乱暴に扱われ、傷だらけになったバイオリンのオークションが始まった。競売人は、時間をかけるのも惜しいとばかりに、高く持ち上げ、笑顔で言った。「さぁ皆さん、これはどうかな?」「誰から始めてもらおうか?」「1ドル」「2ドル!」「誰か3ドルはいないかね? 他になけりゃ、3ドルで決まるよ」しかし何の反応もない。その時、部屋の奥から、白髪の男が現れ、前に進み出て弓をとり、古びたバイオリンのほこりを払い、ゆるんだ弦を締め、澄んだ音色で、心に滲みるメロディーを奏で始めた。まるで天使が賛美歌を歌うようだった。演奏が終わり、競売人は、低い声で厳かに言う。「この古いバイオリンをいくらから始めましょう?」そして、バイオリンと弓を持ち上げる。「さぁ、千ドルだ。誰か2千ドルはいないかね?」「2千ドル!」「それ以上は?」「3千ドル!」誰かが叫んだ。「どうして、こんなに価値が上がったんだ?!」すぐさま答えが返ってきた。「達人(マスター)の技だよ」
 聖書の中に、道をはずれ、痛めつけられ、傷だらけになった罪多き女性のことが記されています。彼女は、古びて傷だらけになったバイオリンのように、人々からは最低の評価しかありませんでした。彼女は罪の現場で取り押さえられ、イエスさまの前に引き出されて、「この女は、生きる価値はないでしょう。律法によると石打ちが妥当だと思いますが、どう思いますか?」と問われました。イエスさまの答えは「あなたがたの中で罪のない者が石で打ちなさい」でした。結局、石を投げることができた者は一人もいませんでした。年寄りから石をその場に落として帰っていきました。結局、人の価値を決めようとしていた自分自身も、罪がないとは言い切れなかったのです。唯一罪のない、石を投げる権利を持っておられるイエスさまは、この女性に言われました。「わたしもあなたを罰しない。もう罪を犯さないように」これは「主にあっては、生きている価値がある」との発言だったのです。人間の価値が高まるのは、創造主(マスター)の業だということなのです。
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ43:4)