モーセは、ヘブル人としてエジプトで生まれた人物です。当時のエジプトの王パロは、エジプト国内にヘブル人の人口が増していることに脅威を覚えて、重い労役を課し、挙句の果ては、生まれた赤ちゃんが男子ならば川へ投げ込めとの命令を下しました。そのような状況下で生まれたのがモーセでした。両親はしばらく育てていましたが、隠しきれなくなりカゴの中に入れて、川へ浮かべました。なんとそこへパロの娘が水浴びにきて、そのカゴの中の赤ちゃんを見つけて養子にしたのです。神さまの深いお取り計らいによって、実の母親が乳母として10歳になるまで育て、その期間に、ヘブル人として神の選民としての意識が植えつけられ、やがてはエジプトで苦しむ同胞を救い出すためのリーダーとなるべきことを教えられてきたことでしょう。それから王宮内で世界最高レベルの教育を受けるようになりました。40歳になった時、思い立ち、今こそヘブル人を救い出すチャンスだと考えたのですが、誰も付いてくる者がいないばかりか、パロに告げ口されて、荒野へ逃げる身となりました。モーセは、エジプトの王家に属し地位があり、知恵知識に富み、40歳という一番働き盛りの年齢になった時に、“今が自分の時だ”と考えました。しかし“神の時”は、違ったのです。80歳という、記憶も薄れ、終活に入る年齢となったモーセを、神さまは二百万人のイスラエルの民を導き出すために立てられたのです。それは権勢によらず、能力によらず、神の霊によって生かされていることを学ぶためでした。
ここで考えさせられることは、神さまにとって、私たちにどんな力や能力があるかは、あまり関係ないということです。言うなれば、石ころからでもアブラハムの子を起こすことができるお方にとっては、目に見える現実がどうであろうと関係ないということが言えるでしょう。勿論、神さまから与えられた個性や賜物を用いられはしますが、それを何の為に用いているのかが問われてくるのだと思います。神さまは私たちに、カリキュラムを用意されていて、“自分”の力ではなく、“神”によって生かされていることを学ぶように導いておられるのです。