先週の「論より証拠」というメッセージに応答して、嬉しいメールが届きました。本人の許可を得て以下に一部抜粋します。
今日(4月28日)は、私にとって大切な日です。ちょうど一年前の今日。小崎先生が洗礼を授けてくださった時です。この一年を振り返ると、本当にあっという間だったのですが、私の人生で一番濃厚な年でした。生まれ変わり、祝福をいただき、結婚して幸せを実感したり、新しいことに挑戦したり、挫折を味わい苦悩したり・・・いろんな経験をしました。でも、これまでと違うのは、「いつも心の中心に神さまがいてくださり、私一人で歩いているのではない。」ということです。また、困難な時に「神さまならどうなさるだろうか?」と考えることもこれまでと大きく異なると思います。神さまを証明することは私にはできませんが、信仰によって私の人生は大きく変えられたのです。ハレルヤ!! 主に感謝します。ありがとうございます。栄光在主 A.K.

日本人がどうしてなかなか聖書の神を受け入れることができないのか? いろいろな理由があると思いますが、その中の一つは、賢くなりすぎたということだと思いました。アダムとエバが神から離れたキッカケとなったのは、「善悪を知る知識」を求め食べた時からでした。人は神を頭で理解したいと知識を求め、人の頭の大きさに神を押し込めてしまい、全治全能なる神の力を体験できなくなってしまったのです。神の存在は知識や理屈で理解できるものではありません。本気で信じ受け入れたときから自分の内側に起こる変化を実感できるのです。
ヨハネ福音書9章の中に、人々が、「癒した人は、誰なのか? 本当に目が見えなかったのか? 癒した人は、罪人だ!」などと問うてきたとき、かつて目の不自由だった男の言葉がパワフルです。「あのかたが罪人であるかどうか、わたしは知りません。ただ一つのことだけ知っています。わたしは目が見えませんでしたが、今は見えるということです。」
私も言います。神の存在のあるなしを証明することはできません。でも一つ言えることは、信じてから私の人生が変わったということです!