本当に恥ずかしいです・・・。結局、僕はこれを書いた12年後にイエス・キリストを罪からの救い主として受け入れ、受洗しました。一時は、聖書なんかに時間を費やして、自分は一体何をしていたんだろうって思ったときもあったよ。でも、こうしてクリスチャンになって振り返ってみると、大学時代、聖書研究会で過ごした4年間の日々がとんでもない勢いで輝きだしたんだ。僕の人生の原点と言ってもいいかも知れない。今、苦しみの中にある人、挫折感や絶望感の中にある人。暗闇の中にあっても、どんなに辛くても、今、自分が見ているものに目をそらさずにしっかり見ておいてほしい。神様は、未来だけでなく、過去さえも、全部変えてくれる力を持っている。無駄?絶望?とんでもない!将来、「今」が光を放つ時がきっと来るよ。
心のオアシス 2017年6月18日
「父さんの宝物」という文章を見つけたので、ご紹介します。
3年前に親父が亡くなった。ほとんど遺産を整理し終えた後に、親父が大事にしていた金庫があった。3人兄弟であるが、おふくろも既に亡くなっていたので、誰もその金庫の中身を知らなかった。兄弟家族みんなを呼んで、その金庫を開けようとしたが、頑丈で開かなかった。仕方ないので鍵屋さんを呼んで開けてもらうことにした。親父は昔からすごく厳格で子どもの前で笑ったことは一度もなく、旅行なんてほんとに行かなかった。一番下の弟が、「けっこう金品を溜め込んでるんじゃないのかな?」と言い出し、真ん中の弟も「親父が夜中に金庫の前で、ニヤニヤしながらガサガサやってるのを見たことがある」と言ったので、俺もかなり金庫の中身に期待を抱いてしまった。そのとき鍵屋さんが、「カギ、開きましたよ」と言ったので、ワクワクしながら金庫の前に行って、長男の俺が金庫のドアを開けた。すると、まず中から出てきたのは、古びた100点満点のテストだった。それを見た一番下の弟が「これ、俺のだ!」と言って俺から取り上げた。次に出てきたのは、表彰状。すると次男が「それは俺のだ!」と言い出した。その後、ネクタイが出てきた。見覚えがある。「あ、これ俺が初めての給料で親父に買ってやったネクタイだ!」その後に次々と昔の品物が出てきて、最後に黒い小箱が出てきた。その中には子どもの頃に家の前で家族全員で撮った古い写真が一枚出てきた。俺も最初は、何でこんなものが金庫の中にあるのかが分からなくて、金目のものがないことにガッカリしていた。でも、少したってから、中に入っていたものの意味が理解できたとき、その写真を持ちながら肩震わせて泣いてしまった。人前で初めて本気で号泣してしまった。
特に日本では、寡黙で愛情表現をするのが下手な父親が多い気がします。世の中にはとんでもない親もいないわけではありませんが、その多くは、子供たちの成長を誰よりも喜び、無言の愛を注いでいると思います。でも、なかなか「愛」が伝わらなくて、悔しい思いをしているのも父親でしょう。天の父なる神さまも、あの手この手で、私たちに「愛」を贈ってくださっています。私たちのアンテナを張り巡らせたら、その愛を必ずキャッチできるでしょう。「父の日、ありがとう!」