オーヘンリーの短編の中には、「最後の一葉」があります。
舞台は、芸術家を目指す人々の集まるワシントン・スクエア西のある一角。冬になると、貧乏な芸術家の卵たちの中には肺炎で亡くなる人も少なからずいました。ここにも一人、肺炎に犯された一人の少女が存在しました。彼女の名前は、ジョアンナ。街で出会ったスーと共に、地域の一角のアパートに小さなアトリエを持っていました。「彼女を生かすのは、治療より、むしろ生きようとする意志だ。」と医者が言います。しかし、ジョアンナは、病気のためか、その意志を持つことが出来ないでいました。そして、外にある木を見ながら、自分の死期を考えていました。あの木の葉っぱの最後の一枚が落ちたとき、自分は死ぬのだとジョアンナは言います。スーは、ジョアンナのそんな姿を見て、どうしたらいいか困り果てていました。アパートには、もう一人偏屈な老人が住んでいました。「いつか、自分は名作を描く!」それが口癖でした。そして、その夢をかなえることのないまま、年老いていきました。スーは、ジョアンナが肺炎で生きる希望を失っていることを老人に告げましたが、何の関心も示しませんでした。冬を迎え、ジョアンナが見つめる木からは、一枚また一枚と葉が落ちて行き、やがて、嵐が訪れました。嵐の過ぎた翌朝、ジョアンナは期待せずに窓を開けると、その木には、最後の一枚だけが、落ちずについたまま残っていました。 激しい嵐の中でも落ちなかった葉っぱを見て、ジョアンナは生きる希望を得て、回復しました。
同じ頃、同じアパートのあの老人が肺炎で死にました。老人はあの嵐の中、玄関にびしょ濡れでいたらしいのです。そう、最後の一葉は、葉っぱではなく、レンガに描かれた一枚の絵画だったのです。 最後の一葉は、老人の描いた最初で最後の作品だったのです。
どうしてこの話は感動するのでしょうか? それは他者のために生きる姿は、神の栄光を表わすものとして、神様が定められたからです。自分のためだけに生きた話しに感動はありません。私たちも他者のために生きる人生を送りたいものです。一番の模範は、イエス・キリストです。