私たちは、プロテスタントの教会ですが、カトリックの方々からも沢山のことを学ばせていただいています。特にマザーテレサの生き方に感銘を受ける人は多いと思います。彼女の修道会では、お腹を空かせて集まってくる人たちに、パンや温かいスープを配っています。そこには多くのシスターたちが炊き出しに従事しています。マザーが生前、奉仕を終えて修道院に戻ってくるシスターたちをねぎらう時に、こう話されたそうです。「スープボウルを手渡す時、相手に微笑みかけましたか? ちょっと手に触れてぬくもりを伝えましたか? 短い言葉がけを、忘れはしなかったでしょうね? 私たちの仕事は、福祉事業ではありません。私たちにとって大切なのは、群衆ではなくて、一人ひとりの魂なのです。」
これはイエスさまの御心そのものであろうかと思います。マザーにとって、貧しい人たちをお世話するのは、「おかわいそうに」という憐れみや施しではなく、相手を一人の人間として、その尊厳に対する当然の行為でした。ただ機械的に、“こなす”のではなく、心がそこに伴っているかが重要なポイントになるのだと思います。スープボウルを手渡すだけなら、人間でなくてもできるでしょう。ロボットならば、もっと短時間に効率良く作業ができると思います。人間だからこそできることは、心を込める温もり、優しさ、微笑み、祈り心を持って手渡すことです。
教会も大きくなってくると、個よりも群衆に目移りしてしまいます。どれだけの人が集まっているか否か、立派な建物があるかないか・・・でも、神さまが見ておられるのは、どれだけの仕事をして、どれだけ集めたかではなく、どれだけ神さまの御心を行ない、心を込めてベストを尽くしたかということなのです。数や量は、自己満足の材料にしか過ぎません。たとえ実力が5千人に対して“五つのパンと二匹の魚”でも、祈り心を込めるならば、結果は全ての人が養われることになりました。
私は、個の魂を大切にする教会作りを目指していますが、人が増えてくるとなかなか目が届きません。自分の年齢をわきまえて、本日より、若者の魂のケアのためにも若者担当伝道者を投入いたします! 感謝!