ウェイン・コディロ先生が会衆に、このようにアプローチされたことがありました。「みなさんは、次の質問に全員手をあげてください。」と前置きをしてから、「では、この中でフルタイムのミニスター(伝道者)は、どのくらいおられますか?」全員が手をあげました。それを見てから先生はこのようにお話を続けられました。「手をあげている人たちの中には、『自分は教会から謝儀をもらっていないのに、どうしてフルタイムのミニスターなんだ?』と疑問に思われる方がいらっしゃるでしょう。この中には、会社員もいるでしょう? 学校の先生もいるでしょう? お医者さんもいるでしょう? それぞれ給料は、会社や学校や病院など違った場所から支給されますが、もっとその向こうの源まで行き着くならば、それは神様から与えられているものですよ!」
 またある日、スピーカーを移動させている奉仕者に問うたそうです。「あなたは、今何をしていますか?」その人は言いました「スピーカーを移動させているのですよ」しかしコディロ先生は言いました「いえ、あなたはスピーカーを移動させているのではありません」「いえ、移動させています。見ればわかるでしょ? 私は一体何をしているというのですか?」そこで先生はこう答えられました。「スピーカーを通して、メッセージの声が拡張されて人々に聞きやすくなるでしょう。あなたは礼拝に来る人々が、メッセージを聞きやすくして、イエス様を信じる決心をするお手伝いの宣教の働きをしておられるのですよ!」
 これは、私たちがどのような立場であったとしても、それぞれは神さまが遣わされた宣教者であることを説明されるために用いられたお話しでした。宣教の働きは必ずしもメッセージをしたり個人伝道することだけではない。その働きは多岐に渡ります。その中でも“祈り”は究極の宣教の働きであり奉仕であると確信しています。
 見える奉仕ができなくても、見えない祈りは強力な奉仕です!