はじめに神は天と地とを創造されて、造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かったと聖書の創世記には記されています。こうして天と地と、その万象とが完成し、すべてはメーカーである神の目的のために存在し、その目的は神の栄光をあらわす、という任務が与えられました。それは詩篇19篇や148篇にあるように「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」(詩篇19篇1節)「日よ、月よ、主をほめたたえよ。輝く星よ、みな主をほめたたえよ。」(詩篇148篇3節)とある通りです。ですから、人間だけではなく、自然界、動物界、月や星さえも、神さまの栄光をあらわすためにあるのです。しかしながら、神さまは人間とその他の創造物とを差別化されました。それは人間だけを神の創造物の管理者とし、神の“愛”の対象とされたということです。実は、神さまは空の鳥や野の草花にさえ心にとめ、養い、また綺麗に装ってくださっていますが、決定的に人と違うところは、それらは神の“愛”の対象ではないということなのです。
 そして悩み心配する人たちに向けて、イエスさまが語られたメッセージは、「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。」(マタイ6章26~30節)
 預金もゼロ、保険にも入っていない、読み書きソロバンもできない一羽のスズメが明日を悩んでいないのに、人よ、なぜ思い煩うのか?!