旧約聖書には、戦争や争いが多く描かれています。しかしそれは人間の中にある恨みや憎しみ妬みなどのドロドロとしたものが、そういう形で表現されているといってもよいでしょう。日本は平和かもしれませんが、今も世界のどこかで戦いは続いています。天地万物を造られた神さまは、この地上に罪がはびこり、自己実現に生きる人間の世界を憂いて、一度洪水によって滅ぼされました。その時代はノアとその家族だけが方舟によって生かされました。もう水によって滅ぼすことはしないと約束された神さまの次なる計画は、民族を用いて地上のすべての人々を救いへと導くという方法でした。そのために言語をバラバラにされ、それによって民族が形成され、やがては国になっていきました。しかし時代と共に創造主なる神さまを忘れ、自分の思うままに生き始め、偶像に幼子を生贄として捧げるようなことが平気で行われるようになり、モラル観も乱れ始め、我々も想像できないようなカオスの世界へと移っていきました。そこで神さまは、アブラハムという一人の人物を選んで、神さまの道へ立ち返らせ、そこから生まれる人たちを一つの民とし国として、悪を滅ぼす計画を遂行されたのです。しかしながら、人間が考える争いや戦争には、本当の解決はありません。恨みが残ります。
 全世界を衝撃と恐怖に陥れたアメリカ同時多発テロの根底には、イスラエルとパレスチナの長い葛藤があります。しかし、アメリカはテロの根を抜き取るために、イラクのバグダッドに空爆を行いました。それはテロを罰し予防する名目での攻撃でしたが、その副作用として、爆撃によって家族を失い、家を破壊された人々の憎しみを引き出し、また別の自爆テロに志願する悪循環が起こりました。威圧的であるほど、被害者の心には恨みが積もります。それが次なる事件を生み出します。この世には一方的な戦争はありません。必ずそれなりの理由があるのです。
 どうすればいいのでしょうか? 唯一の方法は、人間関係で発生するあらゆる問題を、神さまのさばきと義に委ねるということです。そして祈りという特権を用いて、今すぐ敵を神さまに委ねるしかありません。