礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2019年4月28日

 行き倒れの人を連れて帰ってきて手当てをしているマザー・テレサに向かって、「あなたのしていることは水の一滴のようなことだ。どうしてあなたは、もっと力のある社会に働きかけて、インドという国を良くしないのですか?」と尋ねる人がいました。その人に対してマザーは、「海の水も一滴の水から成り立っているのですよ」と答えたそうです。この言葉は、私にとって勇気と励ましを与える言葉となっています。
 一匹一匹のアリの作業を観察していると、とても大きなことはできないように思えます。砂の一粒を運んでいるアリ、パンくずをどこかで見つけて運んでいるアリ・・・でも、その積み重ねによって、地中に深く穴を掘り、いくつもの部屋を作り、そこで食べて生きているのです。神さまの目から見るならば、私たちの毎日の生活は、どのように映っているのでしょうか? 自分は大きな仕事をしていると思っていても、もしかしたら、神さまの目には、小さな砂の一粒を動かしているほど小さく映っているかもしれません。また自分は何もできない小さな存在だと思っていても、知らない間に神さまの大きな御業の一旦を担わせていただいていて、神さまが応援してくださっていることだってありえるのです。たとえ小さな存在であっても、誰の目にも届かない小さな働きであっても、その存在がなければ、大きな御業は起こらないのです。
 まさに聖書には、無名でありながら、イエスさまの働きに大いに貢献している人たちが多勢出てきます。国や社会を動かすことも、弱っている一人の人を助けることも、それは神の目には変わりないのです。そして、その存在とそれぞれの働きがなければならないのです。
私たちの毎日の祈り、生活、学び、仕事、何気ない会話も、小さなことですが、その積み重ねが、大きな働きへと変わるのです。教会は2千年間、コツコツと礼拝を守ってきました。しかし、それは今の時代の私たちにまで信仰の継承がなされるために大切なことでした。そして今の私たちの毎日が次世代へと続いていくのです。ありがとう!“平成”

心のオアシス 2019年4月21日

 今日はイースター。イースターとは「復活祭」とも呼ばれ、イエス・キリストが墓からよみがえられたことを記念する日です。アメリカの教会で、何年もの間、受け継がれてきた心暖まる実話があります。
 ある教会の日曜学校にスティーブンという肉体的も精神的にもかなりの弱さを持っている8歳の男の子がいました。イースターの前の日曜日に、その日曜学校の先生が自分のクラスの10人の生徒達に、空の卵の形をしたプラスティックの容器を渡しました。次の日曜日に、イースターの話に関連する物をその卵の中に入れてくるようにと課題を出したのです。次の日曜日に、生徒たちが持ってきたそれぞれの卵が開かれていきました。あるものには、命の性質を示す小さな花が入っていました。他のものには、墓からころがった墓石を意味する石が入っていました。他には色紙のチョウチョウが入っていました。それは私たちの中で起こるキリストによる生まれ変わりを表していました。そして先生はスティーブンの卵を開けました。それには何も入っていませんでした。他の9人の生徒はそれを見て笑いました。先生はスティーブンが宿題のことを理解するのが困難であることを知っていましたので、何も言わず、すぐに次の卵を開けようとしました。するとスティーブンはそれに割り込むようにして言いました。「先生、ボクの卵を飛ばさないでください。」先生は答えました。「だけどあなたの卵は空っぽですよ。」その時スティーブンは自信をもって言いました。「その通りです。その卵はイエス様の墓のように空っぽなのです! これは全ての人のための新しい生命を意味しているんです!」その年の夏、スティーブンは体の状態が悪くなって召されていきました。葬儀には何百人という人たちがきましたが、棺に入れられた10個の空の卵の形をした小さな容器の意味を知っていたのは、9人の子供達と日曜学校の先生だったというお話。
 イエスさまは今も生きておられます! ハッピー・イースター☆

心のオアシス 2019年4月14日

 1860年代、米国シカゴにホレーショウ・スパフォードというクリスチャンの実業家がいました。彼の事業は大きな成功を収め、愛する妻、息子、4人の娘たちと幸せな家庭を築いていました。通っている教会においても大きな貢献をしていました。
 1871年。そんな幸せに満ちた彼の家庭に悲劇が訪れました。シカゴの大火事によって息子を失い、彼の事業にも大きな損害を受けました。しかしそんな状況に追いやられたにもかかわらず、彼と妻は大火によって被害を受けた人々のために財と時間を費やし捧げ、多くの人々に助けと励ましを与えました。
 ある時、彼と家族はヨーロッパで休暇を過ごすために汽船を予約しますが、スパフォードだけが仕事の関係でやむなく別の便でヨーロッパに向かうことになりました。先にヨーロッパに向かった彼の妻と娘たちを乗せた汽船は航海中に船と衝突し、彼の妻は救助されましたが、娘たちを全て失いました。
 スパフォードはその悲報を受けて妻の待つヨーロッパに向かい、航行中の汽船のデッキから娘たちを呑み込んだ海を深い悲しみの中、見つめました。そんな悲しみに打ちひしがれた彼の心は誰にも慰めることは出来ないはずでした。しかし大海原を見つめる彼の心を驚くほどの平安が包み込み始めたのです。「愛する娘たちとは再び天国で必ず会える!」その慰めを直接神さまから与えられました。そしてその時に書き記した詩が、教会で愛される讃美歌となったのです。

 安けさは川のごとく 心 浸す時 
 悲しみは波のごとく わが胸 満たす時 
 全て 安し 御神 共にませば     (聖歌476番)

 人はその意のままに神が動くことを奇跡と呼びますが、本当の奇跡とは、神の意のままに人間が従うことをいうのです。

心のオアシス 2019年4月7日

 チェリストのチャン・ハンナさんは、1994年、11歳の時にロストボービッチ・チェロコンクールで優勝したことで、世界の舞台に彗星のごとく登場しました。彼女の家庭は敬虔なクリスチャンで、家族全員で就寝前に聖書を読んで、恵みを分かち合い、祈りました。そのような環境で、信仰を持って育ったチャン・ハンナさんは、沢山の人たちと出会い、世界的なチェリストとなって、影響力を及ぼす存在になりました。
 彼女はこう告白しています。「私を助けてくださる方々と出会えたのは、神さまのお導きとしか言いようがありません。決して、私ひとりだけでここまで来られたのではありません。神さまはいつも、時にかなって必要なものを満たしてくださいました。これまで悔しい思いをしたり、途方に暮れるような状況にも何度も遭遇しましたが、そのすべてのことが私を成長させるための父なる神さまのご計画の中でなされたことでした。神さまは生きておられ、すべてのことを導き、私の人生に誰よりも深く関与されていると感じます。」
 多くの人は問題に直面すると、この世で解決方法を探し、頼りになる人を探そうと必死になります。この世において人脈は大切です。しかし神脈なしの人脈は、手抜き工事と同じです。それはいつか崩れます。創世記に書かれているサラが、夫アブラハムに女奴隷のハガルを与えて、子を得ようとしたことが、後々大きな問題へと発展していったことが、その例です。神抜きの計画は、永続はしないことを歴史が語っています。人脈やすべてことを動かし、私たちの人生を先立って進み、導いてくださる神さまに出会うことを最優先にすると驚くばかりの恵みが流れてくるものです。
 私の教会開拓の特に最初の1年間は、神さまが不思議な形で、今の教会の土台となる人脈を備えてくださいました。私からアプローチしたわけではなく、主の御心に委ねていたら、神さまが出会わせてくださったという表現が一番合っていると思います。私たちが絶対に必要なコネクションは、イエス・キリストです。このお方は天と地を結ぶ架け橋です。

心のオアシス 2019年3月31日

 神が私たちの人生を導かれ、それぞれに計画を持っておられ、私たちは、どうあがいても神の意思通りになっているのであれば、もう何も成す術がないと諦め、人生を運命論的にとらえる人がいます。しかし、それは間違った聖書理解です。私たちには自由意思が与えられていて、自分自身を良いことのためにも、悪いことのためにも用いることができます。良い決断(選択)をすることもあれば、悪い決断(選択)をすることもできます。そしてこの地上では、蒔いたものを刈り取る法則に従って、喜びを得たり、悲しみを得たりしていくのです。しかしながら、神さまは、全体の時間・歴史を用いて、着々とご自身の計画を遂行しておられます。神さまにとっては、私たちが神に従ったとしても反抗したとしても、関係なく神の“時”に事を成されるのです。遅れることもなく、早まることもありません。人々が行なう悪さえも用いながら神さまは計画を神さまのタイムスケジュール通りに進めていかれるのです。これが神の主権と人間の自由意思の関係なのです。
 救いに関しても同じことが言えます。救いは神さまの側の主権によって完成されました。しかし、特定の人たちだけが救われるのではありません。聖書に「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11章28節)とあるように、救いに入る選択権は“すべての人”に与えられています。どちらの選択をするかは、私たちの自由意思に委ねられているということです。全能の神さまは、どう決断するかはご存知ですが・・・
 神さまのご意志が進められるのであれば、私たちがこの地上でジタバタ神さまに抵抗したところで、何の得にもなりません。無駄な抵抗です。ただ蒔いたものの刈り取りはしなければならないのです。どうせなら、神さまに従う選択をして、安心できる喜びの人生を歩んだ方が良いのではないでしょうか?
 「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」(箴言19章21節)

心のオアシス 2019年3月24日

 先日、「なぜ世界のお金持ちの35%はユダヤ人なのか?」という本を著者である滝内恭敬さん本人から贈呈していただきました。そこに興味深いことが書かれていました。
 よりよい人生を実現するために、世界最高峰の自己啓発に数百万円のお金をかけ、一生懸命学んだにも関わらず、多重債務、ホームレス、破産、鬱といった人生のどん底を経験した際に、自己啓発業界と自分自身に絶望し、「自己啓発や自分の努力だけでは成功できない。何か自分よりもはるか大きな権威のある存在の力がこの世にあるのではないか?」と思うようになり、調べていくうちに、ユダヤ人は世界人口の0.2%ほどしかいないにも関わらず、世界の大富豪の約35%がユダヤ人で、ノーベル賞受賞者の約35%がユダヤ人という事実に驚いたそうです。ユダヤ人成功者の具体例として挙げられているのは、Facebookのマーク・ザッカーバーグ、Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、Microsoftのスティーブ・バルマー、Dellのマイケル・デル、Starbucks Coffeeのハワード・シュルツ、GAPのドナルド・フィッシャー、映画監督のスティーブン・スピルバーグなど、ほんの一部ですが、これだけ見ても世界の経済を牛耳っているのは、ユダヤ人といっても過言ではありません。そして著者が行き着いたところは、彼らはみな「聖書」がベースにあるということです。ユダヤ人は、必ず幼少期から旧約聖書に触れています。日本の歴史上の人物の中でも、西郷隆盛や夏目漱石も聖書を読んでいたと言われ、福沢諭吉は息子たちに書いた“ひびのおしえ”の中で「天道様を畏れ、これを敬い、その心に従うべし。ただしここにいう天道様とは、日輪のことにはあらず、西洋の言葉にてゴッドと言い、日本の言葉に翻訳すれば、造物者というものなり」と書いていて、聖書に大きく影響を受けていたことは間違いありません。そこで滝内氏は、聖書の内容をビジネスに適用しはじめるようになり、今では豊かな恩恵を受けるようになったというのです。
 みなさん、聖書を読んで得する人生を歩みませんか?! 聖書には、生きるための知恵が盛り沢山。読んでもわからなければ是非教会へ!

心のオアシス 2019年3月17日

 人が囁きました「神様! 私に語りかけてください」
 そのときにヒバリが歌いました。しかし人には聞こえませんでした。

 人は叫びました「神様! 話してください」
 するとカミナリが空に響き渡りました。しかし人には聞こえません。

 人は見回して言いました「神様! あなたを見させてください」
 すると星が明るく輝きました。しかし人は見ませんでした。

 人は大きく叫びました「神様、奇跡を見せてください」
 すると、生命が誕生しました。しかし人は気づきませんでした。

 人は絶望の中で、大声で泣き叫びました「神様、触れてください。ここにおられることを教えてください」
 そこで神様は手を伸ばし、その人に触れました。しかし人は、そのチョウチョを払いのけました。そして、歩き続けました。

 私は神様が、小さな単純なできごとの中にも、私たちの周りにいつもいてくださるということを示して下さっていることに気づきました。

 祝福を逃してはいけません。なぜなら、それはあなたの期待通りにくるわけではないからです。 (作者不明の英詩を翻訳引用)

 先日は脳出血で倒れたお方のお見舞いに行かせていただいて、左手が動かない不自由な中におられる姿を見ながら、私たちは毎日、当たり前のようにして話し動き生活していますが、当たり前が当たり前ではなく、実は奇跡と恵みの連続なのだなと思わされました。私たちは何気ない毎日を感謝しているでしょうか? 今日も神さまに気付けますように。

心のオアシス 2019年3月10日

 私たちの教会では、今、旧約聖書の創世記から順番に学んでいます。アブラハムの人生から、様々なことを学ばせていただいていますが、その中でも驚くべき発見は、今から約4千年前に存在したアブラハムという一人の人の決断が、今の時代に良い意味でも悪い意味でも多大な影響を及ぼしているという事実です。彼が天地宇宙を造られた神を信じ、その言葉に従うという決断をしたことによって、今や全世界に福音が宣べ伝えられ世界人口の約3分の1が創造主を信じるに至っています。当時は、世界の中でアブラハムしか創造主の信仰者はいませんでした。まさか彼は4千年後、世界中にその信仰の子どもたち(継承者)が生み出されているなどとは想像もしなかったことでしょう。
 それと同時に、アブラハムは、神さまから「あなたの子孫は空の星の数ほどになろう」と約束されましたが、自分の妻サラが不妊症で年齢も進んで、子孫を増やすことが難しい現実に直面し、神の時が待てず、自分たちの考えと方法で、子孫をつくることを急ぎました。すなわちエジプトから連れてきた奴隷のハガルという女性を通して子どもを産ませようとしたのです。やがてイシマエルという息子が与えられましたが、それは神さまのお考えではありませんでした。聖書ではこれを「肉の働き」と呼んでいます。その後、神さまは本妻であるサラを通して、約束の子孫を与えると言われ、神さまの時にサラからイサクが生まれます。この腹違いの2人の兄弟は、やがて仲違いになっていきます。イシマエルは、アラブ民族の先祖となりました。そして神さまが言われたように、その子孫は、歴史を通じて他の民族に、特にイスラエル民族に敵対して生きてきました。今の中東問題は、この奴隷の女性から生まれたイシマエルと、本妻の子どもイサクの兄弟喧嘩の延長なのです。その当時はただの兄弟喧嘩ではありましたが、時代の流れの中で、それぞれの兄弟から民族が形成され国が建てられ、今や国同士の問題に発展しているのです。
 私たちはなかなかそこまで想定できませんが、日々の決断が後の日に大きな影響を与えていくのです。願わくは信仰の決断ができますように。

心のオアシス 2019年3月3日

 石油会社に入社した若い時代のロックフェラーは、石油缶の自動はんだ付けがきちんとできているかをチェックする、簡単で単純な仕事を任されていました。6ヶ月が過ぎて、とうとう我慢の限界に達し、上司に仕事内容の文句を言ったロックフェラーに向かって、責任者がこう言いました。「夢を大きく持っているなら、今、単純な仕事をしていたとしても、どうすれば人よりも上手くできるかを悩みなさい。そして、世の中に大切でないことは何もないということを肝に銘じなさい!」この言葉を聞いたロックフェラーは、一生懸命仕事をし始めました。そして溶接剤が自動で落ちる量と速度を詳しく観察して研究し、溶接する石油缶の蓋に溶接剤が39滴落ちることを確認しました。彼は緻密な計算をして38滴で石油缶の蓋は完全に溶接できると考え、38滴型溶接機を開発しました。これを用いれば、石油缶ごとに溶接剤を1滴ずつ節約することができるのです。たとえ1滴でも、1年で5億ドルも節減することができるのです。この一滴は、後にロックフェラーを石油王として成長させるきっかけとなりました。
 私たちも長い間待つことで疑いを抱いたり、苦しみのために視野が狭くなったりもします。混乱して神さまに忘れられたように感じる時もあります。しかし、その時がどんな時であるのかを見分けなければならないでしょう。何よりも、時が満ちる最後の時まで、ベストを尽くしながら耐えることが必要です。忍耐できないのは、神の介入が必ずあると確信していないか、あるいは信じることができないからです。
 
 「忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。」「あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。」(ヤコブ5章)時は神が定められ、神の時は必ず来ます。その時が来ると、驚く早さで状況が変化するでしょう。今週も期待しましょう!

心のオアシス 2019年2月24日

 マクドウェル氏が12歳の時の出来事を回想録にこう書いていました。
 私はリトルリーグの準備をしていました。初試合が始まる前、父は、「コーチ、子どもたちにアイスクリームを食べさせてあげてください」とアイスクリーム券をコーチに差し出しました。「どうもありがとうございます。初勝利をあげたら、食べさせましょう」とコーチがにっこり笑って答えると、父は頭を横に振りながら言いました。「最初の試合に負けたら食べさせてあげてください。」コーチは、けげんそうに父を見つめました。「コーチ、私は子どもたちが勝つよりも、努力したことを認めてあげたいのです。そして、何よりも、子どもたちが神の似姿に造られた存在であることを喜びたいのです。それは、野球の勝敗とは何の関係もないことです。息子が一生勝てなかったとしても、わたしは息子を変わりなく愛して受け入れるつもりでいます。」その日、私は父が無条件に私を受け入れてくれることを悟りました。
 負けたチームに賞を与えるのは、実におかしなことですが、聖書を学びながら思うことは、神のやり方は、もっとおかしいということです。どうして神を忘れ自己中心に生きる人類を、見捨てることをせず次なる救いと祝福の道を備えられ続けるのか? 何故に何度も裏切るイスラエルの民を諦めずに赦し続け、受け入れることができるのか? イエスさまの弟子たちは、人格者であったり優秀と言えるような人は見当たらないばかりか、いざという時、すぐイエスさまを見捨ててしまうお粗末な存在を、どうして愛し通されたのか? そして神さまの御心と愛を拒絶する、所謂「神の敵であった私たち」のために、罪のさばきの身代わりになるために、この地上に来てくださり十字架にかかり死んでくださいました。これらの神さまの行為は、意味不明です。でも、それが究極の愛の形だということが言えます。条件に適合していれば愛し、そうでなければ愛さないというのは、それは本当の愛ではありません。 
 「しかしまだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示された。」ローマ5:8