人生とは、あなたのためにあるのではないことを忘れてはなりません。あなたが神の目的のために存在しているのであって、その逆ではありません。神が私たちにこの地上の時間をお与えになったのは、天国に入る前に私たちの人格をしっかりと建て上げておくためなのです・・・あなたが永遠の世界に持っていくことができるのは、人格だからです・・・多くのクリスチャンが神の偉大な目的のために生きることよりも、個人的達成感や情緒的安定といったものに甘んじています。これは自己愛であって、弟子訓練ではありません。主イエスが十字架にかかって死なれたのは、私たちが快適な人生を送り、うまく順応して生きていくためではありません。神の目的は、遥かに深遠なものです。神は私たちを天国に連れていく前に、私たちをご自分に似た者に造り変えようとしておられるのです。これこそ私たちの最大の特権であり、直接の責任であり、そしてまた究極の使命でもあるのです。
(リック・ウォレン著「人生を導く5つの目的」より抜粋)

 耳の痛い箇所の抜粋をしましたが、これは聖書的真理でもあるのです。勿論、快適な生活や安定した人生を求めることが悪いとは思いませんが、命懸けで今の時代まで信仰を継承してきた先人たちから見ると「甘い」と一言言われるでしょう。
 私たちは老若男女、どの時代、どんな立場であっても、どんな環境に住んでいる人でも、私たちを振り回そうとする風が、生涯を通して吹いてきます。それは褒められることであったり、そしられること、悪評を受けること、好評を博すことでもありますが、それらが人を有頂天にさせ高ぶらせたり、自信喪失させて落ち込ませたりして、私たちの心を揺すぶる材料になります。悩みや心配事は、一生続くものです。でも、それは、天国に入る私たちの人格を整えるためだというのです。この地上での生活は、天国予備校?のようなものなのかもしれませんね。
 「八風吹けども動ぜず」のような人格を作り上げていくことを、一生かけて成長していくことを神さまは望んでおられるということです。