子ども向け学習教材に「おうちのかたへ」と書いてある小冊子があり、その内容は、「私たちがまだ小学生・中学生だったころは、ひたすら勉強して、いい高校、いい大学へ入ることで、ある程度の幸せが約束されていると、多くの人が思っていました。そのゴールに向けて、テストが終われば忘れてしまうようなことをも、必死で暗記したことを覚えています。「何のために?」「この勉強は何の役に立つの?」そんな疑問も少しは胸に秘めつつ、答えを出すことを、ずっと後回しにしてきた気がします。今は、どうでしょうか? レールに乗って走ってみても、幸せは必ずしも約束されないのだ、ということは誰もが実感しています。しかし、だからといって、子供たちに「勉強しなくたっていいんだよ」とは言えないこともわかっています。「勉強」の意味自体が問われる時代になったのです。難しい時代、将来が見えにくい時代だからこそ、「自分の道を見つけ出すことができる学び」が必要なのではないでしょうか。それは大人になっても役に立つ学びです・・・
 この後も文章は続いているのですが、では何が自分の道を見つけ出すことができる「学び」なのか、については書かれていませんでした。多くの人は、何かがおかしい?と感じながらも、答えがわからないまま過ごしています。そしてその不安を忘れさせる何かを求めて生きています。
 私がもし、イエス・キリストに出会っていなければ、何のために勉強し、何の為に仕事をし、何の為に生きているのかという最も重要なことを見逃しながら、ただ目の前にある問題解決ばかりに目を向けて毎日を過ごしていたことでしょう。聖書に出てくるザアカイという人物も「自分の人生はこれでいいのか?」という疑問を持ちながらも、いかに知恵を使って金儲けをして、私腹を肥やすかを考えながら生きていました。そしてキリストに出会い、自分は神に選ばれ愛されていることを知った瞬間に、今までの価値観が全て崩れ、新しい人生へと変えられたのです。  
 
 明治の義人と言われた政治家・田中正造がこう言いました。「人は、神に愛育されて、愛の心にあふれる」   「神は愛なり」(Ⅰヨハネ4:16)