もうすぐ桜の季節になる。今は卒業して新しい職場、学び舎への準備期間の人たちもいますが、ある学校の校長先生が、以下のような講話をされ、学生たちに励ましたそうです。
-困難を恐れるな-
積丹半島の古平から余市までは、直線距離だと20キロにも満たないが、海岸道路がなかったころは、峰を登り谷を下る曲りくねった道で、30キロにもなるという文字どおり“羊腸の小径”であった。だから、海が相当に荒れても、船を利用する人が多かったのは、むしろ当然の成り行きであった。学生のころ、春休みを終えて札幌に向かう日は、前日までは運行止めをしたほどの大しけで、うねりは気味の悪い音を出しながら防波堤をかんでいた。出航するかどうかについての打合せは、長い時間を要した。人命を預る船長にしてみれば、その判断に慎重であるのは当然のことである。私は、荒波の日の航海を恐れながらも、あの曲がりくねった山道で行くか迷っていた。しばらくして船長は、「乗船よし」と叫んだので、それにつられるように船の方を選んだ。学生の気安さから、見学を兼ねながら船長室を訪れた。やがて、船が港外に出たとたんにひどく揺れだしてきたので不安がひろまり、顔から血が引いていくのが自分でもわかった。その時、潮焼けした老船長が、こんな話をしてくれた。「絶え間なく押し寄せてくる波は、みんな同じように見えるだろうが、決してそうではない。その一つ一つが違っているもので、そのうち幾つかは割合小さいのもあるし、また、幾つかは特別に大きいのもある。俺は、こんなしけの日には、港を出たらすぐ、一番大きい横波に船の腹を打たせてみることにしている。これは船にとって最悪の状態だ。しかし、これを乗りこえたら、後は数多くの波が来ても無いと同じだ。安心と自信とが持てる。それによって余市までの船旅の無事が保障されるのだ」と――。
先日、送られてきたある方の言葉の中に、「桜の蕾がふくらんできました。どんなことがあっても毎年必ず咲いてくれる桜の花に感謝します。」とあった。確かにどんなに厳しい冬を通っても、桜が咲かない年はありません。神さまが「桜を見なさい! だから心配するな!」と声をかけられているような気がしました。