私は、整理整頓は好きなのですが、いつの間にか資料や手紙や本などの山ができることがあります。ペーパー類を、どのように片付けたら良いのかわからないので、そのままにしてしまうのです。ある時、家内が片付けファイルなるものを作ってくれました。それぞれの大きなファイルに「マニュアル関係」「手紙関係」「教会資料」など書かれたラベルを貼って、そこに山積みになっている資料を仕分けせよというのです。そこで私はそれぞれのファイルに仕分け作業を始めると、みるみるうちに書類の山が減っていきました。しかし、問題が発生しました。どのファイルにも属さない書類が出てくるのです。そのようなものを後回しにしていると、結局、最後には訳のわからない物が残ってしまい、頭が混乱して片付かないのです。そこで「理解できない」というファイルを作ってくれました。それはどこに所属しているのかわからないものを入れるファイルです。そこに残った物を全部入れたら、すべて整理できました。
私たちの人生にも、理解不能な出来事が襲いかかってくることがあります。複雑な人間関係や自然災害やテロなどもそうでしょう。神さまに文句を言いたくなるようなことは、どこにでも転がっています。「どうしてだろう?」「何故、そんなことが起こるのだろう?」と悩み過ぎると、大変なことになってしまいます。もし、私たちの頭の中に、「理解できないファイル」を作って、そこに自分では理解できない事柄を全部入れてしまってみてはいかがでしょうか? そこに入れた物は、自分で解決するのではなく、全て神さまに委ねてしまうのです。そうするとけっこう楽になれますよ。それこそが神さまに信頼する者の姿なのです。
神さまに信頼するとは、自分の思い通り、願い通りに事が進んでいる時だけではなく、想定外、願いとは逆方向の出来事に対しても、受け止めるということです。自分の願いではなく、神さまの願いの通りになっていることを喜ぶのです。これは夢を諦めたり、希望を持つなという意味ではありません。理想へと進むプロセスの中で、期待しつつ祈りながら、「今」という現実は感謝して受け止めるということなのです。