心のオアシス

心のオアシス 2018年10月28日

 現在の世界人口は69億人ですが、この人類統計比率から、このような計算をした人がいます。もし、あなたが今朝目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることが出来たなら、あなたは今週生き残る事のできないであろう100万人の人たちより恵まれています。もしあなたが戦いの危険や投獄される孤独や獄門の苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度も経験したことがないのなら、あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。もしあなたが苦しめられることや逮捕拷問または死の恐怖を感じることなしに教会の礼拝に行くことが出来るなら、あなたは世界の30億人の人たちより恵まれています。もし冷蔵庫に食料があり着る服があり、頭の上に屋根があり寝る場所があるなら、あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら、あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8%のうちの一人です。もし、あなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら、それはとても稀なことです。もしこのメッセージを読む事ができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福を受けるでしょう。何故ならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて、その上あなたは全く文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。
このデータを知ったみなさんは、今置かれている環境に不平を言いますか? これは貧しい人たちや、弱い人たちと比べて優越感を持つために書かれたものではありません。このデータを計算した人が言いたいことは、「私たちがどれほど恵まれた環境の中にいるかを自覚してくださいよ」ということなのです。まだ不平不満がありますか?
 英国・エコノミスト誌の調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)」が発表した「世界で最も住みやすい都市ランキング2018」ではウィーンが1位、メルボルンが2位、そして何と大阪が堂堂の3位でした。そして東京は7位。なんと日本の都市がベスト10に2箇所も入っているのです。これでも尚、不満があるならば、神さまへどうぞ。

心のオアシス 2018年10月21日

 私たちの教会が支援している中に、ニューヨークの貧民街で伝道をしているメトロ・ミニストリーズという団体がある。今年8歳になるフィリピンのルーセル・パディオス君は、ここを通してサポートしている。  
 団体のリーダーのビル・ウィルソン先生は、毎週2万人以上の子供たちが集まる世界最大の日曜学校を行なっています。先生は、子どもの頃、母親に置き去りにされました。シングルマザーであった母親が、「もうダメだわ、やっていくことはできない・・・」そういって、通りの消火栓の前で「ここで待っていなさい」と言い残したまま姿を消しました。彼は、その消火栓に座ったまま3日間待ち続けました。しかし、母親は帰ってきませんでした。3日目にクリスチャンの男性が、消火栓にずっと座っている少年を見つけて家に連れ帰り、食べ物を与え、クリスチャンの子どもキャンプへ参加させました。そこには各地からたくさんの子どもたちが集まっていました。慣れない場所に来たビル少年は、隅の方に座っていました。その夜の集会で牧師が話し終わり、最後に招きがありました。「もしイエス・キリストを信じたいなら前に出てきてください」 ビル少年は、聖書の話は初めてだったのですが、何か引き付けるものがあって前に進み出ました。決心した子どもたちが集まると、カウンセラーが出てきて、一人一人の子どもたちの所へ行き、一緒に話したりお祈りをしたりし始めました。しかし、母親に置き去りにされた時の汚い服、やぶれたズボンを履いたビル少年のところには、誰も来てくれなかったのです。ビル少年は、一人でこう祈りました。「神さま。僕を導いてください。」その時、カウンセラーは来てくれませんでしたが、イエス様が来てくださいました。大きな恵みの衝撃を受け、神さまの愛で包まれました。そして今現在、誰もできないような大きな働きをしておられます。  
 先生はミニストリーの長になっても、未だにスクールバスを運転しています。彼はこう言います。「捨てられた僕を拾ってくれた人がいます。そして今日があるのです。僕は、あの捨てられた自分を思い出しながら子どもたちを拾い上げています。」私も同じ気持ちで福音を伝えています。

心のオアシス 2018年10月14日

 19世紀、プロイセン王フリードリヒ2世は、聖書の真理性についてチャプレンと討論しました。当時の王は、フランスの理神論者ヴォルテールの影響を受け、聖書を信じずに疑っていました。「あなたの聖書が本当に神から来たものか、その証拠を簡単に説明してみよ。」王の質問に、チャプレンはこのように答えました。「一言で申し上げることができます。イスラエルです。」チャプレンの答えに、王は沈黙しました。チャプレンは、数え切れないほどの苦しみと迫害を受けたイスラエルが今も存在するという詩篇129篇「今イスラエルは言え、『彼らはわたしの若い時から、ひどくわたしを悩ました。しかしわたしに勝つことができなかった。』」のみことばを証拠としてあげたのです。神さまの助けと守りと導き以外に、イスラエルの存在を説明できるものはありません。
 イスラエルは、民族が初めて形成された「若いころ」(詩129:1)に、エジプトから激しい迫害を受けました。イスラエルの数が増え続けると、エジプトの王パロはイスラエルに男の子が生まれたら殺すよう命令しました。このような、虐政の下でモーセが生まれました。イスラエルは士師の時代にも、ペリシア、アッシリヤ、モアブ、アモン、エドムなどに囲まれ、脅威にさらされていました。民族も南北に分裂し、北イスラエル王国は、シリヤ軍隊の侵略と圧迫を受け続け、後にアッシリヤによって滅ぼされました。南ユダ王国は、バビロンによって滅ぼされ、その後にもユダヤ人は、ギリシヤとローマ、中世紀にはヨーロッパ、20世紀にはナチスの激しい迫害を受けました。歴史を知る人は、イスラエルがどの時代においても、どれほど迫害されてきたかをご存知でしょう。しかし、敵はイスラエルに勝利することができませんでした。神がイスラエルと結ばれた契約を守られたからなのです。この国だけは、これからも絶対に滅ぼし尽くすことはできません。神の約束があるからです。
 しかし、イスラエルが滅ばされないのは、「イスラエルを通して、すべての国民が祝福されるため」(創26:4)なのです。私たちも、神さまとの平和条約を結んでいるならば、苦難や試練を恐れる必要はありません。

心のオアシス 2018年10月7日

 私は最近、一つの悟りが与えられ、他者に対してより一層寛容になることができるようになった。今までは、成長を願う一心もあったが、自分ができることは、他者もできるはずと思い、自分の拘わり通りに物事が動かないと、ストレスになることが多かった。しかし神さまは、ご自分が造られたすべての物を見たところ「はなはだ良かった」と言われました。最初は、「はなはだ良かった」ところからのスタートだったのです。これは100点満点中、1000点からの出発だと考えることができるように思いました。だからこそ、神さまは罪に落ちた人間を、そして何度も神さまを裏切るイスラエルの民を赦し愛し続けることができたのではないかと思う。もし100点からのスタートならば、いつも減点ばかりの私たちに対して、満点でない腹立たしさが起こるでしょう。例えば、親は子に100点であって欲しいと願います。でも50点や60点しかできなければ、足りない部分を見て責めることになります。でも、千点からのスタートならば、少々足りない部分があっても満点以上の存在なのです。その存在だけで、生かされているだけで満点だと考えるようになったら、感謝が溢れるようになりました。
 もう一つ、他者に寛容になれる秘訣は、自分がどれほど罪深い存在であるかを自覚するということです。サムエル記の学びをしながら感じたことは、ダビデは、自分の部下に裏切られても、息子のアブサロムが反逆した時も、シメイがのろいながら石やチリを投げつけてきた時も、寛容であり続けることができました。それは、今、自分がそのような状況になっているのは、他者が悪いのではなく、すべては自分の“罪”のせいだと考えていたからです。故に今生かされているのは、ただ神の恵みだとダビデは考えていました。これはダビデの言葉です。「彼がのろうのは、主が彼に『ダビデをのろえ』と言われたからであるならば、だれが、『あなたはどうしてこういうことをするのか』と言ってよいであろうか・・・彼を許してのろわせておきなさい。主が彼に命じられたのだ。主はわたしの悩みを顧みてくださるかもしれない。」(サムエル記下16章10~12節)  

心のオアシス 2018年9月30日

 あるベトナムの村に、宣教師たちの運営する孤児院がありました。しかし、その村は爆撃を受けました。その爆撃で8歳の女の子は最も重症で、大量出血によって危険な状態になりました。しばらくしてアメリカ海軍の医者と看護婦が到着しました。すぐに輸血が必要でした。言葉が通じないため、ジェスチャーを使って子供達を集め、何がおきていたのかを説明し、血液を提供する人が必要であることを伝えようとしました。沈黙の時間がしばらく続いた後、一人の細い腕が恐る恐るあがりました。ヘングという名の少年でした。急いで少年の準備をすると、苦しむ少女の隣に寝かせ、輸血ようの管をとりつけました。少年は黙ったまま天井をじっと見つめていました。しばらくすると、少年は自由になっている手で顔を覆うと、しゃくりあげるように泣いているのでした。医師が「どこか痛いのか?」と尋ねると、そうではないようでした。しかし、しばらくするとまた、しゃくりあげ、今度は大粒の涙をこぼしていました。医師は気になり、再び尋ねましたが、またもや彼は否定しました。ときどきしゃくりあげていたのが、やがて静かに泣き出しました。しばらくして別の村からベトナム人の看護婦が現れましたので、医師はその看護婦に、ヘングに何が起きたのか尋ねてくれるように頼みました。すると少年の苦しそうな表情はゆるみ、しばらくすると彼の顔は再び平静を取り戻しました。すると看護婦は、アメリカ人の医師達に説明しました。「彼はもう自分が死ぬのかと思っていたんです。あなた達が説明したことを理解しておらず、少女を助けるため、全ての 血液を提供しなければいけないと思ったようです。」すると医師はベトナム人看護婦の助けを借り、少年にきいてみました。「そうであれば、どうしてあなたは血液を提供しようと決心したんですか。」すると少年は単純に応えました。「あの子は、ぼくの友達なんです。」
 イエスさまは、滅びに向かう私たちのために、十字架にかかり、私たちの罪の身代わりに死んでくださいました。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)