聖書が示す人間の弱さの一つに「私」問題を取り上げている。実は、この問題があるために、人類は何千年経過してもストレスが軽減されることはなかった。「頑張れ!」とは言われても、頑張れない時もある。各個人には、時と場合によっても違うリミッターが付いていて、ある限界は超えられないようにできている。それを超えようとすると、病気になったり燃え尽きたりしてしまう。旧約聖書に出てくるモーセは、王子としてエジプトの王宮で育てられ、40歳になった時に思い立ちました。「“私”は今が一番脂の乗った年齢だ。地位も金もある。今ならイスラエルの民は“私”を信頼して従ってくれるだろう。今こそイスラエルを虐げるエジプトから救出する時がきた!」と言わんばかりに旗揚げしたのですが、誰も付いてくるどころか彼に対する不信感でいっぱいでした。同族であるイスラエル人を虐げていたエジプト人に腹が立ち殺してしまうのですが、それが発覚して荒野へ逃れて雇われ羊飼いとなりました。
彼が80歳になった時、神さまからイスラエル人エジプト脱出計画のリーダーとして呼ばれました。彼はまた“自分”を見て言いました。「“私”がですか?! “私”は、もう地位も名誉も財産もありません。“私”が何者なので、私を選ばれるのですか? もう一つ言っておきますが、“私”は口下手ですよ。人々を導いていくリーダーシップは、もう“私”にはありません!」
 これが人間の“私”問題で、これがストレスになっていることに気付いている人は非常に少ないのです。特に責任感の強い人は、精神的につぶれてしまうこともあります。
それに対して神さまは、「“わたし”がイスラエルと共にいて、“わたし”が導く!」とおっしゃるのです。「委ねる」とは、自分は何もせずに怠けるという意味ではなく、自分ができるベストは尽くして、結果は神さまのご意志通りに、という在り方を言います。まさにマザーテレサの「私は神の用いられる鉛筆です。」という言葉通りです。
 “私”ではなく“神”に委ねる人生こそストレスフリーへの近道です。