聖書は学べば学ぶほどその高さ、長さ、広さ、深さdに驚きを覚える。スープで例えると、様々な出汁がよく出ているが、それらがバランスよくブレンドされていて、最後まで飽きずに飲み干せるといった感じであろうか。また噛めば噛むほど味が出てきて新たな発見をすることができる。そしてどの時代の人々にも救いを与え、希望を与え、癒しと解放を与え続けてきた。時代と共に色褪せすることなく求められてきた聖書は「世界のベストセラー」であることは誰も否定することができない事実であるが、それは聖書が“神の言葉”である故に可能になることである。
特に旧約聖書を調べていくと見えてくるのは、神は人類に対して長期計画と短期計画を持っておられるということである。私たちは“今”に生きているので、短期的な変化や奇跡を求める傾向にあるが、神の側は長期的に捉えておられることも多々ある。主は「わたしはすぐに来る」とおっしゃったが、2千年前から神を信じる者たちは、この言葉を信じて「再臨は近い」と、自分たちの時代にキリストが戻ってこられことを期待しながら生きてきた。モーセも神の命を受けて400万人ものイスラエルの民をエジプトの束縛から引き出した業績から考えると、一緒にカナンの土地に入れてあげても良かったとは思うが、実際には1ヶ月ほどで行ける道のりを40年もかかり、しかも目的地を目前にして召されていった。そして次世代の人たちがそのバトンを受け継いでいったのである。
イスラエルの族長のアブラハムも神の声に従い、何年もかけて約束の土地には入っていったが満足できるような場所ではなかった。もし地上での“ふるさと”を求めていたならすぐに故郷に帰っていたであろうが、そうはしなかった。へブル書11章には、彼は“天のふるさと”を求めていたと記されている。自分だけで全てが完結するとは考えなかった。
このように私達も神の短期と長期の計画をわきまえ、諦めずに祈り進むことが求められている。あなたも神の目的の為に生かされています!