韓国に、ソン・ミョンヒという詩人がいる。彼女は生まれた時から脳性麻痺のために体が曲がり、一言話すのにもひどい苦痛を伴う一級障害者である。そんな彼女がイエス様に出会い、数え切れないほどの詩を書いた。その中の一つに、「私」という詩がある。
 
 私、持っている財産ないけれど
 私、人の持っている知識ないけれど
 私、人の持っている健康ないけれど
 私、人にないものがあり、人の見ないことを見
 私、人の聞かない声を聞いて、
 私、人の受けない愛を受けて、
 私、人の知らないことを悟ったね。
 義の神様は、人の持っているものを
 私に下さらなかったけれど、
 義の神様は、人の持っていないものを
 私に与えられたね。

 静かに吟味してほしい。何を感謝しているのだろうか。何に感激しているのだろうか。脳性麻痺のため、他人が持っているものの90%を持っていない人である。しかし、イエス様に出会って、イエス様が彼女の心を満たしてくださったのだ。すると何に感謝しているのか。他人が持っていないものが自分にはあり、自分が持っているものが他人にはないことを見て、かえって、「神様。私は世の人が所有し、楽しんでいるものがなくても、イエス様一人の愛を受け、あなたを目で見、あなたの声を聞くだけでも幸せです。感謝します」と言っているのではないだろうか。
                     (「一生感謝365日」ジョン・クゥアン著より引用)

 「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」(第二コリント4章18節)