私の人生を振り返ってみると、献身してから何故か10年前後の周期で、何か大きな出来事が起こっている。長女の誕生と同時に献身してから十年後に牧師按手礼を受け、それから十年後、20年仕えてきた母教会である大和カルバリーチャペル(神奈川県)を離れ、関西で開拓教会をスタートしました。それから十年後、何が起こるか楽しみにしていましたが、やはり期待通り起ころうとしています。3年前にスタートした堺チャペルを移転して、来週から新たなるスタートをします。そして、石切チャペルも、いずれは出なければならない状況になっています。次なる場所を祈り考え始めていますので、今年の移転もありえます。
私は献身した時には、小さな群れからの教会開拓はチャレンジしたい気持ちはありましたが、ゼロ開拓は、正直「したくない」と思っていました。ところが聖書学院を卒業後、すぐにロスアンゼルス郊外のラグナヒルズという場所で、ゼロ開拓のために派遣された。そして10年前には自ら志願してしまい関西に来てゼロ開拓。そして3年前に新たな教会を堺に開拓。自分の意志や願いとは違う道が開かれていっている。しかしある時期から「自分の人生は神実現のため」という思いが入った時から、自分の願いではなく、神さまの願いが成されていることに喜びを感じるようになった。勿論、自分の願いや計画がないわけではないが、それ以上に神さまのお心がなされる方が、もっと安心できることもわかった。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ1:21)この境地に達すると、マイナス的な出来事が起これば多少の動揺はするが、すぐに気持ちを切り替えることができるようになる。アブラハムやモーセの気持ちも、少し理解できるようになった。
私はどちらかというと、安定を求め、あまり変化を好まない性格ではあるが、神さまはそうはさせてくださらなかった。やはり神さまのご計画のみが進められていることを感じさせられる。そしてその流れに委ねることを神さまは私たちに求められていることなのです。
「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。」(詩篇55:22)