私は様々の場所で聖書セミナーをさせていただいているが、先月集会が終わった後で、このようなことを言いに来られた方がいました。「メッセージを聴きながら涙が溢れてきました。このような体験は初めてです。」この方は、昔は教会に通っていた時期があるそうですが、ずっと離れている状態でした。しかし神さまが心に触れてくださってから、その生き方が変えられてきたそうです。世の中の情報に翻弄されて悩んでおられたその心に平安が与えられたとのことです。
また、「夫婦で朝のデボーションをしていますが、気付かない所で成長しているのを感じます。」「私は神さまに仕えているつもりが気が付くと神さまのふりをしたサタンにすり替わっていたりします。日曜日ごとにそれに気付かせて頂いています。」「イエス様を信じてから、クヨクヨしなくなりました。神さまが何とかしてくださると思えるようになりました。」などの体験談を聞いて感動しています。人が救われる姿を見ることが一番嬉しいことではありますが、イエス様に繋がったら、ある人は突然、ある人はだんだんボチボチと螺旋階段のように人生が上向いていく体験をしておられる様子に、神さまに感謝しています。
私たちは、一瞬にして、何かが変わることを期待しますが、神さまは、この世を造られた時に、「時間」を与えられました。これは神さまが私たちに「一瞬」に事が変わることを、あまり望んでおられないということでもあろうかと思います。時間があれば、時間を費やすこともあるし、忍耐も養われるし、祈りも生まれます。
モーセが神さまに用いられたのは、王宮にいた若い時期ではありません。荒野で40年間費やして80歳になった時でした。アブラハムとサラは子を宿す力がなくなってから、イサクが与えられるという恵みを授かりました。自分が何とかできると考えている間は、神さまはあまり働かれないようです。なぜなら神さまの出番がないからです。徹底的に自分には力がないことを知ってから、初めて大きく用いられるということになるのでしょう。合言葉は「頑張らないで諦めない!」