心のオアシス
心のオアシス 2023年1月元日
花園チャペルの新会堂で新年を迎えることができて大変嬉しい。開拓12年間が走馬灯のように思い出される。私が関東の母教会を離れ関西で開拓をする決意をしたときに、ある伝道者から、「あなたの年齢からの開拓は遅すぎる。お手並み拝見させていただくよ」と言われた。当時、「わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」(イザヤ43:19)との御言葉を握っていたので、その伝道者の人間的な言葉にある意味ショックを覚えた。勿論、無謀だったり常識もわきまえておかなければ、この世では上手くいかないだろう。「お手並み拝見?」私は誰のお手並みを拝見されるのだろうかと思った。もし“私”の能力のことを言っておられたのであれば、笑いしか出てこない。確かに年齢的にも能力的にも無理であることは一目瞭然。私はその時に「神さま、どうぞこの伝道者に、無から有を生み出すことができるあなたのお手並みを見せてあげてください!」と心の中で祈ったのを忘れることはできない。
まだ経済力もなく、数名の人たちしかいなかった時代から、私たちの人生も教会も創造主なる神さまに導かれ、私たちは神さまの願いと計画をかなえるための“道具”だという意識を持ちながら牧会してきた。なので開拓当初から事あるごとに皆さまの前で「私たちの教会はあちらこちらに移転しながらの礼拝ですが、もし神さまが必要とされたら短期間に会堂は与えられます!」と信仰の宣言してきた。
多くの人は「開拓12年で土地付きの会堂が建つなんて凄い!」と驚かれるが、凄いのは神さまであって、私も教会のメンバーも“主の道具”として用いられただけで、神さまの側から見ると、いとも簡単なことだったのです。しかし私たちは肝に銘じておかなければならないことは、この地上のものはいつか廃れ無くなるということ。永遠の都を目指さなければ何も意味をなさない。「いのちの書」に名前が記される生き方が問われている。2023年は、永遠に繋がる良い一年でありますように。
心のオアシス 2022年12月25日
クリスマスが近づくにつれ、街はイルミネーションで着飾り、お店も活気が出てくる。クリスマスをどのように過ごそうかとプランを立てながら楽しむ人たちもいる。しかし必ずしもみんなが楽しんでいるわけではない。このシーズンになると憂鬱になる人もいる。スーパーで家族連れを見る度に胸が痛くなって目を背けたくなったり、長期休暇で旅行に行こうとしているカップルを見ると気持ちが沈んでしまう人もいるようです。それは心の奥底にある“空白感”や“孤独感”が“クリスマス”を引き金に表面化していると考えることができます。以前にある青年が「僕には友達もたくさんいます。一緒に遊んでいる時やお酒を飲んでいるときは楽しいけれど、その後、家に帰ると空しい気持ちになるのです。一体どういうことなのでしょうか?」と相談しにこられた人がいた。これは私たち人間が創造主なる神に造られ、一人一人の心の中には、神にしか満たすことができない部分を造っておられる故のサインのようなものです。家族や友達がいたら孤独はなくなるのか? そんなことはない。人によっても、物によっても、お金によっても、絶対に満たすことができない部分が人間の中にはあるのです。人を含めて、この世にあるものは全て流動的です。その考え方や形も時代と共に変化していきます。どんなに信頼している人がいてもあなたを裏切りガッカリさせることは必ずあるでしょう。人はこの空白を満たすために一生懸命に何かで穴埋めしようとする。しかし人は所詮離せば落ち、落ちれば割れるもろくて小さな土の器でしかありません。ペンキをもって色をつけても、ネオンの明かりで着飾っても一時的な満足にしかなりません。
クリスマスが辛い人は幸いです。それは神さまが満たしたいと送っておられるサインだからです。あなたのその心にイエスさまは生まれたいと願っておられます。永遠に変わらない無条件の愛を受け入れるときに人は永続的な満足と安息を覚えることができます。メリークリスマス!
心のオアシス 2022年12月18日
インドネシアで宣教しておられた安海靖郎先生がこのようなお証をしておられたのを聞いたことがある。ある経営者がいて、とても頑固な人だったそうです。奥さんはクリスチャンなのですが、イエス様の話をしても聞く耳を持ちませんでした。その経営者の会社は外国にも支店があって、インドネシアにある支店にその社長が訪れた時に、ボルネオのジャングルに行きたいと思い、そこに当時住んでいた安海先生が紹介され、3日間共にジャングルで過ごして日本に帰っていったそうです。しばらくしてから、先生はその男性から手紙を受け取りました。そこには頑固社長さんがイエス・キリストを信じて洗礼を受けたということが書かれていました。その経緯はこのようなことでした。「自分の会社は、海外にもあって、駐在員を派遣しているけれど、その家族と話しをすると大きな家が与えられていても治安が悪いだの、まかないがついていても盗みがあるだの不平不満しか聞かない。しかし3日間、安海先生と過ごす中で、ジャングルで何もない場所に住んでおられても不平一つ言わずに朝から歌を歌って喜んでいる先生の姿を見ました。日本に帰って、自分は50歳代で一応すべてを知ったつもりでしたが、未だ知らない世界があることを知り、妻から聖書をもらって読みました。そして神の国の世界を知りました」というものだったそうです。
世の中には、一見幸福であるべき全ての条件を備えているかに思える人たちが、必ずしも幸せではなく、その反対に貧しかったり、病気がちであったり、様々な悪条件の中にあっても、幸せに生きている人がいるという事実は、幸福というものが、いくつかの条件が整えば自然発生的に生じるものではないということを表していると思う。
私は会堂が与えられたことを感謝している。しかし与えられていなかったとしても同じように感謝しながら過ごしていた。なぜなら私たちの創造主のご意志のままに導かれていることに喜びを感じているからです。
心のオアシス 2022年12月11日
これはある看護師さんとご老人との会話の感動エピソードです。
ある朝早く一人の老人が親指の抜糸のために病院に来ました。看護師さんが血圧と体温を測りながら「今日は先生の診察まで一時間はかかりそうなんです。」と言うと、その老人は「できれば急いで欲しいのですが・・・」と言いました。看護師は「何か急ぐような約束を医師としていますか?」と尋ねると、「いいえ、でも妻と一緒に朝食をとるために介護施設に行かなければならないのです。」と答えました。実はその老人の奥さんはアルツハイマーにかかって介護施設で生活していたのです。看護師は尋ねました。「少し遅れたくらいで奥さまは心配なさるのですか?」「いいえ、妻は5年前から私が誰だか分からなくなっているのです。」看護師は驚いて再び尋ねました。「え? 奥さまはご主人のことがお分かりにならないのですか?! それでも一緒に朝食を食べようとされるのはどうしてですか? 何のためですか?」ご老人は微笑んで答えました。「妻は私の事が分からなくなってしまいましたが、私は妻のことを知っているのですよ。」
“片思い”とはこのようなことだと思うが、まさに天の父なる神さまは、私が神の存在を認めていなかった時から一方的に大切にしてくださり、守ってくださり、愛してくださっていたことを考えると胸が熱くなる。このお方に答える生き方をしていきたいものである。
“花園”の地にも沢山の人たちが神の愛を受けていながら、知らないまま過ごしておられる方が多くいらっしゃる。そしてその人たちのために、どうにかして“神の愛”を届けたいと願われた主が、花園チャペルをお建てになったのだと確信している。
この世には沢山の重荷がある。そしてその人たちの荷を軽くしたいと神は願っておられる。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11章28節)
心のオアシス 2022年12月4日
「幸福になるためには、まず成功をすること」「成功をするためには、目標を達成しなければならない」このような思考パターンに私たちは陥りがちです。これは、最終目標にたどり着いた瞬間から成功・幸福が始まり、たどり着く間は成功でもないし、幸福でもないという意味です。
しかし、成功や幸福は、その過程すべてを含めて成功だという認識が大切です。つまり、成功に向けて歩み出した瞬間から、もう成功は始まっているわけです。そうでなければ、成功しないと幸福ではないということになってしまい、幸福を感じるころにはずいぶん年を取ってしまっているかもしれません。別の表現をすれば、自分がどのような存在かを知るだけで幸福がスタートします。なぜなら、あなたは目的を持って神によって創造されたからです。(「聖書に隠された成功法則」より引用)
私は会堂を建てることができて喜びはあるが、個人的には会堂を建てたら牧師として成功したとか、実力があったなどとは全く思ってもいない。正直なことを言うと、私は会堂を建てたくなかった。教会は“神”によって建て上げられることを悟ってから、私の伝道者としての祈りは、「ただ神さまの計画のために、私をその道具としてのみ用いてください。すべては自己実現ではなく神実現のために用いられますように。」だった。そこに生き始めたときから、会堂がなくても幸せだったし、会衆が目の前に数名しかいなくても“神さまから送られた人たち”と考えると幸せ感が溢れるようになった。勿論それで福音を宣べ伝えることを怠ったら“怠惰な者”として神さまからお叱りを受けるであろう。
本当の“成功”とか“幸せ”は、神さまのされたいことに自分の身を委ねていくことにあるのだと思わされている。たまたま神さまは“私”を用いて会堂を建てられた。会堂が欲しいと願っている牧師に家の教会を任せられることもあれば、諦めている牧師に会堂を建てさせられることもあり不思議です。心乱されない秘訣は、やはり“神実現”です。
心のオアシス 2022年11月27日
先週23日に花園チャペルの献堂式を迎えることができた。遠くから近くから牧師先生方や献身者、宣教師の方々、応援お祈りしてくださっていた人たちが150人お集まりになり感謝が絶えない。私自身、未だに会堂が与えられたこと自体が夢のようで、この夢はまだ覚めていないような感覚でいる。恐らくエジプトから脱出したイスラエルの民の行く手を阻んでいた紅海が水垣となって乾いた土地を歩いた時も、夢の中を歩いているような気分だったのではないかと思う。計画立てながら進んでいたら、着々と進められていることに実感が湧くと思う。しかし突然予期しないことが目の前で起こると実感は湧かないだろう。“気持ち”がついていくのに時間がかかる。ずっと借り物の教会で場所を転々として、それが私たちの教会に委ねられた神さまのご計画だと思わされていたが、今年になって自分の会堂を所有している?! 不思議でしかない。
まだ土地を買う話題さえもなかった3年ほど前に、リビングライフの巻頭言を依頼されこう書いていた。「私たちの教会は、まだ自分たちの会堂を所有していません。財力もありません。しかし、神さまが計画されているならば、いとも簡単に会堂が与えられると信じています。主が共におられれば、小さな群れでも大きなことが起こるのです」。
私が信じていたことは真実だったことが証明された。手持ちも能力もなくても、神さまがお集めになり、能力ある人たちを送ってくださり、事を成し遂げてくださることを確信できるようになった。主と共に歩む人生は、恵みが付いて回る。どうして神さまを抜きにして歩もうとするのだろうか? 勿体ない話である。ダビデが「わたしの生きているかぎりは 必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう」と唄った気持ちがわかるようになった。神さまにお委ねする人生の味を知ったら、もうそこから離れられない。離れたくはない。
花園の地がその名のごとく、主にあってのオアシスとなりますように。
心のオアシス 2022年11月20日
花園チャペルに移転してからミラクルばかりではなく、ホッコリすることも毎週起こる。先週は建築委員会のミーティングが牧師室で行われたが、役員の一人が「私たちにミーティングする部屋があるって凄くないですか?!」と言われた。私も同感である。今まで借り物の場所では、部屋は二部屋しかなく、何をするにも他のグループなどに気を使いながらであった。他の部屋では、献堂式の記念品の包装する作業が同時に行なわれている。途中で近所の小学生が遊びに来たが追い返す必要はなくヤング&キッズの部屋でギターを弾いたりゲームをして遊んで帰っていった。会堂では午後礼拝のリハーサルが行われている。「これが私たちの求めていた教会の姿だな」とホッコリしながら、この贅沢が当たり前になったり慣れっこにならないよう気を付けなければならないと思った。
平日にも近所の高校生や小学生が遊びに来ることがあるが、それぞれ帰るときに「教会最高!」「教会love!」とか「キリスト教会いいね!」と平気で口にする子どもたちにホッコリさせられる。彼らもホッコリしすぎてなかなか家に帰らない。皆さま口をそろえて言われるのは、「花園チャペルは教会の建物というより家にいる感じがする」とのこと。確かに居心地良くて、いつまでも居たくなる。
沢山の小学生が教会前を通って帰宅しているが、たまにピンポンダッシュする子がいる。先日たまたまピンポンが鳴った瞬間にドアを開けると逃げていく小学生の男女が数名。逃げる姿をジッと見ていると、一人の女の子が私に気付いて、深々と頭をさげて「ごめんなさい!」と謝っている。後で防犯カメラ映像を確認すると、女の子が「押したらダメ!」その直後男の子がインターホンを押して逃げている。犯人は男の子なのに、何の言い訳もせずに女の子が謝っていたことに感動を覚えた。それ以来ピンポンダッシュはパタリ無くなった。罪無きイエスさまが十字架にかかり私たちの罪をかぶってくださった。ただただ感謝しかない。
心のオアシス 2022年11月13日
関西カルバリーフェローシップは、12年前の2010年6月6日に教会をスタートした。その時の週報を探してみると、「心のオアシス」に以下のように書いていた。
今日は「奈良カルバリーフェローシップ」の誕生日です! この歴史的なスタートにお立会いくださったみなさまは幸いだと思います。大げさなことを言っているようですが、そうでもありません。世界に影響を与えるような大国であっても、また人の目には留まらないようなどんな小さな群れであっても、また有名人でも目立たない人であっても、天地宇宙を造られた神様のお許しがなければ、その存在はありえないからです。この集まりは神様の壮大な歴史の一部分を担うために誕生しました。スタートは小さくても、大きな働きです。ただ委ねて前進するのみです。
私が与えられているビジョンは、聖書のことを知らない初心者でも安心して参加でき、何かわからないけれども元気をもらって、癒され、チャレンジを受け、希望をもって帰っていけるような心のオアシスのような場所をつくるということです。ここで力を得た人たちが今度は外でこの喜びを分かち合うことができれば最高ですね。そのことのためにシンプルなプログラムと、たとえ難解な聖書箇所でも初心者にわかりやすくお話しできるよう努力します。将来的には平日の「学び会」などを通して聖書の世界を深めていけるような会も考えています。(一部抜粋引用)
先週の礼拝には、奈良に本部を置くある有名な宗教団体の方が来られ、「これから開拓をしていきたいので、開拓12年で立派な会堂を建てられた教会さんのノウハウを教えて欲しい」という男性が来られた。その方が言うには、その団体は、初心がなくなり組織化してしまい、不定期の“おつとめ”では、専門用語ばかりで初心者には難解なので改革したいとのことだった。礼拝の感想は、「初心者でもよく理解できました!」とお褒めの言葉をいただいた。あとは聖霊様のお働きにバトンタッチした。
心のオアシス 2022年11月6日
キリスト教会の中で「神に委ねなさい」と教えられることがあるが、クリスチャン中には“委ねる”ことに関して誤った理解をしている方がおられるように思う。「何もしないで、事が起こるのを待つ」とか、「この道ですよ」と天から声をかけて指示されてそれに従うとか、ただ漠然としかその意味がわからないケースも多い。これは教会で、“委ね方”を正しく教えていないことが原因だと思われる。そこで私は、“委ねる”ことを、どのようにお伝えしたら良いのかを祈り考えた。与えられた言葉は、「ベストを尽くして、結果は神さま任せ」である。私たちの側ではできるだけの努力はして、その結果は、自分の望んでいなかったものであったとしても、それを神さまからの答えとして受けとめる、ということである。それが“神に委ねる”ことであると考えている。
以下はリック・ワーレン著「人生を導く五つの目的」からの抜粋です。
神は、あなたが最初の一歩を踏み出すのを待っておられます。力や確信が湧いてくるまで待っていてはいけません。恐れがあっても、感情が伴わなくても、正しいことを行ない、弱さを覚えながらも前進することです。これが、聖霊の働きに協力するということです。こうしてあなたの品性は整えられていくのです。聖書は、霊的成長を種や建物や子供の成長などにたとえています。それぞれのたとえは、積極的に関わることの大切さを教えています。種は蒔かれ、そして耕される必要があり、建物は突然でき上がるのではなく、建てられなければなりません。子供たちが成長するには、よく食べて運動をしなければならないのです。努力というものは、あなたの救いとは全く関係のないものですが、霊的成長とは深い関係があります。新約聖書では少なくとも八回、私たちがキリストの似姿を目指して成長していくために「あらゆる努力をするように」と教えられています。ただ座って、事が起こるのを待っていてはいけないのです。
心のオアシス 2022年10月30日
31年前、私は神学校を卒業してからすぐ、カルフォルニア・ロサンゼルス郊外へ日本人伝道のために家族で宣教師として派遣された。そこが私の初めて経験する教会開拓であった。自宅のリビングを礼拝堂として使用してのスタートで、教会名は「ラグナヒルズ・ミラクル・チャーチ」。命名したのは大川従道先生だった。私は正直「奇抜な名前でカルトと間違えられないかな?」と内心心配していた。しかし、主の教会にはミラクルは起こるもので、最初の年から受洗者が与えられた。そしてその当時集まるようになった3人の独身の青年たちは全員献身して牧師となった。あれから31年後、二度目の開拓で美しい会堂が与えられた。賜物溢れる役員さんたち、そして愛と恵みに溢れたメンバーが与えられ、そこに最強の聖霊さまのお力が加わって、少人数ではあるが力強い群れに成長していった。花園チャペルがスタートして既に2回の礼拝を行なったが、まだミラクルは継続している。先日近所の人たちのために開催した新会堂見学会に来てくれた子どもが日曜日のギター教室に来てくれた。子どもたちの集会“花まるキッズクラブ”も早くして欲しいと促され急遽11月から始まることになった。朝の礼拝でも癒しが起こった。午後の礼拝では、毎日教会の掲示板を見ながら通勤しているという方が、会堂に足を踏み入れ参加してくださった。あの大声で恫喝してきた“おっちゃん”は、謝罪に来られて以来、近所の人も驚くほどに大人しくなった。駐車スペースを提供くださっているお隣の製作所にレストランIMUから感謝の印にとキンパ、チヂミ、ヤムニョムチキン、キムチの弁当を従業員36人分に差し入れすると、会長さんの息子さんが美味しかったからと、早速、堺チャペルのあるレストランIMUに食べにこられて二人で十品食べてお持ち帰りも沢山注文して帰られたとの報告を聞いた。
主の勢いをよみの門も止めることはできない。花園チャペルを“ミラクルチャーチ”と囁く人が現れた。ハレルヤ主よ感謝します。栄光在主。