礼拝メッセージ

心のオアシス

心のオアシス 2019年7月28日

 アップル社の設立者であるスティーブ・ジョブズ氏は、世界でも一番ビジネスに成功したビジネスマンの一人であると言っても過言ではないでしょう。そして世界で最も金持ちになれた人でもあるでしょう。彼が2011年に膵臓癌で亡くなるまでの名言は数多く残されていますが、最後に残したと言われる言葉を紹介します。
 「私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。他の人の目には、私の人生は、成功の典型的な縮図に見えるだろう。しかし、仕事面をのぞくと、喜びが少ない人生だった。病気でベッドに寝ていると、人生が走馬灯のように思い出される。私がずっとプライドを持っていた有名になることや富は、迫る死を目の前にして色あせ、何も意味をなさなくなっている。生命維持装置のグリーンのライトが点滅するのを見つめ、機械的な音が耳に聞こえてくる。神の息を感じる。死がだんだんと近づいている。今やっと分かったことがある。人生とは富に関係のない他のことを追い求めたほうが良い。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね。神は、誰もの心の中に、愛を感じさせるための感覚というものを与えてくださった。あなたの家族のために愛情を大切にしてください。あなたのパートナーのために。あなたの友人のために」・・・彼が様々な場所で講演する際、自分の知恵や経験値から、ビジネスで成功するための極意を数多く話していましたが、死の壁を前にして、結局彼が追い求めてきたものは、間違いだったと言ったのです。
 アップル社が業績を伸ばせた一因は、小売部門を牽引していたロン・ジョンソン氏がいたからだと言われています。彼は教会の日曜学校の教師でもありました。彼のモットーは、「隣人を自分のように愛しなさい」(マルコ12:31)という聖書の言葉だそうです。ジョブズ氏が癌の告知を受けた時、休暇中の彼にロン氏は、一つだけこうアドバイスしたそうです。「スティーブ、君ほど頭のいい人間は、永遠について時間をかけて考えるべきだ。永遠は存在するのか否か、永遠とはどういうものかということを。分かり切ったことだ、と思わないことだ」と。このメッセージをジョブズ氏がどのように受け止めたかはわかりませんが、影響を受けたことは間違いないでしょう。自分の知恵知識はこの世だけのものですが、神の知恵は永遠に関係するものです。神の知恵をいただきたいですね。

心のオアシス 2019年7月21日

 私が尊敬している牧師の中に、故ハ・ヨンジョ先生がいる。韓国だけではなく、日本のキリスト教会でも幅広く受け入れられ、その功績は素晴らしい証となって残されています。「日本人を許さなかった韓国人の罪を許してください。」と日本中で謝罪され、この言葉に多くの日本のクリスチャンは感動したことでしょう。先生は、私が今お世話になっている衛星放送CGNTVを開局され、ツラノ書院を立ち上げ、数々の大きな働きをしてこられました。しかしながら、典型的な韓国人の持っている表向きの激しさはなく、元気でバリバリ仕事をこなすような方ではありませんでした。先生は若い日に病にかかり、8回の肝臓ガン手術と、週3回の腎臓透析を受けてこられました。生涯「総合病院」という別名を持って生きておられましたが、病のために精神的に弱くなった姿を周りの牧師や信徒たちに見せることはありませんでした。先生は病のために身体は弱っておられましたが、それによって謙遜を学び、病を通して神さまが働かれることを見たとご自身が証ししておられます。
 創世記に出てくるヤコブの11番目の息子ヨセフは、高慢で配慮することを知らなかった故に、上の兄弟たちから憎まれ、エジプトへ奴隷として売り飛ばされ、主人の奥さんに言いがかりをつけられ犯罪者として獄屋へ送られました。しかし、彼はそこで謙遜にさせられました。自分の人生は自分が切り開いているのではなく、主の手の中にあって、導かれているということを悟った彼は、エジプト王の夢の解き明かしをすることによって獄屋から出され、エジプトの大臣に昇進しても、兄弟たちを許し、兄弟たちが行なった悪さえも用いて、神は、後に起こるイスラエルを飢饉から救うために先に自分をエジプトへ送り込まれたのだと、発言するまでになりました。もし、ヨセフに「神の手の中にある」という信仰がなければ、このような発想は生まれなかったでしょうし、すぐに兄弟たちに仕返しをしていたことでしょう。信仰が人の中に入ると、マイナス的な出来事の受けとめ方が変わってくるものです。
 しかしながらポジティブ思考は信仰ではありません。信仰は、信仰の対象から与えられるものだからです。ポジティブ思考は自ら出すことができますが、信仰は神さまによってのみ生じることができます。是非、創造主なる神さまを求めてみてください。良きことが起こるでしょう。

心のオアシス 2019年7月14日

 巡礼中の二人の僧侶が川にさしかかり浅瀬を渡ろうとすると、着飾った娘に出会った。娘は、水かさが増した川を前に途方に暮れている様子だ。きれいな服を汚したくないのだろう。そこで、僧侶の一人が手間もなく、娘を背負うと川を渡り、向こう岸の乾いた土手におろしてやった。そして再び二人は旅を続けた。一時間ほど経った頃、もう一人の僧が文句を言い始めた。「女に触れるなんて、何てことだ。戒律に反するぞ。修行僧の掟を破るなんて、まったくお前はどうかしている」先ほど娘を背負った修行僧は並んで黙々と歩いていたが、とうとうこう言った。「わたしはもう1時間も前に娘をあの土手においてきたというのに、何でおまえはまだあの娘を背負っているのだ?」(「弾師の知恵」より)
 悔しい思いや、許せない出来事があると、相手や出来事によって心が縛られてしまうことがあります。実際には縛られていなくても、心が縛られてしまって、四六時中そのことによって自分が振り回されてしまうのです。悔しいと思いませんか? そこから脱する方法に関しては、積極思考や啓発的な読み物の中にいくつか紹介されています。しかし、そこには根本的な解決はなく、ただ自分に言い聞かせて説き伏せるしかないので、また思い出す度に苦い思いがフツフツと湧いてきます。私がこれまでに実践した中で、これを解決する最も効果的な方法は、神がすべての主権を持っておられることと、そして神が必ず公平にさばかれる時が来ると信じることです。そして自分自身も、本来は神の目には赦されるはずのない罪人なのに、赦されていることを自覚することです。
 ヤコブの11番目の子であるヨセフは、嫉妬からエジプトに売り飛ばした兄弟たちに対する苦々しい思いがいつもあったでしょう。それは、ヨセフが後の日にエジプトの大臣になり、それとは知らずに飢饉のために食料を求めにきた兄弟たちに対する態度からも分かると思います。すなわちヨセフは自分を明かさず、何度もいじわるとも言える言動を兄弟たちに行なっているのです。しかしそんな中で、四男ユダの犠牲的な姿に神の愛を見ました。ヨセフは、ようやく神の主権を悟り、自身を明かして言いました。「私を売ったことを嘆くことも悔やむこともありません。命を救うために、あなたがたより先に神が私をエジプトに送り込まれたのです。」 “神は私に最善しかされない”という信仰が解放の鍵です。

心のオアシス 2019年7月7日

 最近、個人的に旧約聖書のヨブ記を学んでいます。ヨブは地上における不条理を指摘しています。「かすめ奪う者の天幕は栄え、神を怒らす者は安らかである。自分の手に神を携えている者も同様だ。」(ヨブ記12章6節)ヨブを責める友人たちは、「悪者は必ず不幸な目にあっている」と言うのですが、そういう図式は現実の世界では当てはまりません。ヨブが言うように「荒らす者の家が栄えている」ということがあります。神を怒らせている者が安らかであるように見えることもあります。現実は悪者が栄えていることも事実です。終わりの時には公平なさばきがあることを聖書は教えていますが、それまでは単純に義人が栄え、悪者が廃れるという単純な公式ではない、ということをヨブは話しています。ヨブの落としどころは、悪者が栄えることも、自然界の法則も、すべては神の主権の中で起こっているということでした。自分には理解できなくても神が理解しておられ、御心がなされていることを受け止めることが信仰者のあるべき姿でしょう。それは“諦め”ではなく、神は最善に導いてくださるという“期待”の表れなのです。
 花売りのおばあさんがいました。人生の嵐をたくさん経験したためか、顔には深いしわが刻まれ、髪は真っ白で、背中は曲がっていました。しかし、花を売りながら笑顔を絶やしませんでした。彼女を見ていた人々は、その笑顔の秘訣が一体何なのか気になっていました。ある日、それを尋ねた人がいました。「おばあさんはいつも嬉しそうで、顔が穏やかなので、問題も苦しいこともなさそうに見えますね」おばあさんは答えました。「まさか。私だって心配事を積めば、トラック百台分くらいにはなるんですよ」「そうなんですか? では、なぜいつもそんなに明るく嬉しそうにしておられるのですか?」「聖書に、イエスは十字架につけられて死なれ、三日後よみがえられたとあります。ですから、私も苦しいことがあるたびに『私も三日だけ待とう。人生には苦難の金曜日だけではなく、復活の夜明けもあるのだから』と自分に言い聞かせるのです。そうやって三日じっと我慢して待つと、いつも主が喜びを与えて、良いことに巡りあえるようにしてくださるんですよ!」 

心のオアシス 2019年6月30日

 作曲家のメンデルスゾーンが、ヨーロッパ最高のオルガンがあるという聖堂を訪れた時のことです。彼はオルガンを一度演奏させて欲しいと頼みましたが、聖堂の演奏者は断固として断りました。「このオルガンがどれほど貴重なものかご存知ですか? この貴重なものを、誰にでも弾かせることはできません。」メンデルスゾーンは、しきりにせがんだ末、ついに許可を得ました。彼の指が鍵盤の上を走る瞬間、これまで聖堂の演奏者が聞いたこともない美しく壮大なメロディーが聖堂を満たしました。後にメンデルスゾーンの正体を知った聖堂の演奏家は、こう言ったそうです。「あなたがあの偉大な音楽家メンデルスゾーンなのですか。偉大な音楽家にオルガンに触れさせないようにするとは、私は本当に愚かでした。」
 自分よりも能力のある存在に人生を任せることができるなら、何も心配したり恐れたりする必要がないだけでなく、さらに大きな希望を抱き、さらに大きな夢を見ることができるでしょう。重要なことは、自分の才能や実力ではなく、「誰をつかみ、何に拠り頼むのか」です。自ら波を起こすことができなくても、大きく強い波がきたら、格好よくサーフィンすることができ、自ら風を起こせなくても、強い風が吹けば帆を空高く揚げることができるのです。
 今、KCFの礼拝メッセージでは、創世記から学んでいます。兄弟の嫉妬からエジプトに売り飛ばされ、奴隷になり、冤罪で牢獄に入れられ、忘れられたヨセフの人生は下降状態。這い上がることなんて不可能な状況でした。しかし、彼は腐ったりせず、ただ自分は神の手の中にあることと、“神の時”を信じ、その時その時の状況を受け入れて進みました。そしてある日、神の指が動き、崩れていたような彼の人生のすべてが繋がるかのようにして、一夜のうちに囚人からエジプト全国の支配者になりました。神が共におられることを信じることは、日々の力となります。
 私たちのすべきことは、ただ神が私たちの人生を神の御心のままに演奏されるよう、その席を差し出すことだけなのです。

心のオアシス 2019年6月23日

 マザー・テレサの『あなたの中の最善なものを』という詩です。
 
 人は不条理 非論理 利己的です
 気にすることなく人を愛しなさい

 あなたが善を行うと 利己的な目的でそれをしたと人は言うでしょう
 気にすることなく善を行いなさい

 目的を達しようとすると じゃま立てする人に出会うでしょう
 気にすることなくやり遂げなさい

 善い行いをしても おそらく次の日には忘れられるでしょう
 気にすることなくしつづけなさい

 あなたの正直さと誠実さがあなたを傷つけるでしょう
 気にすることなく正直で誠実でありつづけなさい

 あなたの作りあげたものが壊されるでしょう
 気にすることなく作りつづけなさい

 助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
 気にすることなく助けつづけなさい
 
 あなたの最善のものを世に与えなさい けり返されるかもしれません
 でも気にすることなく最善のものを与えつづけなさい

 この詩のような生き方を全うされたのはイエス様でした。不条理、利己的で、裏切る私たちを愛し続けてくださっています。主に感謝。

心のオアシス 2019年6月16日

 黒川伊保子さんの著書「妻のトリセツ」は、実に男性と女性の考え方の違いを明快に説明している。以下がその一部です。
女性脳は大切な対象に意識を集中し、ちょっとの変化も見逃さず、相手が何も言わなくても、何を求めているのか、どうすれば相手がうれしいか、その意図を察して生きている。これは、物言わぬ赤ん坊を育てるために女性脳に装備された能力だから、「察すること」イコール「愛の証し」だと信じているのだ。「察してなんぼ」の女性脳にとって、「言ってくれれば、やったのに」というセリフは、察することを放棄した言葉であり、「僕はあなたに何の関心もない」「あなたを大切に思っていない」と同義なのである。
男性脳は大切なものに対して、習慣的に責務を果たすことを旨とする。
毎月給料を渡し、毎週決まった日にゴミを出し、毎日同じように帰宅する。これが男性脳が「妻を大切にしている」証しなのだ。察する機能がついていない男性脳に察しろと言うのはむずかしい。「言ってくれれば、やったのに」は本音であり、思いやりである。
しかし、このような場面で、言うべきなのは「気がつかなくてごめん。僕がやるべきだったね」だ。察したい気持ちを伝えるこのセリフは、ときには愛を伝える言葉にもなる。女性にとっての愛の証しと男性にとっての愛の証しが異なるから通じない。しかし、女性を大切にしていることを伝えるには、男性が女性に合わせる必要がある。譲歩することが愛情にもなる。
それにしても男性にとって、察することは意識的な訓練が必要だ。
でも、それは人間関係で必ず役に立つはず。

 なるほどと思わせられる。これを読みながら男性は、このような川柳を作るのです。「AIに 翻訳させたい 妻の機嫌」「この俺に 温かいのは 便座だけ」「諦める 妻のトリセツ 日々進化」
 教会は、世の中で闘うお父さんも応援しています。ヽ(´▽`)/

心のオアシス 2019年6月9日

 エン・グルデルはアメリカの心理学者です。口唇裂で生まれた彼女は、いつも劣等感に悩まされていました。今は簡単な手術で矯正できますが、エンが生まれた当時は、それは大変なことでした。エンはうつ病に悩まされ、いつも両親を恨みました。すると両親も友人もエンを避けるようになり、結局彼女は、世のすべての人が自分を嫌っていると考え、誰も自分のことは愛してくれないと思っていました。
 ある日、学校で聴覚の検査がありました。それは、教室の中に仕切りを設けて、仕切りの向こうにいる担任の先生が言う言葉をそのまま繰り返して、どれほど正確に聞けるかを調べるテストでした。たとえば、先生が「今日は天気がいいよ」と言って、それが聞こえたら、そのまま繰り返すのです。ところがエンの順番になると、先生は他の生徒たちに言った言葉とは全く違う言葉を言いました。「あなたが私の娘だったら良かったのに」この言葉に驚いたエンは、先生の言葉を繰り返す代わりに、「先生、本当ですか?」と尋ねました。エンが言った言葉の意味を見抜いた先生は、「そうよ。本当にあなたが私の娘だったら良かったのに」と言いました。そしてその言葉によって少女の人生が変えられたのです。
 世の中は、人の存在価値を見失わせるような価値基準や社会構造によって成り立っています。自分の存在価値を維持するために、必死になってノルマを達成し偏差値を上げる努力をします。基準に達すれば評価され、そうでなければ切り捨てられてしまう、そんな社会の中で、選ばれる人たちは、ほんのひと握りの人たちしかいないのです。人はみな苦しみもがきながら生きています。
 しかし、朗報です! 世の基準ではなく、天の基準で私たちを見つめ続けておられる方がいらっしゃいます。それはあなたに何ができる、できないかではなく、ただあなたという存在に対して「あなたがわたしの息子、わたしの娘だったら良かったのに」とおっしゃっておられるのです。神はあなたを無条件で愛しておられるからこそ、ひとり子キリストを地上に贈って罪の贖いをしてくださいました。信じた方がお得です。

心のオアシス 2019年6月2日

 旧約聖書には、戦争や争いが多く描かれています。しかしそれは人間の中にある恨みや憎しみ妬みなどのドロドロとしたものが、そういう形で表現されているといってもよいでしょう。日本は平和かもしれませんが、今も世界のどこかで戦いは続いています。天地万物を造られた神さまは、この地上に罪がはびこり、自己実現に生きる人間の世界を憂いて、一度洪水によって滅ぼされました。その時代はノアとその家族だけが方舟によって生かされました。もう水によって滅ぼすことはしないと約束された神さまの次なる計画は、民族を用いて地上のすべての人々を救いへと導くという方法でした。そのために言語をバラバラにされ、それによって民族が形成され、やがては国になっていきました。しかし時代と共に創造主なる神さまを忘れ、自分の思うままに生き始め、偶像に幼子を生贄として捧げるようなことが平気で行われるようになり、モラル観も乱れ始め、我々も想像できないようなカオスの世界へと移っていきました。そこで神さまは、アブラハムという一人の人物を選んで、神さまの道へ立ち返らせ、そこから生まれる人たちを一つの民とし国として、悪を滅ぼす計画を遂行されたのです。しかしながら、人間が考える争いや戦争には、本当の解決はありません。恨みが残ります。
 全世界を衝撃と恐怖に陥れたアメリカ同時多発テロの根底には、イスラエルとパレスチナの長い葛藤があります。しかし、アメリカはテロの根を抜き取るために、イラクのバグダッドに空爆を行いました。それはテロを罰し予防する名目での攻撃でしたが、その副作用として、爆撃によって家族を失い、家を破壊された人々の憎しみを引き出し、また別の自爆テロに志願する悪循環が起こりました。威圧的であるほど、被害者の心には恨みが積もります。それが次なる事件を生み出します。この世には一方的な戦争はありません。必ずそれなりの理由があるのです。
 どうすればいいのでしょうか? 唯一の方法は、人間関係で発生するあらゆる問題を、神さまのさばきと義に委ねるということです。そして祈りという特権を用いて、今すぐ敵を神さまに委ねるしかありません。

心のオアシス 2019年5月26日

 先々週と先週、連続して大学時代の友人や中学時代の同窓生たち、関東からの来客などがあった。大変懐かしく楽しいひと時を持つことができた。彼らとの会話で、私の知らないところで、みんなそれぞれが嬉しいことも辛いところも通ってこられたことを聞きながら、喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者と共に悲しむ、そんな時間でした。違う文化や環境を過ごした様々な個性が共鳴しながら一致しているような再会の時でした。
 私は考えます。長い人類の歴史から見ると、また神さまの永遠の領域から見ると、私たちの人生の長さは、横に無限に伸ばしたテープにポールペンで縦線を引くほどの幅にしかならないということです。そんな細い時間の中で、人は楽しんだり悲しんだりを繰り返しながら生きているということなのでしょう。私たちの地上での生活なんてあっという間に過ぎてしまいます。この地上で面白おかしく生きることは悪いことではありません。でも、たとえ健康で人間関係にも経済的にも恵まれた人生であったとしても、もし永遠の世界に対する解決がなければ元も子もありません。地上での人生はあっという間に過ぎていきます。楽しいことも辛いことも長くても100年前後で終わってしまうのです。“永遠”は終わりなくずっと続く世界です。私たちの本質は“霊”です。神さまがこの地上で活動できるように“肉体”という地上服を着せてくださいました。肉体は永遠ではなく一時的なので、やがては脱ぎ去らなければなりません。肉体を脱ぐときが“死”と表現します。しかし永遠に生きる霊の行き場所のことを考えなければならないのです。聖書には、その行き場所は二箇所あり、その一つは、イエスさまと共に生きる永遠の生命(天国)か、もう一つは、悪魔と共に過ごす永遠の死(地獄)です。私たちにはこの二つに一つしか行く場所がないというのです。
 イエス・キリストは、この地上での問題解決の為だけではなく、永遠の問題の解決のために、神なるお方が肉体を着て地上に来られました。そして地獄行きの私たちの罪の代価を、十字架にかかって支払ってくださったことにより、信じるだけで天国へ行ける道を備えて下さいました。