先週、石原東京都知事が、新党結成の表明をした。多くの人たちは驚いたことでしょう。もう引退して悠々自適に生きることができる立場にありながら、自分の安定よりも、誰かが立ち上がって国を何とか変えなければ国民が路頭に迷ってしまうのではないかいう自己犠牲にも近いものがあるように思った。本人も体力は落ちてきていることは認めながらも、日本という国に対する危機感から、何とかしなければという熱い情熱が彼を動かしているのではないだろうか。インタビューで80歳という年齢のことを問われ、「どうしてオレがこんなことやらなきゃいけないんだよ。若い者よ、しっかりしてくれよ!」という言葉がそれを物語っているように思う。石原都知事が何とかしてくれるとか、してくれないとか、新党結成に賛同でも反対でもない立場ですが、その意気込みだけは見習わなければならないと思う。
私たちの教会には、四捨五入すると80歳になられる若者が数名いらっしゃいます。毎週、忠実に教会に来られる方々ばかりである。中には1時間もかけて運転して来られる人もいる。都知事に勝るとも劣らない神さまへの熱い情熱を感じる。結局、若者も壮年も気力を保ち続けることが、いつも活き活きとできる秘訣ではないだろうか。
では、気力はどこから出てくるのか? ウェイン・コデイロ先生の著書によると、私たちの多くがやる気を失ってしまったのは、神様が私たちの将来、教会、家族、そして財政のために、どんなにすばらしいことをしてくださるかということを夢見なくなったからだというのです。神様のために大きな夢を見ることは遅すぎません。神はモーセが80歳の時に星空を見せて大きな夢を持たせました。私たちの夢が自分の生きている間に成就すると考えているならば、遅すぎると感じるかもしれませんが、主は歴史を通じて働かれるお方です。信じた通りになります!
「年寄りは夢を見、若者はビジョンを見る」(ヨエル2の28)