ある日、ディズニーランドのインフォメーションに、一組の親子が元気なさそうにやってきました。スタッフが「いかがしましたか?」と問うと、父親は「実は、子供がミッキーやミニーちゃんなどのキャラクターを見つけては、サインを書いてもらっていました。あと少しで全部のキャラクターのサインで埋まるところだったのですが、どこかにそのサイン帳を失くしてしまいました」そこで対応したスタッフが各部署に連絡しましたが届いていません。後で心当たりのある場所を探しに行きましたが、結局見つけることはできませんでした。そこでこのスタッフは、キャラクターのサイン帳を自腹で買って、色々な部署をまわってキャラクターのサインを全部埋めました。後日、父親がやってきた時にスタッフは言いました。「残念ですが、サイン帳は見つかりませんでした。その代わりこれをお持ち帰りください」と、新しいサイン帳を差し出しました。父親は感激して持ち帰り、後日ディズニーランドにお礼の手紙が届きました。「先日はありがとうございました。実は連れてきた息子は脳腫瘍で、いつ死ぬかわからない状態でした。物心ついた頃から『ディズニーランドに行きたい! キャラクターのサインが欲しい』と言っていました。命があと数日で終わってしまうかも知れないというときに、無理を承知で連れてきたのです。あのサイン帳を持って帰ったとき、大喜びして、死ぬ直前まで胸に抱えながら『また行きたいね』と言って永遠の眠りにつきました。あのサイン帳をくださらなかったら、息子はこんなに安らかには眠りにつけなかったと思います。」
このスタッフは自腹で就業時間外にサイン集めをする必要はありませんでしたが、その小さな犠牲によって死にゆく子に喜びを与えました。
自分中心に生き、それ故に苦しむ私たちのためにイエス・キリストが、その罪の身代わりになって罰を受けてくださった犠牲によって、私たちに救いと希望が与えられました。それは私たちが神を知らずとも、裏切ったとしても、変わることのない神の一方的な愛の表れです。ただ受け入れるだけで救われるのです。何と大きな恵みでしょうか。栄光在主。