第二次世界大戦中にナチスに捕らえられて収容所に送られ、ガス部屋で殺される恐怖を絶えず味わいながら、九死に一生を得て終戦を迎えた人物の中に、ヴィクター・フランクルというオーストリアの精神科医がいます。彼が書いた「世の霧」「死の愛」という本の中には、この収容所体験をもとに、極限状態に置かれた人間が、いかにして生き続けることができたかについて書かれています。同じ過酷な状況のもとにありながら、最後まで生き延びた囚人もいれば、力尽きて死んでいった人々もいましたが、その両者を分けたのは、決して体の頑強さではなく、「希望」や「夢」の有る無しでした。収容所の中にいて、夢を持つなど、実現不可能と思えるものでしたが、その希望を持ち続けた人々のみが、生きて終戦を迎えることができたというのです。この事実から、人間を生かすものは「意味」であるという結論に達したとのことでした。つまり、自分が生きていることに意味を見出せている間、人は生きてゆく強さを持つけれども、その意味を喪失した時、人は生きる希望と勇気を失うというのです。仕事一筋だった人が定年退職して、何もしなくなった時から、急に老いたり、病気になったりするケースが多いのは、まさにそれであろう。「退職したら、趣味をしよう」「体力づくりをしよう」「聖書の勉強をしよう」「教会に行こう」などの小さくても目標があければ良いということでしょう。
 世の中的には、目標や夢があれば、それが一時的には生きる活力になるでしょう。しかし、“永遠における人生の意味”があれば鬼に金棒です。それは永続的な力になります。私たちは神の計画が進められるため神に造られ存在しています。それが私たちの生かされている意味なのです。やがていつかは“永遠のいのち”なる天に迎えられます。Ⅱコリント4章には「軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させる」とある。天国は、想像絶する圧倒される場所であり、そこは、この地上で受けた傷や悩みや問題が、いかに小さなことだったかを悟ることができる場所です。今から天国が楽しみです!