心のオアシス
心のオアシス 2021年4月11日
今から11年前の4月に関東から関西に帰ってきた。教会開拓を始めるために、最初の2ヶ月は近辺の教会を勉強させてもらった。不思議な再会を通して一人の協力者を得て、6月から午前の礼拝をスタートした。午後は数名集まっていた奈良の実家でメッセージをさせてもらっていた。一人の会衆を前にして、ギター一本で賛美を導き、司会も説教も一人でしていたあのころが懐かしい。勿論、一人だけの礼拝者も前に座って一緒に礼拝を捧げ、礼拝後の後片付けを率先してやってくださった。あれから11年が経過した。振り返ってみると、最初から協力者・奉仕者が途絶えることはなかった。「あれは主だ!」と確信をもっていうことができる。数年前にある方が、「えぇな~、最近、教会らしくなってきたわ~」と言われたことが印象に残っている。気が付けば奏楽者が与えられ、聖歌隊やフラダンスチーム、ハンドベル・トーンチャイムのチームがご奉仕してくださるようになり、男性コーラス“なにわいけめんず”まで結成され、男の絆が深められている。小学生のキッズクラスや中高生のヤングチャペルも行なわれている。数年前に堺市にも教会を開拓し始め、日曜学校も行なわれている。すべては創造主なる主のお働き以外にありません。そして今、石切チャペルでは、土地購入と会堂建築にチャレンジしようとしている。当初、想像さえもできなかった事柄が急速に進められている現実に、牧師である私は、気持ちが追い付いていない。まだ、自分たちの土地ではないし、買えるかどうかも分からない人様の土地を見ながら、私も含め、教会メンバーは、「どんな会堂を建てようか? 花壇や畑、小さな公園もあれば・・・温泉は出るのか?」などと夢を膨らませている。今まさにアブラハムの気分を味わっている。神さまから「この土地をあなたに与えます!」とお言葉をいただいて入ったカナンの地は先住民の土地で、アブラハムには一歩の幅すらの土地さえ所有していませんでした。しかしすでに与えられたかのような歩みをしていました。
私たちも、与えられたら感謝、与えられなかったとしても感謝。ただ神さまの計画のみが実行されていくことを望む教会として、これからも進んでいきたいと願っている。
「人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。」(箴言19章21節)
心のオアシス 2021年4月4日
何年も前の話ですが、某フライドチキンのお店で、“本日もれなくイースター・エッグプレゼント!”という貼り紙を見つけたので、立ち寄りアルバイトらしき店員に聞いてみた。「イースターって何ですか?」すると店員は、「う~ん・・・アメリカのお祭りだと思いますよ。卵をデコレーションして楽しむ日なのかと思いますが・・・」という答えが返ってきた。確かに日本人にとっては意味の分からない行事だと思いますので、その意味をご紹介します。
イースターは、復活祭とも呼ばれていて、イエス・キリストは、弟子であるユダに裏切られ、十字架にかけられ処刑されてしまいます。しかし、「イエス・キリストは復活する」という預言どおり、3日後に復活されました。キリストの復活に弟子たちは喜び、それが「イースター」としてお祝いされるようになりました。キリスト教会は毎週日曜日に礼拝を捧げています。それはキリストが日曜日に復活されたことをお祝いするためでもあるのです。実は、信じる者にとって“イースター”は、“クリスマス”よりも重要な出来事なのです。なぜならキリストの死からの甦りがなければ、キリスト教会の存在はなかったからです。復活されたイエスさまは、ペテロに再会して「わたしの羊を養いなさい(牧会せよ)」とお命じになりました。そして聖霊降臨してペテロは初代教会の指導者となったのです。
ペテロにとって、イエスさまは卓越した師でありカリスマと能力を発揮して人々の心を引き寄せた存在でしたが、突如として無力に十字架の上で死んでしまいました。頼るべき師を失い、迫害を恐れて散り散りバラバラになって逃げていた弟子たちでしたが、急にエルサレムに集まり、そればかりか十字架につけられて死んだ師のことを命懸けで伝え始めました。何故でしょうか? それは死んだと思っていた師であるイエスさまの復活の事実を目撃したからです。今も生きておられる主に希望を見、復活が力の原動力になったのです。だからこそ、復活が無くてはキリスト教会もクリスチャンも存在していなかったのです。
あなたの人生に墓のような真っ暗闇があったとしても、安心してください。イエス・キリストは三日目に甦られました。そしてその力は、この二千年間、信じる人々に注ぎ続けられているのです。
心のオアシス 2021年3月28日
教会では、桜の季節になると嬉しいこともあるが、寂しいこともある。受験生や就活生の進路が決まり、喜びが溢れる。しかし会社員には転勤の辞令がある。牧師は、信仰を失い教会から離れる人がいると心引き裂かれる思いになるが、転勤で離れる場合も、寂しい気持ちにはなる。今年は教会役員の一人がご夫妻で任地に赴くことになった。私たちの教会の長老さまご夫妻が免許返納されて石切チャペルの午前礼拝に出てこられなくなった時に、それを引き継ぐかのようにして、ご夫妻で色々な奉仕を買って出てくださり大変助けられていた。移住する土地に信徒の信仰を育んでいける良い教会があれば安心するが、なければ心配にもなる。
KCFではYouTubeで礼拝をライブ配信しているが、コロナ禍で教会メンバー用にZoomも使用するようになった。これによりメッセージ後の報告まで参加できるだけでなく、対話もできるようになり、遠くに転勤で行かれた方々や教会出席できない方々と顔を見ながら交流することができるようになった。勿論、近くに何かあったときに飛び込んでいける教会があるに越したことはないが、このようなツールでも繋がることができるようになったことは、コロナ禍で生まれた副産物でもある。新しい土地に教会がなければ、大いに活用していただきたいと思っています。
もう一つ嬉しいニュースは、来週4月のイースターに受洗者が与えられたことです。奥様は3年前に受洗されましたが、この度、入門講座を受けて決心されました。コロナ禍での洗礼式はこの一年間で5名となった。これは祈りの結果であると同時に、神さまからのメッセージであると受けとっています。それは私たちにとってマイナスと思える出来事や現状も、神さまの働きが阻害されることは全くないということです。
「隣の土地がいただけるように祈りましょう!」と声をかけられた数年前、教会の土地・会堂指定献金額は数万円しかなく、地主さんが二人の建て主さんに貸しておられる土地で、そこには誰も住んでいない古家が2軒と表側にはホテルの案内所が営業中でした。どう考えても更地になりえないし、なっても資金はない。しかし今着々と更地になっています。そしてアピールしていなかった会堂献金が、何故か着々と集められていることに驚きを覚えています。神さまが成されたら、何も障害物はありません。万物を所有しておられる神さまには不可能はないのです。
心のオアシス 2021年3月21日
もうすぐ桜の季節になる。今は卒業して新しい職場、学び舎への準備期間の人たちもいますが、ある学校の校長先生が、以下のような講話をされ、学生たちに励ましたそうです。
-困難を恐れるな-
積丹半島の古平から余市までは、直線距離だと20キロにも満たないが、海岸道路がなかったころは、峰を登り谷を下る曲りくねった道で、30キロにもなるという文字どおり“羊腸の小径”であった。だから、海が相当に荒れても、船を利用する人が多かったのは、むしろ当然の成り行きであった。学生のころ、春休みを終えて札幌に向かう日は、前日までは運行止めをしたほどの大しけで、うねりは気味の悪い音を出しながら防波堤をかんでいた。出航するかどうかについての打合せは、長い時間を要した。人命を預る船長にしてみれば、その判断に慎重であるのは当然のことである。私は、荒波の日の航海を恐れながらも、あの曲がりくねった山道で行くか迷っていた。しばらくして船長は、「乗船よし」と叫んだので、それにつられるように船の方を選んだ。学生の気安さから、見学を兼ねながら船長室を訪れた。やがて、船が港外に出たとたんにひどく揺れだしてきたので不安がひろまり、顔から血が引いていくのが自分でもわかった。その時、潮焼けした老船長が、こんな話をしてくれた。「絶え間なく押し寄せてくる波は、みんな同じように見えるだろうが、決してそうではない。その一つ一つが違っているもので、そのうち幾つかは割合小さいのもあるし、また、幾つかは特別に大きいのもある。俺は、こんなしけの日には、港を出たらすぐ、一番大きい横波に船の腹を打たせてみることにしている。これは船にとって最悪の状態だ。しかし、これを乗りこえたら、後は数多くの波が来ても無いと同じだ。安心と自信とが持てる。それによって余市までの船旅の無事が保障されるのだ」と――。
先日、送られてきたある方の言葉の中に、「桜の蕾がふくらんできました。どんなことがあっても毎年必ず咲いてくれる桜の花に感謝します。」とあった。確かにどんなに厳しい冬を通っても、桜が咲かない年はありません。神さまが「桜を見なさい! だから心配するな!」と声をかけられているような気がしました。
心のオアシス 2021年3月14日
ハ・ヨンジョ先生が、かつてこのようなメッセージを語っておられた。それを聞いて大変感動した。そのほんの一部分ですがご紹介します。
「神さまは、私たちの日本に対する間違った感情、否定的な態度をとがめられました。そしてまず私たち韓国人が、悔い改めることを示されました。『過去に日本が韓国に対して行った過ちにこだわるな。もっと重要なことは、過去の出来事について憤り、「許せない」という間違った感情を持っていることが問題なのだ』と指摘されました。祈りながら私は恥ずかしさを覚えました。そして神さまは私たちに次のような事実を教えてくださいました。『私がどれだけ日本を愛しているか、あなたは知っているのか?』神さまの心は驚くべきものでした。私たちが許せず、よくない感情を持っていた日本に対して、神さまは愛するあまり心に傷があるほどなのです。神さまの愛は片思いです。そこで私はこのように神さまに祈りました。『あなたはそんなに日本を愛しておられるのですか?』神さまの愛の心を知ると、もはや言い訳できませんでした。」それからハ・ヨンジョ先生は、日本を愛し労し仕えてくださいました。
誰がこのような問題を指摘して、諭すことができるでしょうか? 一つの小さな島国のことで、醜い争いをしている国・政府には、このような知恵を与えることのできる有識者もアドバイザーもいないし、言えないでしょう。敵を愛するどころか、被害者である自分が、加害者をいつまでも許さなかったことを悔い改めるなんて、誰が教えることができるのでしょうか? 私たちを一方的に愛し、受け止めて、今も生きて働いておられる創造主なる神さま以外に、人の憎しみを取り除くことはできないのです。
週に3回の透析、健康的にはどこも良いところがない先生が、どうして衛星放送を全世界で展開し、大きな働きをすることができたのでしょうか? それは、行なっておられたのは神さまご自身だったからです。それではどうして弱さばかりのハ先生を用いられたのでしょうか? それは神さまが用いやすい人物だったからです。神さまが用いやすい人とは、神さまの御心を敏感に理解し、神さまが願っておられることに同意して、神さまの計画のために自分を用いようとする人です。
土の器でも、その中に宝(キリスト)があるならその人生は成功です!
心のオアシス 2021年3月7日
私たちが生きているこの世は、過去よりも確かに豊かにはなりましたが、では過去より幸せになったでしょうか? 誰もが自分の権利を主張し、それらを手放そうとしません。できるだけ多くの物を所有し、この世が求める価値に合わせて、自分と家族が魅力的な人生を生きることで、成功した人だと評価されることを願っています。しかし、創造主なる神さまは、ご自身の権利をすべて捨ててこの世に来られました。これがキリスト教なのです。自分を軽んじる人の鼻をへし折るために神さまを信じ、自己実現するために、力を与えて欲しいので神さまを信じ、この世で生き延びるためにキリストを信じるのではありません。もしそうならば、それはシャーマニズム(超自然的・霊的存在との交渉を中心とする宗教様態。占・予言・病気治療などを行う宗教現象。)と同じです。
ファ・ジョンブ牧師が、ある神学校でのメッセージの中で、このように献身者たちに呼びかけました。「昨今、誰もが牧会に成功したがります。大きな教会、有名な牧師、多くの著書、影響力のある人になることを、誰もが望みます。しかし、私たちが知っている福音の中に、私たちが知っているイエスさまの人生のどこに、そんなものがあるでしょうか?!」
これは、すべての献身者や教会、信徒たちが肝に銘じておかなければならないメッセージだと思います。勿論、目標を持ったり、欲しい物を手にいれることを願ってはいけないわけではありません。それも神さまがこの世に与えられた恵みです。しかし、求める事柄の優先順位とその目的が、“自分”が中心になると間違った方向へ進むことになります。
新約聖書の13の書簡を書いたパウロは、学歴においては当時最高の学者であったガマリエルの門下生であり、文学都市であったキルキヤのタルソ出身で、幼い時からエルサレムに留学した優れた人材でした。経歴でも最高のグループに属した律法学者であり、特権階層であったパリサイ人であり、ローマの市民権も所有していた出世街道まっしぐらのエリートでした。このような彼が福音を受けてから、キリスト・イエスを知っていることの素晴らしさの方が勝る故に、自分が今まで持って味わっていたすべての特権を、“塵あくた”だ(ピリピ3:8)と言いました。
福音の価値は、信じて体感しないとなかなかわかりません。しかし、不足があってもなくても満たされることは確かです。あなたも是非!
心のオアシス 2021年2月21日
昨年、横浜DeNAベイスターズの監督を退任したアレックス・ラミレス氏が、日本テレビ系で放送された「人生が変わる1分間の深イイ話」に出演。ダウン症の長男・剣侍君(5)への思いを語っていた。
出産直後にダウン症と告げられ、奥様は「私は障がい者の母親になれるのか?とにかく不安でとにかく泣いた」と述懐。しかし、ラミレス氏から「ベイビー、イッツOK。多分ダウン症だけど、何の問題があるの?今日あなたは大変な出産をして、こんな素敵な子供が生まれて、何の問題があるの」と言われ、前向きな言葉に励まされたという。
出産から半年後、ラミレス氏はDeNAの監督に就任。剣侍君と奥様を全ての遠征に同行し、毎日、関係者にダウン症であることを明かしながら紹介した。奥様は「『ダウン症ですよ』などとはお披露目はしたくなかった」と当時の率直な思いを吐露。それでもご主人が、すごく誇りを持って自分の子供を紹介している姿を見ていると、誇っていいんだと思い、自分も紹介したいな、と思うようになったという。
ラミレス氏は「子供を誇りに思っているし、愛しているし、何も隠すことはない」と笑顔で語りながら、「ダウン症を産んだ親になんて声をかければいいか分かるかい?」とスタッフに逆質問。「最高の答えはこれさ。『かわいいー』でいいんだ。だってダウン症の子供、超かわいいじゃん。だから妻がダウン症を悲しむ意味が分からなかったよ」と話した。
このような考えはどこから来ているのか? 彼は著書「ラミ流」の中で自身がクリスチャンであることを明かしている。一部を抜粋します。
98年、僕はクリスチャンになった。キリストを信頼して、僕は自分自身をコントロールできるようになったんだ。どうして僕がこんなにおおらかでフレンドリーなのかって、日本でもみんなにきかれるよ。僕がほかの選手や審判と言い争っている姿、一度も見たことがないって。僕はこう答えるんだ。自分の力ではどうしようもないことが、世の中にはたくさんある。でもすべては神様が何らかの意味を持って、僕に与えたものなんだってね。だから、誰かとの間に問題が生じたときは、僕は神に頼るようにしている。イエス・キリストだったら、こんな状況をどうやって乗り越えるだろうか、と自分自身に問いかけるんだ。クリスチャンであることは、僕の野球人生にも大いにプラスになっている。
心のオアシス 2021年2月14日
私の伝道者としての師は大川従道牧師だが、時折電話でお話しする時に、「あなたには神さまがついているね。」と言ってくださる。自分自身のことは、他者からどう見られているかはわからないものだが、第三者が観察してそう見えるということは大変ありがたいことだと思わされる。この言葉を心に留めつつ関西での開拓を振り返ってみると、私個人もそうですが、関西カルバリーフェローシップに神さまがついていてくださることを認めざるを得ない。10年前、会衆1名からスタートした教会が、今は3回の礼拝をさせていただけるようになった。公民館、集会室などを転々とし、奈良ではカトリック教会の会堂の一室をお借りしたこともある。今は東大阪福音教会という他教団の会堂をお借りして8年が経過した。考えてみると、日曜日によそ様の教会堂を使用している教会がどこにあるだろうか? お借りしている教会の牧師・藤長先生は、「KCFが石切チャペルを使用するようになって、この周辺の重い空気が軽くなりました。他所へ移動しないでこのまま使い続けてほしい。」と言ってくださっている。こんなに私たちの教会を好意的に受け留めてくださることに不思議を感じるほどである。しかし数年前からもっと広めの場所が必要になってきて他所を探し始めたが、さまざまな理由から足踏み状態が続いていた。そんな中で藤長先生が「隣の土地がKCFに与えられるようにお祈りしましょう。」と言われた。しかしその土地には古い建物があり、複数の建て主さんがいて、しかもなかなか連絡が取れない地主で有名である。私は資金もないし、そんなことが起これば奇跡だなと思って聞き流していた。ところが昨年、隣の地主さんから土地を買って欲しいと申し出てこられた。あまりにも絶妙なタイミングすぎて恐れを感じるほどである。
私のスタンスは、主が望んでおられる土地ならば、どんな反対があったとしても、資金がなくても、どこからともなく与えられ手に入れることができるし、主が望んでおられないならば、私たちがどんなに欲しいと願い、資金も集め、全員一致で計画を進めても、それは立ち行かなくなると信じている。もっと言うならば、私たちが欲しくない土地であっても、主が計画されたら、それを受け止めるしかないのである。
神さまが中心になっている人生は、楽しくて仕方がない。
心のオアシス 2021年2月7日
無神論・合理主義で有名なオックスフォード大学のリチャード・ドーキンス教授に、多くの人々が賛同しています。かつてイギリスでは彼と無神論者たちが自費で「おそらく神はいない。だから気ままに人生を楽しもう」という広告を作成して、それを貼り付けたバス800台が市内を回りました。そのような風潮の中で、イギリスの有名な無神論者・チャールズ・プラザロフは、ロンドンの貧民街で仕えていたプライズ・ヒューズ牧師に、無神論とキリスト信仰について公開討論することを提案しました。牧師はその提案を受けてこう答えました。「私は、イエス・キリストを信じて変えられ、人生の目的を見つけた人たちを100人連れてきます。ですから、あなたも無神論者になって人生が変えられた人を100人連れてきてください。100人いなければ、50人でも20人でもかまいません。それと、人生の意味を失い、挫折と絶望の中から無神論に改宗して人生の目的を見いだし、変えられ、本当に尊敬されるようになった無神論改宗者が一人でもいたら、連れてきてください。」それを聞いたプラザロフは言葉を失い、討論の提案を撤回したそうです。
神さまを信じているからといって、すべてが完璧になったと断言できる人はいないでしょう。肉をもって生きている限り、上手くいかなければ悲しみ、苦難の故に倒れることもあるでしょう。しかし、神さまに信頼する人たちは、立ち上がる力と、逃れの道が与えられます。
新約の13の書簡を書いたパウロは、ローマの市民権を持つユダヤ人で、一流の門下で学び、エリート街道をまっしぐらに進む存在でした。教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れ、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えていたと使徒行伝の中で告白しています。このような熱心派だったパウロは、イエス・キリストに出会ってから、命がけで福音を宣べ伝える者に変えられたのです。「わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。 わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。 迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。」(Ⅱコリント4章)
心のオアシス 2021年1月31日
先週の午前の礼拝終了後、残っていた何人かの人たちと立ち話しながら会堂建築の話題で盛り上がった。石切チャペルは、東大阪福音教会の所有で、私たちは8年前から教会堂をお借りして開拓を進めていて、貸してくださっている教会は、他所に教会堂があってそこで礼拝しておられる。その教会の藤長先生とはとても良い関係を続けていて、「KCFが開拓を始めてから、何か重苦しかった空気が一変して軽くなり、このままずっと使用して欲しい」とまで言われている。数年前から今の会堂をリフォームして私たち関西カルバリーフェローシップの教会として使うということも検討されたが、様々な理由から滞っていた。そんな中昨年ある地主さんから、教会に190坪の土地を売りたいとの申し出があった。しかし予算のことや様々な検討事項があり、足踏み状態になっている。その土地に建っていた建物の一部が更地になっていくのを見ながら、まだ手に入ったわけではないのだが、夢が広がり様々な意見が出てきた。「マンション付の会堂を建てたら、私たちは移り住みます!」「介護付きであればいいですね。」「温泉を掘り当てて、温泉付きはどうですか?! 宣教に用いられると思います! これぞ心と身のオアシス教会!」など制限を考えないと、夢は広がり楽しい会話になった。
箴言29章18節には欽定訳で「Where there is no vision, the people perish」(幻のない民は滅びる)とあります。私たちは焦燥感が漂う時代に生きていて、なかなか前向きに物事を考えることができなくなっている。制限付きの現実では難しいことですが、ビジョン(夢・幻)がなくなってしまったら人間は必ず身も心も劣化していきます。年々老いていく自分、なかなか上手くいかない現実だけを見たら、そうなってしまうのも仕方がないかもしれない。しかし聖書には「若者たちは幻を見、老人たちは夢を見る」(ヨエル2章28節)とあるように、聖霊による希望があることを述べている。神の霊の世界には、この地上にあるような限界は一切ない。様々な夢が実現する場所が神の国です。
神さまが計画されたら実現するでしょうし、それでなければ他の道が開かれるでしょう。ポイントは、神さまのビジョンを持って大きな夢を見ながら、ただ神さまの計画のみ進められることを願う。これが“八風吹けども動ぜず”の極意です。