幼稚園の頃から俺はずっといじめにあっていた。友達はいなかったので本ばかり読んでいた。大学は地元を離れたが、今更ねじれた根性が直る訳もなく、やはり俺は一人ぼっちだった。たまたまクラスが同じになり俺の前の席に座ったのは、見た目も性格も素晴らしい男だった。しかし俺はヤツを警戒し、接触は極力避けるようにした。だがヤツは何の気負いもなく笑顔で話しかけてきた。どもってロクにコミュニケーションもとれない俺に一方的に話しかけて笑っていた。なぜか俺とヤツは一緒に行動するようになっていた。同じ授業を選び、同じサークルにも入った。とは言え、まだ本音で付き合っていた訳ではなく、一定の距離は置いていた。夏の日、サークルの部屋に入る直前で中の会話が聞こえてきた。同じサークルの女子連中が、「なんであんなのと、つるんでるの?」と聞いていた。今更他人にどう評価されようと知ったことではなかったが、これはヤツの気持ちを知る良い機会ではあった。「おい、今『あんなの』と言ったか? お前らにあいつの何がわかる?! 俺やお前なんかかなわない位、すげー生き方してきてるんだ。 なんでつるんでるか聞いたよな? あいつは『いいヤツ』だからだよ。」その後ヤツからメールが来た「サークル辞めようぜ。つまんねぇや」。それからもヤツとはつるみ続けて、気づいたら人並みなりの人間関係もできていた。俺の人生は、あの大学のあの日、ヤツに救われたといっても過言ではない。今でも連絡は取り合っている。骨髄移植が必要になっているようだ。ヤツを死なせる訳にはいかない。明日、会社を休んで病院に行く。きっと俺の骨髄は適合するだろう。しなければならない。それが、俺が生まれてきた意味の一つに違いないはずだから・・・(ある男性の投稿より抜粋)
 私も今まで“ヤツ”のような存在に助けられてきた。そして私も誰かの“ヤツ”になりたい。私の人生最高の“ヤツ”はイエス・キリストです。このお方のために生きたいと切に願わされる毎日です。