私は今でも娘や息子が幼い時に私に書いてくれた手紙や絵などを大切に持っています。他者に見せたり家に飾ることはできないようなレベルのものもありますが、私にとっては何万円であっても値踏みすることのできない宝物なのです。恐らく世の中に出るとゴミ箱行きでしょう。他者にとってはゴミ同然の作品を私は何故大切にしているのでしょうか? それは親子という「関係」の故です。神さまと私たちの関係は、地上での親子の関係に反映されています。たとえこの世の中からは捨てられるような存在であったとしても、誰からも評価されない人生であったとしても、それでもあなたをVIP(Very Important Person)とても大切な存在として、神さまが受けとめているのです。
神さまの側は、あなたとの関係を決して切ることはありません。しかし私たちの側が、その「関係」に無関心であったり、切っているならば、それは完全な関係とは言えません。私たちの手首を掴まれているように、私たちも神さまの手首を掴み続けるなら、それは人生におけるどのような荒波にも耐えることができる平安が与えられるものです。
フェイスブックにある青年がこのような書き込みをしておられました。「父が天に召されて16年が経ちました。振り返ると、よくグレないでここまできたなと思う。」私はこの青年が中学生の時代から知っていて、お父様の葬儀の司式もさせていただきました。それからも人知れぬ苦労や辛い経験を何度もされて今は29歳。私も祈ることしかできませんでしたが、彼女が最悪の状況でも神さまとの関係を切らなかったことが大正解でした。弱さの故に教会に行けなくなった時期もありましたが、インターネットでも繋がっていたいというその心を神さまは見ておられたのだと思います。そしてこの度、教会に戻ることができただけではなく、ご友人を救いにお導きすることができました。先週も私にとっては忘れられない洗礼式となりました。He is good to us all the time!