私たちは、敵とは言えない、むしろ仲間内の党派心や、みえの故に苦しむことがあります。それに対してそれぞれの対処法を持っていると思いますが、それが自分中心的なものであれば、必ず人間関係に大きな歪みを生み出します。「目には目を。歯には歯を」的な対処は、本人にとってはスッキリするでしょうけれども、世界の歴史を学ぶならば、それが賢明ではないことは一目瞭然であります。
ヨハネ・パウロⅡ世教皇は「人を許す時、許した人は自由になり、解放されます。人を許さない人は、他人の支配下にあります。」と言いました。
確かに「許さない」ということは、心は依然として相手に振り回されている状態あります。嫌な相手にコントロールされていることほど悔しいことはありません。「許し」は自由と解放の鍵だというのです。許す決断によって許しは完了します。感情がなかなか伴わなくて苦しむ人もいますが、実は感情はモノの見方によって数秒で違う感情に変えることができるものなのです。
ある教会で賛美が始まると、必ず下手な踊りをする男性がいました。若者たちは、彼に対して批判的な陰口を言っていました。ある日、牧師がその男性に体験談(証)をするように促して講壇の前に立たせました。彼はこのような話をしました「私が幼い時に両親が離婚して、自分は親戚の家を渡り歩いていました。自分が生きている意味がわからず、愛される経験がなく、自暴自棄になってしまいました。ある日、教会へ誘われて、初めて礼拝に出て、そこで神様に出会うことができました。神様に愛されていることがわかりました。それから良い仕事が与えられ、結婚して子供が与えられ、神様が私にしてくださった素晴らしい出来事の数々を思い起こすと、下手な踊りであっても、そうやって神様に感謝せざるを得なくなるのです。」と涙ながらに話しました。これを聞いた若者たちは、この日以来悪口を言わなくなったのです。
自分ではなく相手の立場に立って見るならば、新しい世界が見えてくるものです。私たちも自由で解放された人生を歩みたいものです。