礼拝メッセージ

過去のメッセージ

【メッセージ】2015年3月15日 主日礼拝 「問題が問題でなくなる」

マタイによる福音書13章1-17節

<聖 書>(マタイによる福音書13章1~17節) 1その日ひ、イエスは家いえを出でて、海うみべにすわっておられた。 2ところが、大おおぜいの群衆ぐんしゅうがみもとに集あつまったので、イエスは舟ふねに乗のってすわられ、群衆ぐんしゅうはみな岸きしに立たっていた。 3イエスは譬たとえで多おおくの事ことを語かたり、こう言いわれた、「見みよ、種たねまきが種たねをまきに出でて行いった。 4まいているうちに、道みちばたに落おちた種たねがあった。すると、鳥とりがきて食たべてしまった。 5ほかの種たねは土つちの薄うすい石地いしじに落おちた。そこは土つちが深ふかくないので、すぐ芽めを出だしたが、 6日ひが上のぼると焼やけて、根ねがないために枯かれてしまった。 7ほかの種たねはいばらの地ちに落おちた。すると、いばらが伸のびて、ふさいでしまった。 8ほかの種たねは良よい地ちに落おちて実みを結むすび、あるものは百倍ばい、あるものは六十倍ばい、あるものは三十倍ばいにもなった。 9耳みみのある者ものは聞きくがよい」。10それから、弟子でしたちがイエスに近寄ちかよってきて言いった、「なぜ、彼かれらに譬たとえでお話はなしになるのですか」。 11そこでイエスは答こたえて言いわれた、「あなたがたには、天国てんごくの奥義おくぎを知しることが許ゆるされているが、彼かれらには許ゆるされていない。 12おおよそ、持もっている人ひとは与あたえられて、いよいよ豊ゆたかになるが、持もっていない人ひとは、持もっているものまでも取とり上あげられるであろう。 13だから、彼かれらには譬たとえで語かたるのである。それは彼かれらが、見みても見みず、聞きいても聞きかず、また悟さとらないからである。 14こうしてイザヤの言いった預言よげんが、彼かれらの上うえに成就じょうじゅしたのである。『あなたがたは聞きくには聞きくが、決けっして悟さとらない。見みるには見みるが、決けっして認みとめない。 15この民たみの心こころは鈍にぶくなり、その耳みみは聞きこえにくく、その目めは閉とじている。それは、彼かれらが目めで見みず、耳みみで聞きかず、心こころで悟さとらず、悔くい改あらためていやされることがないためである』。16しかし、あなたがたの目めは見みており、耳みみは聞きいているから、さいわいである。 17あなたがたによく言いっておく。多おおくの預言者よげんしゃや義人ぎじんは、あなたがたの見みていることを見みようと熱心ねっしんに願ねがったが、見みることができず、またあなたがたの聞きいていることを聞きこうとしたが、聞きけなかったのである。