関西カルバリーフェローシップは、6月で開拓11周年を迎える。まだまだ生まれたてのような教会ではあるが、土地購入や会堂建築の計画が進められていることに驚きを覚える。神さまの御業に感謝しかない。  
 私は開拓をするに当たっていくつかのこだわり(特色)をもって教会形成をしていきたいと願った。まず、教会のロゴマークにも表されているように、聖書を土台にした牧会を目標にするということです。「本の紹介をしたり、啓発的、心理学的な話ばかりで、聖書の言葉は取って付けているだけの説教に疑問を持っています。教会は聖書を教えるところではないのですか? 新来会者も教会で“聖書”の話を聴きたいと思って来てるんですよ。」と、十数年前に他教会の方の愚痴を聞いたことがあった。私もロータリークラブや一般のセミナーなどの講演、伝道目的の集会などでは、ある意味、人生論的な話をするし、キリスト教の敷居を下げるために一般受けするような話しをしてきたことは事実であるが、そのような訴えを聞いて、教会でのメッセージは必ず“聖書”からのお話しをして、み言葉の理解を深めるために例話や体験談を用い、日常で活かせるような内容を心がけようと意識するようになった。
 二つ目のこだわりは、バランス感覚ということ。聖書の中にも不思議なパラドックス(逆説)の融合を見ることができる。「行ないによってではなく、信仰によって救われる」というのは大前提の上だが、ヤコブは、「行ないの伴わない信仰は死んだもの」と書いている。「主の名を呼び求める者は救われる」とあると思えば、「主よ主よという者が皆、天の国に入れるわけではない」など、これらは偏らないための“バランス”だと確信している。聞き心地の良い“愛”や“恵”“受容”だけしか語られなければ、わがままになります。“キリストの律法”に従うことが、この地上での召しであることも教えられなければならないでしょう。
 三つ目は、“心のオアシス”になる教会を目指すということ。一週間、職場、学び舎、家庭の中で、さまざまな重荷や傷を受け、疲れを覚えて教会に来ている人たちが、教会では重荷を下ろせる場所になるように、あらゆる面で配慮をすること。
 ただし偏った教会があったとしても、神さまは、それさえも用いてその働きを進めておられることも事実です。これも絶妙なバランス?!