「世界は誰かの仕事でできている」とは、某コーヒーのキャッチコピーですが、多くの人の心に響いているようです。このコピーに関する書き込みを見つけました・・・「このポスターを、初めて見たとき、心が震えました。4月に転勤し、通勤に片道2時間を要し、仕事もきつく、毎日雑巾のようにボロボロで、このままではどうにかなってしまうのではないかと思っていました。しかし、このポスターを見て、私だけでない。誰かが、誰かのために一生懸命仕事をしているんだということに改めて気づき、心が救われました。『世界は誰かの仕事でできている。』という言葉を噛みしめて生きています。」
 実は私もこのコーヒーのCMを見るたびに、自分の周りに囲まれている物を見ながら、「どれほどの人たちが、関わってきたことだろうか?」と思い、感謝の気持ちが沸いてくる。直接的ではなくとも、間接的でも関わっている人たちのことを考えると、どれだけ多くの人たちの汗と涙によって私たちの生活が支えられているか測り知れません。
 私たちは大きなことをしたいと願いますが、大きなことをすることだけが価値があって重要なことではありません。結局、私たちは、大小問わず、名も知れない誰かの仕事によって支えられているということなのです。教会も現実的な奉仕によって支えられていますが、目に見えない、一人の小さな祈りによっても支えられていることを忘れてはならない。
 マザー・テレサがノーベル平和賞を受賞された時に、人々が言いました。「なぜ、あなたのように有名な人が、インドの貧困をなくし、世界平和のために声を上げないのですか?」それに対するマザーの答えは、「私には、偉大なことはできません。私にできることは、小さなことに、大きな愛を込めることなのです。」ある意味、これが私の理想の姿であり、ビジョンなのです。私が献身した時に祈った祈りは、「主よ、私は小さく、福音は大きく広げられていきますように。そしてあなたの計画を進める道具として、あなたを乗せる子ロバとして使ってください。」世界は誰かの仕事でできていて、すべての仕事を支えているのは主なる神なのです。