礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2018年12月30日 

 今年も残り少なくなりました。この時期になるといつも一年を振り返って感謝を神さまに捧げるようにしています。そしてその感謝は、関西で開拓を始めた8年前にさかのぼります。当初は、礼拝できる集会所の一室があり、3人の方が来てくださることに感謝していました。それから毎年のようにして不思議なことが起こりました。子どもの数が少しずつ増えてきた時に、道本賢司先生が、「是非とも開拓をお手伝いさせてください!」と自ら私たちの教会に飛び込んでこられました。教会のホームページを充実させる必要が出てきた時に、その道の達人が教会に加えられました。集会所から追い出される事態になった時、藤長先生が快く東大阪福音教会の石切チャペルを貸してくださいました。そして遠い未来の夢であった聖歌隊がこんなに早く結成されようとは想像していませんでした。娘が牧会を手伝ってくれるようになってヤングチャペル(中学生礼拝)会や青年会が出来上がり、礼拝の音楽の奉仕などを中高生が仕切るようになるとは、夢のまた夢でした。そして礼拝前に強制的?にコーヒーをサービスする教会になるなんて、これも想定外でした。関西聖書学院から毎年神学生が派遣されて助けてもらえるようになりました。ダンディーな男性たちの有志がカルテットを、愛らしい子たち?のフラダンスチームも結成されました。昨年には役員の方々が選出され、堺にレストラン教会まで与えられました。表ばかりの奉仕だけではなく、裏で祈ってくださり、静かに礼拝に出席される方、チラシを配ってくださる方、献金をしてくださる方、誰に言われるわけでもなく掃除をしたり、ゴミを持って帰ってくださる方々、その他様々な方々の働きによって、教会は支えられています。開拓当初はすべて私一人でしていましたが、神さまが必要な時に、必要な存在を周りに置いていてくださっていることに不思議を感じ、感謝が尽きません。
 私たちの歩みは、誰かによって支えられていて、その背後に神さまの手の働きがあるということを知る必要があると思います。今年も奇跡の連続でした。そして新しい年も、それは継続するでしょう。良いお年を!

心のオアシス 2018年12月16日

 1897年、バージニアという8歳の少女から、「サンタクロースって本当にいるの?」いう質問の手紙を受け取った「ニューヨーク・サン新聞」の記者は、それに対して新聞社の顔ともいうべき社説に、その答えを書きました。それが、世界中で大反響を呼び、世界で最も有名な社説のひとつとなり、本にもなりました。やりとりの内容はこうです。

ニューヨーク・サン紙さま
わたしは、8才の女の子です。私の友だちは「サンタクロースなんていない」と言います。パパに聞いたら「もしサン新聞の記者さんに聞いて、サンタクロースが本当にいると言われたら、そのとおりだと思うよ」と言いました。だから本当のことを教えてください。サンタクロースは、本当にいるのですか? バージニア・オハロン 西495番街115番

バージニアへ
君の友だちは、まちがっていますよ。その子たちはきっと、疑い病にかかっているのだと思います。人は自分に見えるものだけしか信じないし、自分の小さな心で理解できないことは何でも否定してしまいます。
 もし、サンタクロースがいないとするならば、あなたは手に触れられるもの、目に見えるもの以外で、幸せを感じたことはないですか? 目に見えなくても、手に触れられなくても、幸せって感じられるはずです。ひょっとすると、それがサンタクロースなのかもしれませんね。
1897年12月24日 ニューヨーク・サン紙

 “信仰”とは、現実には“無い”と思われるものを、“在る”と信じ、それがあたかもあるかのようにして生きることです。神様は目で見えなくても、手で触れることができなくても、たとえその存在を否定したとしても、どのような人の中にも、確実に共に生きて働いておられます。そして、クリスマスは、その存在が明らかにされた日です。
「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」(ルカ2章11節)

心のオアシス 2018年12月9日

 ミルトン・エリクソンという心理学者と、あるおばあさんの実話です
 ある時、エリクソン博士の旅行先に、お金持ちのおばあさんが訪ねてきて言いました。「私はお金に不自由は全くなく、大邸宅に住んでいます。イタリアから取り寄せた見事な家具に囲まれて、コックが毎日、素晴らしい料理を作ってくれます。園芸は好きですが、身の回りのことは全部メイドがやってくれます。けれども私ほど不幸な者はいません。寂しくて寂しくてたまりません」博士はその話を黙って聞いていました。「わかりました。あなたは教会に行きますか?」「時々行きます」「では、あなたが行っている教会の人たちのリストを作って、誕生日を書き入れてもらいなさい。そしてあなたは、育てた花に綺麗なカードを添えて、誕生日が来た人の玄関前に、置いておきなさい。ただし、あなたからということは知られてはいけませんよ。もしそれで幸せになれなかったら、また私のところにいらっしゃい」と博士は言いました。その老婦人は、さっそく試しました。朝三時に起きてこっそり鉢を届けるようになりました。そのことが町では「天使が来た!」と評判になりました。その人はエリクソン博士に電話をかけて、「宿題は成功しています」と報告しました。博士は「あなたは、まだ不幸ですか?」と聞くと、老婦人は「えっ、私が不幸だなんて・・・」と答えます。「でも、あなたは半年前に私のところに来て、『私は、お金もあるし立派な家もあるけれど、寂しい』と、私に話したではありませんか?」とエリクソン博士が言いました。 
 3ヶ月が経ったクリスマスの朝、その老婦人からエリクソン博士にまた電話がかかってきました。「先生、今日のクリスマスほど不思議なクリスマスはありませんでした。門のそばに置いた大きなクリスマスツリーの下に、私の必要なクリスマスプレゼントがたくさん置かれていました。誰から贈られたのかわかりません・・・」エリクソン博士は言いました。「是非、受け取ってください。あなたが庭に種を蒔くと、その種は花になってあなたのところに返ってきます。あなたは小さい種をいっぱい蒔いたから、立派な花になってクリスマスに返ってきてくれたのですよ」

心のオアシス 2018年12月2日

 どん底からサンタクロースになった男の実話です。
 場所はアメリカ。ラリーという青年は、貧しい家で育ちで、「お金があれば幸せになれる!」と信じ会社を設立。しかしわずか数カ月で倒産し、8日間飲まず食わず街を徘徊していた。気がつくとレストランで食事をしていた。彼の前には19ドルちょっとの数字がかかれた伝票が置かれた。無銭飲食で捕まる覚悟を決めた彼に、レストランの店主が意外な行動をとった。「あの、これ落としましたよ」と言って、20ドル札を差し出したのです。「店主の勘違いだ」と思いながらも、それを払って難を逃れた。「ラッキー!」その時はただそう思った。そして4年後、再び会社を設立するが、また倒産する。借金は膨大に膨らみ、銀行強盗をしようと、ピストルを出そうしたまさにその時、4年前の記憶がよみがえった。「あの20ドル札は本当に落し物だったのか?!」確かめるために、レストランに行くと、店主は意外な事を言った、「クリスマスは誰もが幸せになれる日なんだよ」銀行強盗をしなかったのも、その時無銭飲食でつかまらなかったのも、あの時の20ドル札のおかげだった。ラリーは今度こそ改心し、コツコツと働く道を選んだ。やがて結婚し子供にも恵まれた。 
そんなある日のクリスマス。彼はサングラスで素顔を隠し街に出た。そして銀行の預金を全額おろして20ドル札に替えて、なんと街でお金に困っている人たちに配って歩いた。人々に感謝されて、ラリーは嬉しかった。ラリーは、人々の役に立つ仕事をしたいと長距離電話の会社を設立したが、今度は大当たりで、年収もかなり稼ぐ会社になった。裕福になってからも、ラリーは27年間、名前を明かさず20ドル札を配り続けた。およそ700万人の人に、総額約1億8千万円を配った。そして2007年1月、ラリーは癌のため永眠。しかし、その年のクリスマスにもサンタは現れた。彼の遺志を引き継いだ者たちが20ドル札を配ったのだ。
 自分が満足したらそれでいいのかもしれない。しかし、自分が大変な時にこそ誰かの為に生きるなら、それ以上のものが返ってくる。 
 神がこの世にひとり子を与えてくださった。これがクリスマスです。

心のオアシス 2018年11月18日

 リバイバリストとして広く知られているイ・ソンボン牧師(1900~1965年)は、次のように感謝したそうです。「私は、自分の元手がゼロの状態で生きてきたので、貧乏になるかと思ったが、かえって金持ちになった。驚くなかれ! 私の資本がどれくらいあるかというと、およそ12億円である。なぜか? 私の身体を作ろうとすれば、ドイツのような科学が発達した国でも、2億円するという。19歳の時に妻に出会ったため、それだけでも、もう4億円である。さらに、愛する娘が4人いるため、すでに12億円の財産がある。私は家に帰るたびに、自分を12億円所有している富豪だと考え、感謝している。もし神さまが私を呼ばれて死んだとしても、損することなど何もない。なぜなら、神さまが下さったこの高価な身体をお返しするだけだからだ。私はこのような人生観をもって生きているので、私の人生はいつも平安で感謝なのである」
 「どんな時でも人は笑顔になれる」渡辺和子著の中から、もう一つ・・・
 修道服についている大きなポケットを私は「神さまのポケット」と呼んでいます。挨拶や笑顔を、たとえ返してもらえなくても、傷ついたり腹を立てたりするのではなく、自分から挨拶や微笑みをするたびに、神さまへお渡しできるものがポケットに貯まっていくと考えるのです。神さまへお渡しできるものをポケットに貯めておいて、一番いい時に一番いい人に使ってくださるようにと、神さまと約束するのです。私も年齢的にあちこちに出かけていける機会が少なくなっていますが、そんな時にも「今、さみしい思いをしていらっしゃる、おじいちゃま、おばあちゃまがいらしたら、神さま、私の代わりにその方を慰めてください。誰かよこして、そして言葉をかけてください」とお願いするのです。そのためにも、「神さまのポケット」にたくさん貯めておかなければいけません。嫌な方とすれ違っても笑顔を見せる。その笑顔は、見た目には相手の方に対してでありながら「それも神さまに差し上げます」という思いで実行するのです。すると不思議なことに、ちっとも損した気がしなくなります。

 つまらない日々も“神”を絡めると得した気分になります!

心のオアシス 2018年11月11日

 先日、ある方からメールを受け取りました。この方は、10年ほど前、左顔面痙攣のため脳血管神経減圧手術を受けられ、1回目の手術は失敗。毎日40錠以上の薬を飲みながら戦っておられました。2度目の術後に痙攣は治まったものの、メンタルが壊れ始め、手足が痺れたり、頭痛などの後遺症で悩まされる日々でした。それから数年後、私たちの教会へ導かれ、神さまを信じて受洗されました。それからも季節の変わり目や気圧の変化で身体中の激痛に悩まされてきました。そんな方からのメールに、私自身が励まされました。
 「病院に入院しました。先週から酷い頭痛で悩まされMRI検査をしましたが、『血管が詰まったのではなく後遺症の症状なので気を長くして仲良く付き合ってください』と医師から言われました。今更のことではないのですが、なかなか熱も下がらなくて痛みの強さで吐いたりしています。この2,3日前から左の手足の痺れが、今までよりもずっと強く原因もわからなかったのですが、結局は術後の後遺症とのことでした。今は心身共に凄く辛いのですが、考えてみれば自分一人で何も出来なかった時に、いつも助けてくれる方々が傍に居てくれました。主に感謝です! 感謝しきれない神さまの偉大な愛を感じています! 最近はよく泣いていますが、たぶん半分くらいは感謝の涙だと思います。残りの半分も少し時間がかかるかもしれないですが、たかが100年の地上での人生のことであるなら、またつまずくことがあったとしても、天の父なる神さまに信頼して愛して、前向きな姿勢で頑張っていきたいと願っています。いつもありがとうございます。先生のメッセージを聴いて、まだ一歩ですが前に進むことができました。お祈りに心の底から感謝しています。私の小さなうめき声まで、すべてわかってくださるイエスさまに、今日という日を感謝します。」
 私はこの方のために祈る時に、「主よ、いつまでなのですか? 早く癒してあげてください!」と文句を言っています。しかし、現状は変わっていなくても感謝しながら歩んでおられる姿に、大変励まされています。

心のオアシス 2018年11月4日

 「なぜ、神を求めなければならないのですか? 別に神がいなくても生きていけるし、現に、こうやって生きているではないですか? 私に神は必要ありません。」という人に、出会ったことがある。神を否定する人生とは、徹底して無意味に生きることなのです。創造主を認めない無神論とは、①人間存在は偶然で、本質的には無意味。②人生とは目的のない空虚な時間。③絶対的な価値基準や善悪の基準はなく、すべての行為は無意味で、善悪もない。④死とは、すべてが無になること、なのです。そんな無意味な人生をどのように生きるかというと、その時その時の自己満足を求めて、気晴らしや暇つぶしをするということになります。愛や友情や平和や人格なども本質的に無意味であって、それらに暇つぶし以上の意味を認めることは、無神論の立場に反することになるのです。 
 私たちは、知識や技術の取得、仕事、恋愛、結婚、家庭の形成、新しい命の誕生、子育て、死など、すべての営みが無意味であることを、見据えながら生きていくことができるでしょうか? 私の友人が、学生時代に、無神論を貫こうと決心し、何事にも意味や目的がないので、授業にも出ず、朝から晩までパチンコ屋に入り浸りの生活を続けたそうです。しかし、意味を認めずに生活することは、心のどこかで自分を欺かない限り不可能であることがわかり、実際には意味を求めて生きている自分に気づかされ、人間は無神論では生きられないことがわかったそうです。
 人間は本来、自分のアイデンティティー、人生の意味や目的を求め、自分が役に立っていることに充足を感じ、絶対的な価値観・倫理観を求め、愛し愛されることに意義を感じます。そして永遠的で変わらないものを求めています。これは創造主が私たちに、神を求め続けるようにと、心の中に空洞を設けられたのです。ですから神との出会いがあって初めて人間存在は意味を持つようになるのです。つまり、人間は神なしでは、満たされないようにセットアップされ造られているということなのです。 
 是非とも「私を創造された神さま、私はあなたを受け入れます!」と本気でお祈りしてみてください。不思議なことが必ず起こりますよ!

心のオアシス 2018年10月28日

 現在の世界人口は69億人ですが、この人類統計比率から、このような計算をした人がいます。もし、あなたが今朝目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることが出来たなら、あなたは今週生き残る事のできないであろう100万人の人たちより恵まれています。もしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も経験したことがないのなら、あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。もしあなたが苦しめられることや逮捕拷問または死の恐怖を感じることなしに教会の礼拝に行くことが出来るなら、あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています。もし冷蔵庫に食料があり着る服があり、頭の上に屋根があり寝る場所があるなら、あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら、あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの一人です。もし、あなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら、それはとても稀なことです。もしこのメッセージを読む事ができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう。何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。
このデータを知ったみなさんは、今置かれている環境に不平を言いますか? これは貧しい人たちや、弱い人たちと比べて優越感を持つために書かれたものではありません。このデータを計算した人が言いたいことは、「私たちがどれほど恵まれた環境の中にいるかを自覚してくださいよ」ということなのです。まだ不平不満がありますか?
 英国・エコノミスト誌の調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)」が発表した「世界で最も住みやすい都市ランキング2018」ではウィーンが1位、メルボルンが2位、そして何と大阪が堂堂の3位でした。そして東京は7位。なんと日本の都市がベスト10に2箇所も入っているのです。これでも尚、不満があるならば、神さまへどうぞ。

心のオアシス 2018年10月21日

 私たちの教会が支援している中に、ニューヨークの貧民街で伝道をしているメトロ・ミニストリーズという団体がある。今年8歳になるフィリピンのルーセル・パディオス君は、ここを通してサポートしている。  
 団体のリーダーのビル・ウィルソン先生は、毎週2万人以上の子供たちが集まる世界最大の日曜学校を行なっています。先生は、子どもの頃、母親に置き去りにされました。シングルマザーであった母親が、「もうダメだわ、やっていくことはできない・・・」そういって、通りの消火栓の前で「ここで待っていなさい」と言い残したまま姿を消しました。彼は、その消火栓に座ったまま3日間待ち続けました。しかし、母親は帰ってきませんでした。3日目にクリスチャンの男性が、消火栓にずっと座っている少年を見つけて家に連れ帰り、食べ物を与え、クリスチャンの子どもキャンプへ参加させました。そこには各地からたくさんの子どもたちが集まっていました。慣れない場所に来たビル少年は、隅の方に座っていました。その夜の集会で牧師が話し終わり、最後に招きがありました。「もしイエス・キリストを信じたいなら前に出てきてください」 ビル少年は、聖書の話は初めてだったのですが、何か引き付けるものがあって前に進み出ました。決心した子どもたちが集まると、カウンセラーが出てきて、一人一人の子どもたちの所へ行き、一緒に話したりお祈りをしたりし始めました。しかし、母親に置き去りにされた時の汚い服、やぶれたズボンを履いたビル少年のところには、誰も来てくれなかったのです。ビル少年は、一人でこう祈りました。「神さま。僕を導いてください。」その時、カウンセラーは来てくれませんでしたが、イエス様が来てくださいました。大きな恵みの衝撃を受け、神さまの愛で包まれました。そして今現在、誰もできないような大きな働きをしておられます。  
 先生はミニストリーの長になっても、未だにスクールバスを運転しています。彼はこう言います。「捨てられた僕を拾ってくれた人がいます。そして今日があるのです。僕は、あの捨てられた自分を思い出しながら子どもたちを拾い上げています。」私も同じ気持ちで福音を伝えています。

心のオアシス 2018年10月14日

 19世紀、プロイセン王フリードリヒ2世は、聖書の真理性についてチャプレンと討論しました。当時の王は、フランスの理神論者ヴォルテールの影響を受け、聖書を信じずに疑っていました。「あなたの聖書が本当に神から来たものか、その証拠を簡単に説明してみよ。」王の質問に、チャプレンはこのように答えました。「一言で申し上げることができます。イスラエルです。」チャプレンの答えに、王は沈黙しました。チャプレンは、数え切れないほどの苦しみと迫害を受けたイスラエルが今も存在するという詩篇129篇「今イスラエルは言え、『彼らはわたしの若い時から、ひどくわたしを悩ました。しかしわたしに勝つことができなかった。』」のみことばを証拠としてあげたのです。神さまの助けと守りと導き以外に、イスラエルの存在を説明できるものはありません。
 イスラエルは、民族が初めて形成された「若いころ」(詩129:1)に、エジプトから激しい迫害を受けました。イスラエルの数が増え続けると、エジプトの王パロはイスラエルに男の子が生まれたら殺すよう命令しました。このような、虐政の下でモーセが生まれました。イスラエルは士師の時代にも、ペリシア、アッシリヤ、モアブ、アモン、エドムなどに囲まれ、脅威にさらされていました。民族も南北に分裂し、北イスラエル王国は、シリヤ軍隊の侵略と圧迫を受け続け、後にアッシリヤによって滅ぼされました。南ユダ王国は、バビロンによって滅ぼされ、その後にもユダヤ人は、ギリシヤとローマ、中世紀にはヨーロッパ、20世紀にはナチスの激しい迫害を受けました。歴史を知る人は、イスラエルがどの時代においても、どれほど迫害されてきたかをご存知でしょう。しかし、敵はイスラエルに勝利することができませんでした。神がイスラエルと結ばれた契約を守られたからなのです。この国だけは、これからも絶対に滅ぼし尽くすことはできません。神の約束があるからです。
 しかし、イスラエルが滅ばされないのは、「イスラエルを通して、すべての国民が祝福されるため」(創26:4)なのです。私たちも、神さまとの平和条約を結んでいるならば、苦難や試練を恐れる必要はありません。