先日ある方から「小崎先生は、何か問題とか悩みとかってないのですか?」と質問された。過去に何人かの人たちから同じような質問を受けたことがある。恐らく、私が何も問題がないように見えるのか、弱さを見せないことへの心配からかもしれない。しかしながら客観的に自己分析すると、決して強がりではなく、楽天的なおめでたい人であるようです。悩みがないわけではないが、一晩寝ると悩みが悩みでなくなってしまうのです。その根底にあるのは、何なのか?「神さまは何とかしてくださる、すべてを益にしてくださる」と本気で信じていると、問題が問題でなくなってしまうのです。考えてみれば、三大激痛で知られる尿路結石になって、のたうち回り、夜中に人生初の救急車を呼んだ時でさえ、「もしこの痛みを通して、あの人の病を癒してくださるのなら、そのままでも構いません。でもこれは痛すぎます、ちょっとは痛みを和らげてください。でもこれは神さまが許されたことでしょうから、甘んじて受け留めます。その代わりあの人を癒してあげてください!」などと苦しみ悶えながら冷静に祈っている自分がいたのを覚えています。しかし、楽天的な人は、楽しく生きることができる反面、自分の現状を肯定しすぎるあまり、悟りきってしまい「今のままで大丈夫」と自己反省する機会が少なく、悔い改めや成長ができなくなってしまう危険性もある。
ハワード・ヘンドリックス教授の著書『人生を変える教え』の中に次のような内容がある。
ヘンドリックス氏がシカゴで開かれた日曜学校大会に参加したのですが、そこで、かなり年配の女性に会いました。彼女は83歳でしたが、一晩中バスに乗って、シカゴまで来たのです。不思議で仕方がなく質問しました。「おばあさん。どうしてそこまでして参加されたのですか?」おばあさんは静かな口調で答えました。「もっと良い教師になるために、何かを学びたいと思って来ました」この女性は絶えず学ぼうという意志、成長する意志が強く、毎年成長し、成熟している教師であると言えるでしょう。この女性の下で、84名の教会教職者が生まれました。この年配の女性は、年齢を超えた、成長に対する飢え渇き、教えに対する情熱を持っていたので、このような実を結ぶことができたのです。
私も悟りきることなく、成長することを次世代に伝えたいものである。