先日の礼拝前に、私が教会メンバーのNさんとお話しをした時、神さまが、その方の人生に深く関わっていてくださっていること知り大変感動しました。Nさんは、何年も前にした脳の手術の後遺症で、頭痛や痺れなど長年苦しんできました。そんな中、イエスさまと出会い、今から7年前、私たちの教会で洗礼を受けられました。それでも当時は、「どうして私だけが、こんな苦しみにあわなければならないの? 神さまは不公平・・・」と文句ばかりを言っていたそうです。そして自暴自棄になった時期もありました。しかし最近、こう思えるようになったそうです。「この苦しみがあったからこそ、自分は神さまに出会うことができた。もし痛みがなければ、今も神さまを無視して自分勝手な道を歩んでいたと思います。今胃の調子も悪くて近々検査をしますが、胃がんであったとしても感謝できます。」牧師としては、苦しみを取り、癒されるように毎日お祈りしていますが、癒されるまでの期間を感謝しながら歩むことができる人生は、他者にも感動を与えるのだと学ばされました。他にも闘病しながら同様に感謝しながら力強く歩んでおられる方々がいらっしゃいますが、これこそが神の存在を知る者の特権だと思わされています。
 私はすべての病が必ず癒されることを信じて、希望を持って祈り続けている牧師です。その癒しをいただくまでの生き方を神さまは勿論、人々も注目しています。どのように生きるかが大切だと思いました。
 フランクリン・ルーズベルト大統領のファーストレディーでアメリカ史上最も尊敬される女性として選ばれたエレノアさんは、「今、あなたが苦しく辛いのは、外的要因ではなく、あなた自身がその状況にあって苦痛と感じることを選択し、それに屈服したからです。」と語っています。辛ければ辛いし、痛ければ痛いですが、同じステージの上に立っていて、神と世を呪って生きるのか、感謝しながら生きるのかで、その人の人生は大きく変わってくるということです。そしてその人の周りへの影響も大きく違ってきます。願わくは感謝の人生でありますように。
 「いつも喜び、絶えず祈れ、すべての事に感謝せよ。」(聖書)