最近、お会いしたことのない方から相談されることが多くなったが、先日は遠方のあるクリスチャンから電話があった。YouTubeで教会関係の動画を検索していく内に、私が過去に母教会で収録した「キリスト教入門講座」(KCFのHPにもURL有)がヒットして、それをご視聴くださった方だった。その動画にとても感動され感想を述べてくださると同時に所属しておられる教団の問題を訴えて嘆いておられた。その教団の総会に参加しても政治運動のことを議論するだけで、信仰的な話題は全く出てこない。逆に信仰の話をしたら白い目で見られる。教会での“お証”は、ただ毎日の生活日記のようなもの。祈りを勧められることもなければイエスさまによって、どれだけ自分の人生が変えられたかという話題は全く出てこないというのだ。リベラルな教会には、そのような実体があるのは知っていたが、救いと日々の力が欲しいと願う人たちにとっては残念なことである。他教団の悪口を言うつもりはないが、聖書セミナーで学んでいるヨハネ黙示録に出てくるサルデスやラオデキヤの教会のように、実体はあるが霊的に死んでしまっている教会のようである。
聖書(神の言葉)を握ることによって、人生の荒波に打ち勝ち乗り越えてゆける教会形成を私は目指し祈っている。なぜなら私には人の悩みを解決していけるような力も知恵もない。私の使命は、執り成しの祈りをすることと、聖書を伝えることだと思っている。
先日、中学にも高校にもまともに行かず毎日酒とタバコに明け暮れていた方が、「イエスさまを信じてから、それらを止めたいと思ったからではなく、全く欲しいと思わなくなり解放されました。」とお証しておられた。今は学生時代を取り戻すかのようにして勉強に勤しんでおられる。
私は献身してから30年以上経過するが、信仰が入ると聖霊さまが働かれ人が変わっていく様子を何度も見てきた。そしてそれが私の活力となってきた。福音を伝える時に伴う主の働きに感謝。主は素晴らしい!