「なぜ、神を求めなければならないのですか? 別に神がいなくても生きていけるし、現に、こうやって生きているではないですか? 私に神は必要ありません。」という人に、出会ったことがある。神を否定する人生とは、徹底して無意味に生きることなのです。創造主を認めない無神論とは、①人間存在は偶然で、本質的には無意味。②人生とは目的のない空虚な時間。③絶対的な価値基準や善悪の基準はなく、すべての行為は無意味で、善悪もない。④死とは、すべてが無になること、なのです。そんな無意味な人生をどのように生きるかというと、その時その時の自己満足を求めて、気晴らしや暇つぶしをするということになります。愛や友情や平和や人格なども本質的に無意味であって、それらに暇つぶし以上の意味を認めることは、無神論の立場に反することになるのです。 
 私たちは、知識や技術の取得、仕事、恋愛、結婚、家庭の形成、新しい命の誕生、子育て、死など、すべての営みが無意味であることを、見据えながら生きていくことができるでしょうか? 私の友人が、学生時代に、無神論を貫こうと決心し、何事にも意味や目的がないので、授業にも出ず、朝から晩までパチンコ屋に入り浸りの生活を続けたそうです。しかし、意味を認めずに生活することは、心のどこかで自分を欺かない限り不可能であることがわかり、実際には意味を求めて生きている自分に気づかされ、人間は無神論では生きられないことがわかったそうです。
 人間は本来、自分のアイデンティティー、人生の意味や目的を求め、自分が役に立っていることに充足を感じ、絶対的な価値観・倫理観を求め、愛し愛されることに意義を感じます。そして永遠的で変わらないものを求めています。これは創造主が私たちに、神を求め続けるようにと、心の中に空洞を設けられたのです。ですから神との出会いがあって初めて人間存在は意味を持つようになるのです。つまり、人間は神なしでは、満たされないようにセットアップされ造られているということなのです。 
 是非とも「私を創造された神さま、私はあなたを受け入れます!」と本気でお祈りしてみてください。不思議なことが必ず起こりますよ!