私はかつて“祈る”とは、どういうことなのか?と考えさせられることがあった。神さまを信じたばかりの時は、祈りとは、自分の願いを神に聞いてもらい解決してもらうこと、と考えていた。しかしクリスチャン生活が長くなってくると、このような疑問が出てくる。「もし祈ったことが、全て叶えられたら、どうなるのか?」「人間の祈りに叶えることが神の仕事なのか?」「ある人は阪神が優勝することを祈り、ある人は巨人が優勝することを祈っていた場合、神はどちらに叶えるのか?」「人間の意のままになる神は、“神”であり得るのだろうか?」「いくら祈っても、神がご勝手になさっておられるのならば、祈る必要はないのではないか?」神さまの摂理を運命論的に捉える人は、祈ることを諦めてしまうことがあります。しかし、私は牧師になって霊的分野を扱うようになってから、祈ることと祈られることが、どれほど重要なことであるかということを思い知らされるようになった。この世界は言葉では上手く表現できませんが、祈りなくして教会はありえないということなのです。
 イエスさまは、「求めなさい。そうすれば与えられるであろう。」とおっしゃいました。しかしこの言葉には、求めたものが与えられるとは約束されていません。その後に続く言葉には、「あなたたちは悪い者であっても、自分の子どもたちには、良いものを与えることを知っている。まして、天の父が、求める者に聖霊をくださらないことがあろうか」(ルカ11章)と続いている。求めたそのものではなくても、“良いもの”“聖霊”をくださることが示唆されています。祈った瞬間に、私たちには、その時に一番必要なものが既に与えられているということなのです。祈らなくても神さまはご自分の計画をなされていくでしょう。しかし、この地上においては祈った人とそうでない人とでは大きな差が出てくることは、明らかです。
 祈りは、祈った全ての対象物に何らかの影響を与えることが、アメリカのドクターの論文によって科学的に証明されていますが、私も40年近いクリスチャン生活をする中で得た確信は、祈る方が絶対お得です!