牧師であり詩人でもあった河野進さんの詩をご紹介します。

病まなければ 捧げ得ない祈りがある
病まなければ 信じ得ない奇跡がある
病まなければ 聞き得ない御言葉がある
病まなければ 近づき得ない聖所がある
病まなければ 仰ぎ得ない御顔がある
病まなければ 私は人間でさえあり得ない

人は病気になると、その病気に心が縛られてしまったり、それに振り回されるような人生を送ることが多くあります。病気だけではなく、様々な問題や、まさかの出来事にも同じことが言えると思います。また自分だけならまだしも、その問題が家族や友人にまで巻き込んでしまうことさえあるでしょう。ある意味、私たちは「人生における何故?」によって支配されコントロールされています。そして、一生かけて絶えず起こる様々な問題解決のために労力を費やして人生は終わってしまうのです。
聖書の中に、このような記事があります。4人の友人が、一人の中風の男を床のままイエスの元へ連れて来ました。その時に語られたイエスの言葉が印象的です。「あなたの罪は赦された。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」。今までのこの男の人生は床に縛られ、その病に振り回されるような毎日でありました。しかし、イエスはその床を取りあげなさいとおっしゃるのです。取りあげるというのは、主導権が床にではなく、この男にあるということなのです。救いを受けた後の人生は、問題に支配されるどころか、その問題を逆に支配して生きることができるようになることを示唆しています。
河野進さんの詩は、病をコントロールしている人の姿を表しているように思います。問題がまだ残っていたとしても、それによって得るものは大きいと発想の転換ができるのです。これは信仰から来る恵みです。