私が尊敬している牧師の中に、故ハ・ヨンジョ先生がいる。韓国だけではなく、日本のキリスト教会でも幅広く受け入れられ、その功績は素晴らしい証となって残されています。「日本人を許さなかった韓国人の罪を許してください。」と日本中で謝罪され、この言葉に多くの日本のクリスチャンは感動したことでしょう。先生は、私が今お世話になっている衛星放送CGNTVを開局され、ツラノ書院を立ち上げ、数々の大きな働きをしてこられました。しかしながら、典型的な韓国人の持っている表向きの激しさはなく、元気でバリバリ仕事をこなすような方ではありませんでした。先生は若い日に病にかかり、8回の肝臓ガン手術と、週3回の腎臓透析を受けてこられました。生涯「総合病院」という別名を持って生きておられましたが、病のために精神的に弱くなった姿を周りの牧師や信徒たちに見せることはありませんでした。先生は病のために身体は弱っておられましたが、それによって謙遜を学び、病を通して神さまが働かれることを見たとご自身が証ししておられます。
 創世記に出てくるヤコブの11番目の息子ヨセフは、高慢で配慮することを知らなかった故に、上の兄弟たちから憎まれ、エジプトへ奴隷として売り飛ばされ、主人の奥さんに言いがかりをつけられ犯罪者として獄屋へ送られました。しかし、彼はそこで謙遜にさせられました。自分の人生は自分が切り開いているのではなく、主の手の中にあって、導かれているということを悟った彼は、エジプト王の夢の解き明かしをすることによって獄屋から出され、エジプトの大臣に昇進しても、兄弟たちを許し、兄弟たちが行なった悪さえも用いて、神は、後に起こるイスラエルを飢饉から救うために先に自分をエジプトへ送り込まれたのだと、発言するまでになりました。もし、ヨセフに「神の手の中にある」という信仰がなければ、このような発想は生まれなかったでしょうし、すぐに兄弟たちに仕返しをしていたことでしょう。信仰が人の中に入ると、マイナス的な出来事の受けとめ方が変わってくるものです。
 しかしながらポジティブ思考は信仰ではありません。信仰は、信仰の対象から与えられるものだからです。ポジティブ思考は自ら出すことができますが、信仰は神さまによってのみ生じることができます。是非、創造主なる神さまを求めてみてください。良きことが起こるでしょう。