シン・ピルス先生がフィリピンの宣教師訓練院に講師として招かれたときのことを書いておられました。その集会では、聖霊の働きが濃厚で、宣教師候補生たちは、涙を流しながら御言葉に感動していました。講義の後、ある宣教師候補生が先生のところにやって来て、「先生。本当にたくさんの恵みを受けました。お帰りになるときの旅費として使ってください」と言いながら200ドルを差し出しました。先生は戸惑いました。主の命令に従い、宣教のいばらの道を進もうとしている宣教師候補生が、200ドルという大金を差し出したからです。丁重に断りましたが、彼は、本当に深い恵みを受けたのでと言って引かず、そのお金を先生の手に握らせました。「こんな大金をどこに用いたら主が喜ばれるだろうか」とじっくり考えた末、宣教師訓練院の院長のもとに行きました。「院長先生。このお金を宣教師訓練生の中で、最も経済的に厳しい訓練生のためにささげたいのですが・・・」。すると、200ドルを先生に渡したあの宣教師候補生が、経済的に最も厳しい人であったことがわかりました。彼は十字架の恵みに感謝して、神の国のために喜んでささげたのでした。
(「惜しみなくささげます」シン・ピルス著より)
ささげることに無謀になってはいけませんが、神さまが促されたときは、大胆にささげることも必要ではないかと感じています。ささげていることを他者に知らせるは私の意に反しますが、自慢ではなく一つの証として告白します。東日本大震災が起こったのは6年前、教会を開拓し始めて、まだ半年ぐらいのときでした。礼拝に来られている人たちもまだ10人にも満たない、私もアルバイトをしながらでしたが、何か促しを感じ、その月の集会献金一ヶ月分全額を被災した教会へ捧げました。ところが次の月から人数が増えているわけでもないのに、コンスタントに献金額が増えていくのです。それから捧げる恵みを味わった私たちの教会は、自分たちの必要よりも、他教会や、世界の貧困状況にある子どもたちへの援助、被災地など、定期的に捧げるようになりました。気が付くとその度に、教会は次のステージへとバージョンアップされ祝福されていきました。これからも与える教会でありたいと願っています。
「一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである」(ジェラール シャンドリ)