先週のメッセージを聴いた方からのメールの一部をご紹介します。
 5時から男の朝6時から夕方5時までの心境に着目した説明に新しい発見をしました。ありがとうございました。私は、クリスチャンであることに少々重荷を感じていました。死ぬ間際に神さまを信じていたら、楽だったのになぁ・・・と、ず~と思っていました。その考えがやや方向転換しました。午後5時から雇われた男は、始業時間の朝6時から夕方5時は収入不安の時間でした。つまり、その間は、神さまを知らない時間で、早朝から職にありつけた男は、朝6時から収入の不安がない。つまり、神さまを信じていた時間だったのですね。
私も神さまに何だかんだと文句をたれていますが、神さまのおかげで、精神的に相当助けてもらっています。15年前に、教会に行ってなかったら、頭がおかしくなっていたかも?(今でも、充分おかしいかも?)
まあ色々不自由はありますが、神さまを信じている方がまだ楽だと思います。

 私は今までに、苦難に直面され乗り越えられた方々から「神さまを信じていて本当に良かったと思います!」という声を何度も聞いてきました。それは心からの真実な声だと思います。私自身も振り返ってみて、「あの時に神さまを知らなかったら、今ごろ自分はどうなっていたのだろう?」と、恐ろしくなることさえあります。私は朝の9時ごろ雇い主に出会ったような者ですが、早目にお会いできて良かったなと本気で思っています。恐らく、午後6時少し前に雇われたかったと考えている人は、自分の思い通りに生きることが自由で楽だと考えておられるのでしょうね。確かに、聖書に出てくる放蕩息子も羽を伸ばせて、さぞ楽しかったと思います。でも、この地上での楽しみや満足感は、ほんの一時的です。自分を満たしてくれる真実を求めて、ずっとさまよいながら歩くことになるでしょう。しかし、私には、弱めるときのいと近き助けがおられます。このお方なしの人生なんてありえません!