30年前のある日、明石家さんまさんが買い物の支払いに千円札を出そうとしたら千円札にこんなことが書いてありました(お札に文字を書くのはいけません)。「さんまさん!いつかあなたの手にとどくことをねがってます。大好きです。」千円札にさんまさんへの思いを書いた女性は看護師で当時15歳。さんまさんへのラブレターを出すのが恥ずかしく、代わりに巡り巡って届くかもしれないと、千円札にメッセージを書いたことが発端だったそうです。そしてそのお札がなんと本当に本人のところにたどり着いたのです。それからさんまさんはこの“奇跡の千円札”の話をテレビやラジオで、時には真面目に、時には笑いを織り交ぜて“奇跡の千円札”の話をし続けていたのですが、彼女はそれから看護師となり結婚して普段は仕事に家庭に追われて忙しい毎日を送っていて、なかなかテレビを見る暇がなかったようです。そしてある日、たまたま家事をしながらテレビを見た時に自分の書いた千円札を今でもさんまさんが持ってくれていることを知って、筆跡鑑定して認められて、テレビ番組の中で初対面しました。その千円札を見つけてから、使用することなく、30年間大事に持ち続けていた理由を、「この千円札を書いてくれた子が応援してくれている。そう思える限り芸人をやり続けようって思うんですよ。」とさんまさんは語っていた。あの大御所人気芸人であっても、誰かも分からない、一人の名も知れない学生の短いメッセージに励まされながら仕事を続けていたということに、ある意味驚きを覚えました。
人は、”愛される”ことによって安息し、”愛する”ことによって満足する、と言われますが、人格的な関係性によって、バランスが保てるように神さまは造られているのです。だからこそ聖書は人が集まり、互いに励ましあうこと(コイノニア=フェローシップ)を奨励しているのです。
徐々に人々が教会に来られるようになって、息を吹き返したように感じています。そして何よりも、神の愛を受け、また自らも神を愛するという関係の中にこそ、真の安息と満足、永続的な幸福をもたらすのです。
人を永続的に幸福にするのは、欲望の充足ではなく愛の充足なのです。