ある学校の文化祭で、「人生とは」というテーマで、ディスプレイに靴が並べて置いてあったそうです。それは靴(苦痛)の連続だということを表現したかったようです。
確かに、私たちの人生には悩みはつきものです。一つの問題が解決したかと思ったら、次の問題が発生するのです。絶妙な時期と間隔で、私たちの人生全体に試練が散りばめられています。でも、大人になって振り返ってみると、子供の時の悩み、青年時代の悩み、中年、壮年と、それぞれ同じ自分でも、悩みが変化していることに気付くと思います。それぞれのシーズンがあって、春になれば花粉症で苦しみ、夏になれば暑さで疲れ、秋になれば何か寂しい気分になり、冬になれば寒さで凍える・・・みたいな現実があると思います。でも、同じ環境でもそれぞれの季節から学び、楽しむこともできるでしょう。
ある方から、「昔は問題ばかりで悩んでばかりでしたが、神さまを通して現実を見るようになってから、問題が問題でなくなってしまいました。」と話しておられたことが印象に残っています。私も私なりには、何かあったら心痛め、自己卑下したりしていましたが、神の愛とご計画の深さを知ってからは、「神にあってどうにかなる!」と楽観的に生きることができるようになりました。
空の鳥は明日の食事の心配をしているようには見えません。野の草花も明日は何を着ようかと悩んでいません。でも神さまが鳥を養い、野の草花も、地上のどのような服よりも綺麗に着飾らせてくださっているなら、それ以上の存在である私たちは何を悩む必要があるのでしょうか?
ある先生の言葉に、「神は決して、あなたの力に余る試練を与えない。」というのがあった。神さまは、あなたが立ち上がることができないほどの試練はお与えにならないという意味です。人間に悩みはつきものですが、試練に耐える力と逃げ道を必ず備えていてくださっています。