その子は、生まれながら知恵おくれでした。幼稚園は、近所の子供たちと一緒に通っていましたが、小学校に上がると、ちょくちょく学校を休むようになり、一年生が終わる頃には、全く学校へ行かなくなってしまったそうです。四年生に上がる頃、父親と、母親が話し合って、養護学校に預ける事にしました。養護学校には寮があって、家に帰る事はできませんでした。四年生で入ったその子は、一年生の学習から始めなければなりません。専門の先生が、主要教科を一対一で丁寧に教えていきました。その子は、その日習った新しい事を、毎日、母親に電話で報告していました。ほんの少しずつではありましたが一年間でその子は、たくさんの事を覚えていきました。その子を、ずっと教えていた先生が、ある日、算数を教えようとしてお金の問題を出しました。「ここに、五百円玉、百円玉、十円玉、三つのお金があります。どのお金が、一番大きなお金ですか?」と質問しましたが、「十円玉」と答えるのだそうです。何度しても、やはり答えは、十円玉だったので、先生は、「五百円玉と、百円玉と、十円玉では、五百円玉が、一番たくさんのものが買えるのよ。だから、一番大きいのは、五百円玉でしょ?」と、言うのですが、その子がどうしても「違う、十円玉だ」と言うので、先生は、「それじゃ、十円玉のほうが大きいと思う訳を言ってごらん」と、言いました。すると、その子は、「十円玉は、公衆電話が出来るお金。電話をするとお母さんの声が聞けるの! だから十円玉が一番大切なお金!」と話したそうです。
 私たちは、この世の中の価値観によって洗脳されてしまいました。だから、どうしても他と比較して自分の位置を確認し、満足したり不満足であったり、優越感をもったり劣等感を覚えたりしながら生きています。自慢できる何かがあったとしても、それは地上で生きている数年だけのこと。それを神さまの前に立った時には、何の役にも立たないばかりか、そんなことを自慢していた自分を恥ずかしく思うことになるでしょう。今の価値観を一度アンインストールして、神さまの価値をダウンロードしてみられたらいかがでしょうか? 人生がバージョンアップしますよ。