人の生き死には、誰にもわからない。いつ生まれ、いつ死んでいくのか、どの時代に、どの親の元で、どの国のどの人種として生きるのか、そしてどのように死んでいくのか。それは神のみぞ知る世界です。創造主なる神さまは、絶妙なタイミングで、その時代その時代に必要な存在に命を与えられています。そう考える時に、長い歴史の中で、今この地上で出会っている人たちは、たまたま生きている期間が重なっているだけではなく、緻密な神の計画による出会いであると考えることができる。
私の人生も振り返ってみると、確かに折りにある助けがいつもあった。「この人と出会っていなかったら、今頃どうなっていたのだろうか?」と思わされるようなこともある。本人は、気付いていないとは思いますが、どのような人も、年齢や性別に関係なく何らかの影響を与えながら生きていることは確かなことです。
先日、中原秀子さんが94歳で天に召されていった。他教会のメンバーではありましたが、不思議な出会いがあり、私たちの教会の開拓初期を支えてくださったお方です。許可を得て、当時84歳であったにも関わらず、KCFの午後の礼拝に出席され、平日には聖書セミナーをこの方の希望でスタートした。当時奈良市内で礼拝をしていた時、夏場の暑い時期であったにも関わらず、自ら希望して教会のチラシを住宅街へ一緒に配ってくださった。それらのことを走馬灯のように思い起こしながら、開拓初期に、秀子さんによってどれほど励まされたか分からない。
かつてマザー・テレサに、「あなたのしていることは水の一滴のようなことだ。どうしてもっと力のある社会に働きかけて、インドという国を良くしないのですか?」と尋ねる人がいました。その人に対してマザーはこう答えました。「海の水も一滴の水から成り立っているのですよ。」
私たちの働きや存在は、どんなに小さくとも、その一滴が寄り集まらなければ、神さまの歴史は完成しないのです。「わたしたちをほかにしては彼ら(信仰の偉人たち)が全うされることはない。」(へブル11:40)
あなたも神の大切な計画の一人です。上を見上げて歩みましょう!