私が以前にイスラエルを旅したとき、一人の初老の黒人男性がこのような話をするのを聞き衝撃を受けました。「私は生まれてすぐに、親に捨てられ、すぐに施設に入れられました。だから、今まで親の顔も見たことがなく、抱かれた経験も一度もありません。親の愛を知らず、誰からも愛されることなく施設で育ちました。ですから、学校へ行くようになっても、親のいる友達が羨ましかったし、私の性格はだんだんとゆがんでいきました。親から捨てられたという事実を知った時から、心には何をもっても癒されない大きな傷ができました。自暴自棄になりました。愛された経験がないから、人の愛し方がわかりませんでした。いつも学校では暴力を振るい問題児でした。結婚はしましたが、奥さんを愛することができない、愛し方がわからない状況のままでした。何をしても満たされない、癒されない心を引きずっていましたが、ある日、教会へ誘われて行きました。そこでイエス・キリストに出会ったのです。生まれて初めて、こんな自分をも愛してくださる愛を知り、その時、温かい腕に抱かれているような平安を経験しました。それから深い心の傷が癒されていくのを感じました。私の人生は、イエス様と出会った時から全く変わりました。もう二度と昔のような人生を送ることはありません。この地上にイエス様が歩いてくださったことを心から感謝しています!」
涙を流しながら語るその男性は、柔和で、穏やかでした。奥様と旅をしておられましたが、おしどり夫婦でした。
私は思いました。人はどんな過去があっても、どんな心の傷があっても、やり直すことができるものなのだと。それは頑張るのではなく、委ねるだけで変えることができるのです。枝は、幹から離れているならば、どんなに努力しても実を結ぶことはできませんが、繋がっているならば、自然と実を結んでいくようにできています。私たちは本来、キリストに繋がって生きるように造られたのですが、そこから離れて生きることが「自由」だと勘違いして、幹から離れた枝として実を結ぶことのない人生を歩むようになりました。
キリストに繋がっているだけで人生が変わるなんて深イイ話です!